こわれちゃったデジカメくん、それなりにいい仕事をしてくれます。花がずいぶん助けてくれています。
今朝も幼稚園のお庭のヒメツルソバなんかを撮ってみましたが、ピントなどは少し回復してきてるような気がします。何かの具合でしょうか。いっこしかないデジカメくん、しばらく大事に使ってみましょう。おもしろいことができるかも。
ひとつのものを大事に使っていると、いのちがそこに流れ込んでいくような気がしますね。出かけるときは必ず持っていったので、愛着はあります。カメラもわたしを愛してくれてるような気がする。
同じ機種は何万個とあるでしょうが、何の縁か、わたしの手元にきたデジカメ、また妖精になってしまった。生きてるとしか思えない。カメラでないカメラになってしまいそうです。
このコスモスも、とてもやさしそうです。疲れているもの、弱っているものをみるとき、花はほんとうにうるわしいささやきをくれる。あ い を く れ る。
(なんとかしてあげたい。)
そういっている。
聞えない愛の響きが、ひとの胸に届くようになるのは、傷つき果てて、疲れ果てているときだけかもしれない。何もかもなくさなければ、人はそれに気づかないのかもしれない。
愛がすべてを支えていることを。