世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

大廟に入りてことごとに問う

2007-09-08 07:47:24 | てんこの論語

子、大廟に入りてことごとに問う。ある人曰く、「たれか陬人の子を礼を知れりと謂うか。大廟に入りてことごとに問う。」子これを聞きて曰く、「これ礼なり。」(八佾)
(し、たいびょうにいりてことごとにとう。あるひといわく、たれかすうひとのこをれいをしれりというか。たいびょうにいりてことごとにとう。しこれをききていわく。これれいなり。)

訳)○先生は、魯国の始祖を祭る儀式において、ことごとに人に質問していた。それを見てある人が言った。「あれが例の陬人の子か。だれがあんなやつを礼を知っているなどというんだね。人にたずねてばかりいるではないか。」それを聞いて先生は言った。「これが礼というものですよ。」

陬というのは、魯の国の町で、孔子の生まれ故郷だそうです。陬人の子、と孔子を呼ぶのは、もちろん彼を揶揄してのことでしょう。その人は、かねてから目をつけていた孔子を、最初から最後までずっと見ていたのでしょうね。それでこういうことを言った。なんでもいいから、馬鹿にしてやりたかった、という気がしないでもありませんね。
よく、人はこういうことを言います。

しかし、要するに礼というのは、「人を敬う、大切にする」ということなのです。孔子が大廟において、儀式次第について、なにくれとなく人に質問したのは、大切な儀式を間違えないよう、細心の注意をしていたからでしょう。そして、この世には、この儀式について、自分よりもよく知っている人がいるということを、ちゃんと知っていたからです。

孔子は心よりその人を敬し、尊重したのです。その人を大切にしたのです。

儀式において、もっとも大事な人を、ちゃんと敬ったのです。それが礼というものです。

もし孔子が、自分は礼を一番知っているのだからといって、儀式のすべてを自分で勝手にしきってしまったら、とんでもないことです。大変なことになってしまいます。みながいやな気持ちになって、儀式がいやなことになってしまうのです。

みなを大切にし、すべてをいいことにしていくためには、大切にしなければならない人を、みな大切にすることです。孔子がことごとに問うた人は、たぶん儀式の責任者か、それに準ずる人でしょう。彼は本当に儀式を大切にしていたのです。その心が、礼のもっとも大切な基本なのです。

礼を知らず、人を小ばかにして、何かと己を中心に置きたがる人は、周りに災難を投げます。これは人として、とても芳しくないことです。彼は自分の思い通りにならないというだけで、影に回れば、軽々と人にいやなことをするでしょう。それを、小人と孔子は言います。

儀式で孔子を揶揄した人は、自分は礼を知らないと、公然と言ったようなものです。人を馬鹿にすることは、礼に反することだからです。しかし、その人には、最後までそれはわからなかったでしょう。孔子は、決して自分が理解してもらえないことを、悲しく思ったことでしょう。

人を大切にせず、馬鹿にして、みんなつまらないものだということは、ほんとうは、してはならないことなのです。それだけで、生きることがずっと苦しくなるからです。
礼というものは、人として、人を大切にするということをして、人生に美と幸福を招き入れるということなのです。孔子はそれを、人々に教えたかったのです。

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