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No,116
カルロ・ドルチ、「悲しみの聖母」、17世紀イタリア、バロック。
この画家は、可憐な女性を描くね。
真実の天使との共通点を感じるので、とりあげてみた。実に美しい女性像である。
しかし真実の天使は、ここまで女性ではない。人類の女性には、こういう感じになる可能性があるが、彼には、無理だ。
彼はいわば、セックスの対象になる寸前の幼女という感じだよ。美しいが、硬い。とても性の相手にはならない。そういう点で、彼は実に男なのだ。
しかしこの女性は、性愛の対象になりうる。どこか、男を拒否する幕が柔らかいだろう。本当の女性とは、こういうものだ。自然に、男を愛するように、できているんだよ。神がそういう風に創られたのだ。
人間の男は、こういう女を大事にするべきだったね。やわらかな愛で、男に尽くすよう、もとからできていたのだ。罪びととして死んでしまった息子をいたんで、悲しみに萎れている。どんな男にも、こんな女がいた。
かわいらしいね。花のようだ。美しい。ほめたたえ、愛し、心を尽くしていけばよかったものを。こんなものをなくしたのだ。男は。
カルロ・ドルチ、「悲しみの聖母」、17世紀イタリア、バロック。
この画家は、可憐な女性を描くね。
真実の天使との共通点を感じるので、とりあげてみた。実に美しい女性像である。
しかし真実の天使は、ここまで女性ではない。人類の女性には、こういう感じになる可能性があるが、彼には、無理だ。
彼はいわば、セックスの対象になる寸前の幼女という感じだよ。美しいが、硬い。とても性の相手にはならない。そういう点で、彼は実に男なのだ。
しかしこの女性は、性愛の対象になりうる。どこか、男を拒否する幕が柔らかいだろう。本当の女性とは、こういうものだ。自然に、男を愛するように、できているんだよ。神がそういう風に創られたのだ。
人間の男は、こういう女を大事にするべきだったね。やわらかな愛で、男に尽くすよう、もとからできていたのだ。罪びととして死んでしまった息子をいたんで、悲しみに萎れている。どんな男にも、こんな女がいた。
かわいらしいね。花のようだ。美しい。ほめたたえ、愛し、心を尽くしていけばよかったものを。こんなものをなくしたのだ。男は。