写真は、あの有名な「矢車」とばれる帯留めです。
ミキモトが1937年のパリ万博に出品して話題を
あつめたジュエリーです。
現在は、ミキモト真珠島博物館に所蔵されています。
プラチナ、18金ホワイトゴールド、養殖真珠、
ダイヤモンド、エメラルドからなる11個のジュエリーを
13個の部品を組み合わせることで、帯留めになった
り、ブローチになったり、髪飾りやリングとして使える
ジュエリーです。もの凄いジュエリーだと思います。
一つの帯留めに、これだけの機能を持たせた感覚は
その時にこれをつくった人たちの「技」があったから
でしょう。
…でも、ここで思うのは、この技というものは、国が持てる
モノではなく、人が持つ、ということです。
日本の歴史やこの時代の環境が、この技を育んだ
のだろうと思いますし、この「矢車」をつくった
職人さんたちは、誇りと使命を感じて未知なる
西洋のジュエリー文化に立ち向かったのでしょう。
さて…
最近はテレビや雑誌などで、「日本の技術は素晴らしい」
とよく目にしますが、勘違いしてはいけないのは、
それは、先輩方の仕事で、
今の私たちではないという事です。
その情報を見たいまの人が、「私たちの先輩が頑張った」と
自信をつける…。それは良いのですが、
「日本の…」をつけるとおかしくなります。そもそも…
今の日本、そんなに頑張っているのでしょうか?
100年前にヨーロッパに技術を学び進化した日本… 今は、日本から技術を学び進化していく中国… 何となく同じように感じるのです。 「日本の技術を中国が盗んだ!」というニュースを 見ると、「アメリカの自動車技術を盗んだ!」と デトロイトでいじめられていた一昔前の日本の自動車 と同じように感じます。 「矢車」を見ていると、 「あなた…自分でやったらどうだい…」といわれて いる様な気がします。 自分を磨くこと、高めることが大切ですね。 それと… 他人、他国との比較の中に生まれる感情は、 なんだか「醜い」なと感じました。