世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

ピケタ先生とステラサウルス

2014-05-24 06:17:49 | 月夜の考古学・本館

「星に願いをかけると、かなうって、ほんとかな?」
 ベランダのてすりにほおづえをついて、ぼんやりと外を見ながら、まことはひとり言を言いました。下の方を見ると、終夜灯の白い光の中に、団地の芝生の緑が闇の中にくっきりと浮かんで見えます。その目で今度は空を見ると、そこは墨で塗りこめられたようにまっくらで、星はあまり見えません。ただ、てっぺんのあたりで、ひときわ大きな星が一つだけ、かすかに光っているのが見えるだけです。
 まことは、そのたった一つの星に向かって、手を合わせました。もし、ほんとうに願いがかなうのなら、まことの今の願いは、ひとつだけです。
「お星さま、お願いです。おとうさんとおかあさんが……」
 まことは目を閉じて、何度も年度も願いをくりかえしました。まことのおかあさんが、おとうさんとけんかしてこの部屋からいなくなって、もう三日がたちます。それから毎日、おとうさんは酔っぱらって、おそく帰ってきます。だからまことはずっと、ひとりぼっちで家にいるのです。
 ひとしきり願いを言うと、まことは組んでいた指を外して、ためいきをつきました。寒くなったので中に入ろうとした時、ふとまことは、芝生の向こうのサツキの茂みの中で、何かがきらりと光ったような気がして、足をとめました。
「あれ?」
 てすりから身を乗り出すようにして、よく見ると、確かに茂みの中で、何かがきらきら光っています。ガラスだとか、懐中電灯だとか、そんな感じの光ではありません。かすかな虹色のまじった白っぽい光が、まるでそこに花が咲くように、盛り上がったり、引っ込んだり、時には弾けるように散らばったりします。
「なんだろう? 見にいってみよう」
 まことは部屋にもどると、上着をさっと引っかけて、玄関から外に出ました。まことたちの住んでいる部屋は団地の四階にあるので、階段をかけおりて一気に下までくると、少し息切れがしました。
 芝生に足を踏み入れ、明るい終夜灯の光の中に身を乗り出したとき、ふとまことは、目当ての茂みのあたりに先客がいるのに気づきました。グレーの帽子とコートを着たおじいさんが、ステッキか何かで茂みの中を探っています。まことは一瞬引き返そうかと思いましたが、足の方は勝手に歩いて、吸いこまれるようにその人の背中に近づいていきました。歩いているとちゅうで、どうやらそれが自分の知っている人らしいとわかって、まことはほっとしました。
「ピケタ先生、何をしてるの?」
 まことが話しかけると、おじいさんはおどろいたようにふり向きました。
「おや、まことくんじゃないか。こんな時間にどうしたんだい?」
 ピケタ先生は、団地の近くにある小さな診療所の先生です。ほんとうは引田先生という名前なのですが、子供たちはみなピケタ先生と呼んでいました。背が低くて、白ヒゲのやさしそうなお顔が、何だか童話に出てくる小人みたいで、そんな名前がぴったり似合うからです。
「……ちょっとね。ぼく、ベランダからここで何かが光っているのが見えたんで、見にきたんだ。もしかしたら先生もそうなの?」
 まことが言うと、ピケタ先生は、ちょっと困ったような顔をしました。
「そうか、まことくんも見つけたのか……」
 ピケタ先生は、しばらく迷っていましたが、やがて「君、年はいくつだったっけね」とたずねました。まことが、「え? ええと、もうすぐ十才だけど……」と答えると、ピケタ先生は小さくうなずきました。
「そうか。大きくなったね。君くらいの年になって、これを見つけられるのは、このごろではちょっと珍しいんだよ」
 ピケタ先生はそう言って、コートの中にかくしていたものを、そっと出しました。それを見たまことは、息もわすれるほど、びっくりしてしまいました。
 ピケタ先生が抱いていたのは、子犬くらいの大きさの、小さな恐竜だったのです。
「ステラサウルスというんだよ」
 恐竜は、先生の手の中で、しっぽを丸めてうずくまっていました。まことは恐竜をしげしげと見つめました。図鑑にのっているようなのとは、少し違います。ステゴサウルスに似ていますが、頭がいくぶん大きくて丸っこく、背中に並ぶ骨の板がまるで水晶のように透明で、虹色にぼんやりと光っていました。全身は薄い緑色で、鼻の頭としっぽの先にかわいい角が一つずつあります。ピケタ先生がやさしくのどをなでてやると、きゅるきゅると鳴いて、閉じていた目をうっすらと開けました。
「生きてる……! ぼく、生きてる恐竜なんて、はじめてだ!」
 まことが、こわごわと触ろうとすると、ピケタ先生がそっとその手をとめました。
「だめだよ。今、この子は病気なんだ。治してほしくて、空から下りてきたんだよ」
「そ、空から?」
「そう。ステラサウルスは、星空に住む恐竜だからね。さあ、わたしは診療所に帰って、この子の治療をせねばいかん。まことくんも家に帰って、おやすみ。おとうさんとおかあさんが心配するよ」
 そう言うと、ピケタ先生はふたたび恐竜をコートの中にかくし、帰っていきました。まことは、しばらく、その後ろ姿を見つめていましたが、やがて、そっと足を忍ばせて、歩きだしました。行き先は、もちろん団地ではなく、診療所です。

 診療所は、団地の裏手にある、白い小さな建物です。両脇を高い緑の木にはさまれていて、入り口の横にある小さな看板は、一晩中白い光を放っていました。真夜中の診療所は、白い壁が光の油たまのように闇の中に浮かび上がり、まるでそれ自体が不思議な何かを呼び込む静かなシグナルのように見えました。
 まことは、看板の下に立つと、ドアにそっと耳をあててみました。かすかに、人がとたとたと動く音が聞こえました。窓からのぞけないかと思いましたが、カーテンが厚くおりています。まことは、思い切って、入り口のドアノブに手をかけました。鍵がかかっているものと思っていたら、おもいがけずノブが軽く回ったので、まことはちょっとびっくりしました。おそるおそるドアをあけてみると、すぐ目の前にピケタ先生が立っていたので、またびっくりしました。
「やっぱり来たね」
 おどろいて声も出ないまことに、ピケタ先生はにこやかに笑いかけています。
「おとうさんやおかあさんは、どうしたんだい?」
 ピケタ先生は、まことを診療所の中に招きいれながら、たずねました。まことは答えず、おずおずと中に入って、待合室や診療室の方をきょろきょろ見回しました。それから、はっと思い出したように、答えました。
「あっ、両方とも、まだ帰ってきてないんだ。おとうさんも、おかあさんも、しごとだから……」
「しごと? こんなに遅くまでかい?」
 待合室の壁時計は、十時を過ぎているのです。
「う、うん……」
 まことは、ピケタ先生とは目を合わさずに、ぎくしゃくとうなずきました。ピケタ先生は何も言わず、ただ笑ってまことの背中を見ていました。
「ス、ステラサウルスは、どうしたの?」
 まことが聞くと、先生はそっと診療室のドアをあけました。診療室の机の上に、小さな猫用のベッドがおかれていて、その中でステラサウルスがすやすやと眠っています。恐竜が、小さな寝息をたてるたび、背中の板が、ちらちらと痛々しく光りました。まことは、なぜだか、胸がつまって、泣きたくなりました。見ていると、何かをしてあげたくてたまらなくなるのは、どうしてでしょうか。
「空から下りてきたばかりで、疲れているからね。今、栄養剤入りの暖かいスープを少し飲ませて、眠らせたんだ。体中のうろこが少しいたんでいるから、これから薬を塗ってあげるんだよ。手伝ってくれるかい?」
 まことは一も二もなくうなずきました。
 ピケタ先生は、戸棚から小さな青い壜を取り出しました。とってのところが亀の形になっているふたをあけると、菊の花に似た澄んだ不思議な香りが、部屋の中に広がりました。
「わたしのやっているように、やるんだよ」
 ピケタ先生は、小壜の中の不思議な液体を、柔らかいガーゼに染み込ませると、ステラサウルスの体に、やさしくおしあてました。
「そっとね。こすったりたたいたりしてはいけないよ」
 そういうと、ピケタ先生は小壜とガーゼをまことに渡しました。まことは、患者用の回転椅子に座ると、言われたとおりに薬をガーゼにとりながら、そっと恐竜のうろこにおしあててやりました。時々、まことが強く力を入れ過ぎると、恐竜は、ぴいと鳴いて、体をふるわせました。
「あ、ごめん……」
 まことが薬を塗り終わると、今度はピケタ先生が、赤い壜をもってきました。その中には真珠色の軟膏が入っていて、ピケタ先生は軟膏をほんの少しずつ指にとりながら、恐竜の角と虹色の背板にぬりました。すると、米粒ほどの小さな鈴をたくさんかき鳴らすような音がしゃわしゃわ聞こえ、角と背板がほわほわ気持ちよさそうに光りはじめ、やがてゆっくりと消えていきました。恐竜は、長い安らかなため息を一つつき、目を二、三度しばしばさせたと思うと、また深い眠りに落ちました。
「さあ、あとはこの子をゆっくり眠らせてあげよう」
 まことは、恐竜をもっと見ていたいと思いましたが、ピケタ先生は、恐竜に小さな毛布をかけると、寝床ごと持ち上げて、隣の部屋に持って行ってしまいました。まことは、ちょっとがっかりして、椅子をきいきい鳴らしました。
 再び診療室に戻ってきた時、ピケタ先生はお盆の上においしそうなココアとクッキーをのせてもってきました。それを机の上におくと、先生はにこりとまことに笑いかけながら、先生用の椅子に座りました。
「さあのみなさい。暖まるよ。夜は冷えるからね」
 まことは、少しおなかがすいていたので、ちょっとためらった後、お礼を言ってクッキーに手を伸ばしました。先生は、自分のために用意したお茶を一口飲むと、ほっと息をついて、少し真剣な顔でまことを見つめ、言いました。
「まことくん。お願いがあるんだが、今夜、ここで見たり聞いたりしたことは、だれにも言わないでくれないかな?」
「え、どうして?」
 まことは、クッキーを口の中にいれたまま、きょとんと先生を見返しました。
「君が、この恐竜を見つけることができたのは、きっと君が秘密を守れる子だからだと思うんだ。ステラサウルスは用心深いから、だれにでも心を許すわけじゃない。それにこの恐竜を見ること自体、なかなか人間にはできないんだよ。たとえ運よく見つけることができても、普通の人間にはただの石か捨てられた縫いぐるみくらいにしか見えないはずなんだ」
「ど、どうして……?」
「さあ、たぶん、ステラサウルスがこの世にいることをみんな信じないか、あるいは、たいして重要なものじゃないって思ってるからじゃないかなあ……。とにかく、約束しておくれ。あの恐竜のことは、だれにも言わないと」
「わかったよ。ぼく、秘密は守る」
 まことは、クッキーをごくんと飲み下すと、はっきりと言いました。もちろん、約束はちゃんと守るつもりでした。
「そうか。ありがとう」
 先生は、にっこり笑うと、安心したように、ほっと息をつきました。でも、まことは、好奇心でうずうずしています。知りたいことがいっぱいで、何から聞けばいいかわからないくらいです。まことは、ココアのマグを両手でいじりながら、思い切って言いました。
「でも先生、す、すこし、きいてもいい? 絶対に誰にも言わないから」
「いいよ、教えてあげられることは、何でも教えてあげるよ」
 まことは、ほっとして、まず頭に思い浮かんだことを、たずねました。
「あ、あの恐竜は、本当に、星空に住んでるの?」
「ああ、本当だよ。ステラサウルスはね、ふつう、銀河のほとり辺りに群れをなして住んでいる。あんまり小さいんで地上からはめったに見えないんだが、昔は、今よりもずっとたくさんいたし、人間の心も純朴だったので、とびきり目のいい人間にはときどき大群が銀河をわたるのを見ることができたそうだよ」
「どうして、少なくなっちゃったの?」
「彼らの食べ物はね、星にかけられた願いなのさ」
「星にかけられた願い?」
 まことは、はっとして、思わずココアのマグを落としそうになりました。
「星に願いをかけるとかなうって、そんな歌があるけれど、あれはあながち嘘じゃないんだ。人間の思いや言葉は、目に見えないけれど、確かな力をもっているものなんだ。ほら君だって、友達にキライだとか、バカだと言われたら、悲しいだろう? その反対にスキだとかステキだと言われたら、うれしいだろう。言葉には、どんな言葉にだって心を動かす力がある。昔から、空できらきら輝く美しい星々を見ると、人間は、なんだかとても貴いものに出会ったような気がして、心に秘した望みを打ち明けたりしていた。その願いの言葉は、魂の響きとなって、星に届く。ステラサウルスは、主にそれを食べて生きていた」
「た、食べられた願いは、どうなるの?」
 まことは、急に心配になって、言いました。
「さあ? わからない。ただね。人間だって、ものを食べると、何かが出るだろ?」
 ピケタ先生は、いたずらっぽくウィンクしました。まことは、ぽかんとしていましたが、やがて先生の言った意味がわかって、ぽりぽりと鼻の頭をかきました。
「ステラサウルスも願いを食べて、何かを出すんだよ。それは私たちが、『希望』だとか『夢』だとか、時には『知恵』だとか呼んでるものなんだ。そしてそれは雨や風や、光に混じって、やがて地球上に降りてくる」
 まことは、首をかしげて、うつむきました。先生の言っている意味を、理解するのには、とても苦労がいりました。ただ、星にかけた願いが、そのままかなうことはないんだということはわかって、とてもがっかりしました。
「……昔は、人間はいつも空を見上げて、星に願いをかけていた。でも最近は、みんな星に願いをかけることなんてほとんどないだろう。学問が発達して、みんな星の正体は全部わかった気になってるし、たまにかけることがあっても、その願いには毒が入っていたり、変な味がしたりする。自分勝手な願いや、うらみ言やぐちの混じった願い、むしのよすぎる願い……。そんな願いを食べてしまったら、ステラサウルスは腹をこわす。悪くしたら、死んでしまうんだよ」
 まことはうつむいたまま、ひざの上で、ギュッとこぶしをにぎりしめました。心臓がどきどきしはじめ、涙がじわりとわいてきました。
「……だったら、きっと、ぼくのせいだ。ぼく、さっき願いをかけたんだ。ぼくの願いのせいで、あの恐竜は病気になったんだね。きっとそうなんだ……」
 何かが、おなかの底からこみあげてきて、まことはうっとせきあげました。大粒の涙があふれでました。
「ぼく、おかあさんに、帰って来て欲しかったんだ。おかあさん、出ていっちゃったんだ。ぼくとおとうさんをおいて、もう何日も、帰らない……」
 ピケタ先生は、お茶を机の上におくと、かぶりをふりながら、まことの肩に手をやりました。
「ちがうよ、君のせいじゃない。あの恐竜は……」
「ぼくが悪いんだ。ぼくが、おかあさんのこと、かばってあげなかったから……。おとうさんは、いつも、おかあさんのことを、バカだバカだっていう。何をやってもダメなやつだって。新聞がいつものところになかったり、歯磨き粉が切れていたりするたびに、おとうさんはいつも、おかあさんをせめる。そしておまえはバカだっていう。ぼくは、おとうさんがおかあさんをバカにするの、いやだった。だからいつも、かばってあげたかった。でも、言えなかった。だってぼく、おとうさんがこわかったんだ……」
 気がつくと、まことは、ピケタ先生の腕の中で、大声をあげて泣いていました。ピケタ先生が、やさしく髪をなでてくれるので、まことはずっと小さい子になったような気がして、子犬のようにふるえて泣き続けました。涙は泉のようにあふれ続けて、とまりません。「つらかったんだね。ずっと言いたいことがあったんだね。心にためてあること、ここで吐き出しなさい。楽になるから」
 ピケタ先生のささやきは、まるで呪文のようでした。まことは、今なら何でも話せるような気がして、先生の服に涙をこすりつけながら、すなおにうなずきました。
「……あの日の晩、おとうさんは、とても疲れてたみたいで、とびきり機嫌が悪くて、ぼくもおかあさんもびくびくしてた。おかあさんは、失敗しないよう、一生懸命ごはんをテーブルに運んでた。ぼくも、行儀よくしてた。でも、だめだった。新聞を読んでたおとうさんが、ごはんを食べようとしたとき、テーブルの上にお醤油がなかったんだ。おとうさんの大すきなお刺身にかける、お醤油が……。『醤油がないぞ! このバカ!』おとうさんが、どなった。そのとき、おかあさんは、ちょうどお醤油をもってくるところだった。おかあさんは、何か言おうとしたけど、その前におとうさんはお茶碗をお母さんに投げ付けた。お茶碗は壁にぶつかって、割れた。『出て行け! この役立たず!』おとうさんが、そう言った。そしたら、おかあさんは、泣きながら、出ていった……」
 ピケタ先生は、悲しそうに目を閉じて、首をふりました。まことも泣きながら、何かにぶつけるように、言いはなちました。
「どうしてぼく、あのとき言わなかったんだろう? おかあさんはお醤油もってくるところだったんだよって……。だからせめないでって……。どうして、おとうさんは、おかあさんのこと、いつも怒るんだろう? おかあさんのことがきらいなの?」
「ちがうよ。きっと、きらいなんかじゃない」
 先生は、はっきりと、言いました。まことを抱いた手に、力がこもりました。
「おとうさんはね、言葉を自分で言ってるつもりでも、そうじゃないんだ。世間体や、思い込みや、いろんなものが、お化けのようにおとうさんにかぶさって、おとうさんの口を勝手に操るんだ。おとうさんは、きっと、こう思ってるはずだよ。『ちがう、こんなことを言いたいんじゃない』って。ほんとうはもっと素直に、君やおかあさんのことを愛したい。それなのに、口や体が勝手に動く。そして、どうしておれはこんなにダメなんだって、思う。そんなふうに自分をせめることがつらくて、つい気持ちを一番そばにいる一番好きな人にぶつけてしまう。おとうさんが役立たずって言ったのは、おかあさんのことじゃない。きっと、おとうさん自身のことだ。おとうさんが今一番きらいなのは、おとうさん自身なんだよ」
 まことは、はっとして、顔をあげました。そして先生の目を見上げました。小さな先生の背丈が、いつもよりずっと大きく見えます。いいえ、なんだか知らない別の人のようにも見えます。顔はそっくりなのに、いつもの先生とは、どこか違うような気がします。
「どうして? どうしたら……」
 まことは、ぼんやりと先生の顔を見つめながら言いました。先生はほほえみながら、答えます。
「大丈夫だよ。人間は、ひとりぼっちじゃない。だれかが、きっと見ている。何かが、力をかしてくれる。どうにかしようとしさえすれば、本当に、心から、どうにかしたいと願えば、必ず願いはかなうものだ」
 と、そのとき、隣のへやで、きゅるきゅると恐竜の鳴く声がしました。
「……さあ、今夜、どうして君がここに来たか、ほんとうの訳を教えてあげよう」
 ピケタ先生が、突然、物語を語るように言いました。
「君が願いをかけたからだよ。傷ついたステラサウルスを治すいちばんいい薬はね、にんげんの心の底からの、ほんとうの願いなんだ。君はきっと、心から願っただろう。おとうさんとおかあさんが、仲良くしてくれるようにと……」
 まことは、びっくりしました。なぜピケタ先生が、あのときベランダで、星に向かってつぶやいたまことの言葉を、知っているんでしょう。
 ピケタ先生は立ち上がると、隣の部屋から、また恐竜のベッドをもってきました。そしてそれを、まことのひざの上におきました。ステラサウルスは、小さな頭をもたげて、じっとまことを見ています。磨いたヒスイのような、とてもきれいな瞳です。うろこも、背中の板も、すがすがしく癒えて、とてもきれいに見えました。角は、小さな星が宿っているみたいに、きらきらまぶしく光っています。
「さあ、もう一度、願いなさい。そして、かなうと信じるんだ。そうすれば、どうすればいいかが、自然にわかってくる。星は願いをかなえるのじゃない。願いをかなえようとする君自身の中に、知恵と力と希望を、投げかけてくれるのだ」
 ピケタ先生の声が、まことのおなかの中に、ずしんと響きました。
「ぼく、ぼくの願いは……」
 まことが、言い終わるか、言い終わらないうちに、ステラサウルスがまぶしく光り出しました。光は音もなく、海の泡のようにあふれかえり、部屋中を満たしました。まことには、もう何も見えなくなりました。ただ、遠くから、確かに、どこかできいたことのあるような、かすかなやさしい声が、甘い砂糖のつぶのように、耳の中でとけたような気がします。

 少しの間、わけもわからず、まことはぼんやりと芝生を見下ろしていました。いつしか、恐竜も診療室の白い壁も消えて、まことは元のベランダに立ち尽くしていたのです。振り向いて、部屋の時計をのぞくと、十時を少し過ぎたところ。夜空を見上げると、さっき願いをかけた星が、まるで黒板にチョークをおしつけた白点のように、そっけなく光っています。何もかも夢だったのでしょうか。
 でも、目を閉じると、なんだか心の中が明るくて、自分のまわりに暖かな光が満ちているような気がします。気のせいでしょうか。まことは、ステラサウルスの姿を思い描いてみました。きれいなヒスイの目も、星のような角も、虹色に光る背中の板も、はっきり覚えています。
「夢だなんて、思えないけど……」
 まことは、目をあけると、てすりから身を乗り出して、もう一度あのサツキの茂みを見てみました。と、そこに見えたのは、光ではなく、酔ってふらふらと帰ってくる男の人の姿でした。
「あ、おとうさんが、帰ってきた……」
 とたんに、まことの中で、まるであらかじめしかけられていたかのように、何かがはじけました。おとうさんは、傷ついて、ぼろぼろになって、帰ってきます。その、おとうさんの心の言葉が、まことの胸の中に、ちくちくと痛いように聞こえてくるのです。
(本当は好きなのに。だれより大事なのに。どうしてそんな簡単なことが、おれには言えないんだろう……)
 まことは、どうにかしてあげたくて、たまらなくなりました。そして、どうすればいいか、その答えが、もう当然のように用意されていたことに気づいて、また驚きました。
「そうだ、いっしょに、迎えにいこう!」
 それは、今までにないほど、とてもいい考えのように思えました。どうしてこんな簡単なことに、気付かなかったのでしょう。まことは、ドアを蹴破るようにして、部屋を飛び出しました。
「おとうさんといっしょに、おかあさんを迎えにいこう! そして、何もかも正直に言うんだ。本当の気持ちを、全部言うんだ! ふたりいっしょなら、きっとできる! おとうさんに、そう言おう!」
 階段を全部一気にかけおりると、芝生を横切って歩いてくるおとうさんが、まことを見つけて、おどろいたように立ち止まりました。
「どうしたんだ、まこと……」
「おとうさん!」
 まことは、芝生にようやく立っているおとうさんを、抱きしめでもするように、思いっきり手をひろげました。そして涙いっぱいの顔で、かけだしました。するとおとうさんも、ひきこまれるように、よろよろと歩きだしました。
「まこと、まこと……」
 はるかな空の上では一つの星が、芝生の真ん中で抱き合ったふたりを、ただ静かに見おろしていました。

(おわり)



(1999年、ちこり16号所収)




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