世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

子、南子を見る

2007-09-09 07:39:28 | てんこの論語

子、南子を見る。子路説ばず。夫子これに矢いて曰く、「予が否なるところは、天これを厭たん、天これを厭たん。(雍也)
(し、なんしをみる。しろよろこばず。ふうしこれにちかいていわく、よがひなるところは、てんこれをたたん、てんこれをたたん。)

訳)○先生は、南夫人の謁見に応じた。弟子の子路はそれを聞いて激怒した。先生は彼を制し、落ち着いた口調で言った。「もしわたしがまちがっていたら、天がわたしを殺すだろう。」

毎日論語だと、読む人も疲れるでしょう。内容があまりに堅いのは、許してください。論語やるとどうしてもこうなってしまいます。今日で今回は最後にしますので、よろしければおつきあいください。これは、イシベキンジロウさんである孔子が、国で最高の美女に会いにいったときのエピソードを語ったものです。

南子は、当時の魯国の君主、霊公の夫人で、美しいが淫奔な女性であったそうです。君主に目をとめられて夫人になっても、前からつきあっていた男前の恋人と、ずっと通じたりしていたそうです。孔子は、以前から、君主がこの美女に狂って、国政をおろそかにしがちなのを、苦々しく思っていたようです。

南子が孔子を呼んだのは、おそらく、繰り返し君主の女狂いを戒める、堅苦しい男に興味を持ったからでしょう。孔子は彼女からの招きを一旦は辞退しましたが、後に仕方なく応じました。それは君主の夫人に対する礼であったのですが、内心、冗談ではないと思っていた。彼は以前から、男が女性に狂い始めたとたんに学問をやめてしまうことが、とても苦しかったのです。

子曰く、われいまだ徳を好むこと色を好むがごとくする者を見ず。(子罕)

女子と小人は云々のことばもあるように、彼は女性に対して、苦い思いを抱いていた。それは昔は、女性が教養を持つことは、ほぼ不可能に近かったからでしょう。男は女を、極言の類に入るかも知れませんが、セックスの相手としか見なかった時代です。

しかし女性は、女性であるというだけで、男性に力をふるえます。たいていの場合、女性は男性よりも美しいからです。男性は美しい女性には、どうしても心を奪われてしまう。これがときに大変なことになることが、孔子はどうしようもなく苦しかった。美女に狂って国政に失敗し、多くの民が苦しむという事例は、掃いて捨てるほどあった。女が、ただ美しいというだけで、すべてを狂わせていく。

美とは、力なのです。人の魂に力をふるえる、真実大切なものなのです。美しい女性が、教養をもたず、その美を一切私欲のために使えば、恐ろしいことになる。美しいものが、醜いことをすれば、それを慕うものの魂がすべてくるってしまう。美しいものは、多くのものに影響を与えるからです。

美しい女性は、自分の美しさに責任を持たねばならない。美しいがゆえに、人の、特に男性の魂に深い影響を与えるという事実を、わかっていねばなりません。美女が男に与える影響は、徳高い教師が男に与える影響よりも、大きいのです。

美に責任を持つ女性は、美しくないことはしないのです。美しくないことをすれば、神が与えた自らの美を裏切ることになるからです。美しいものが、美しくない。その事実を男性が知るとき、彼はこの世の一切の美を信じず、ありとあらゆる阿呆をし始めるでしょう。そして一人の男が狂ったとき、それが周囲に与える苦しみは、計り知れないものとなります。女性はこのことを知っていなければならない。

孔子の生きている時代は、真に教養のある女性がいなかったのです。男性もまた、女性を軽く見すぎていた。だから女性も、学ぶことなどしなかった。多くの女性は、美しく飾って、いい男の目にとまろうとすることくらいしか、考えなかったのです。

真に教養に目覚めた女性は、自分の美しさに責任を持ちます。心身を律し、愛に生きることを志して、学びます。これがほんとうの女性といえるでしょう。孔子の時代ならいざ知らず、たぶん、これからの女性にはこれができるでしょう。

本当の美女は、きっとこれから、地上に舞い降りてくるでしょう。天女のように。
生まれながらの男性がいないように、女性もまた、生まれつき女性なのではない。美と愛を学ぶことによって、真の女性に成長していくのです。

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