球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

ブランク・ニューロン

2007-04-25 | 趣味(旅行・娯楽・読書・食)
たまに、書くことが思いつかない日があります。
今日です。昨日もそうでした。

頭を空にする時間を設けることでストレスから身を守る代わりに、
文を織り成す脳までちょっと麻痺してしまうみたい。

ムリヤリ書いてみたらどうなるかと思って書いてみたら、
読み返して昆虫の抜け殻以下の文章だと思いました。
でも、ネタがないのに無理に書いて内容がしょぼくなるのは仕方ないと思います。



それってなんか意味があるんですか?ネタがないなら書かなきゃいいじゃん
って思いますよね。その気持ちはわかります。

ですが、今日の記事は実験の趣があります。

例えば、昔いじめに遭っていたという事実を
"私は昔いじめられていました"と表現するか、
"あなたの言葉で、相手がどれだけ傷つくかわからないんですか?"と表現するかという問題と似ています。



もう少し具体的に書いてみましょう。

今日の第一段落は前者のニュアンスを持った書き出しで始めてみました。
誰でもできますね。

ですが、今日の第一段落を後者のニュアンスで書くとしたらどうなるでしょうか?
…僕にはわかりません。つまりそういう実験なのです。

前段落でしたら、"嫌な過去"を"嫌な過去"のまま表現するか、
"嫌な過去"を"重みある批判"と変換して表現するか、という相違があります。

今日の話ならば、"書くことがない"を"書くことがない"のまま表現するか、
何かに変換して表現するか、を考えてみることができます。
これのプロが芸術家な訳で("芸術家=これのプロ"ではない。)。



あなたは芸術家になりました。
一流の芸術家は、自分のあらゆるもの(脳科学的ポートフォリオ)を
美にまで昇華するのだといいます。

以下の言葉を美に変えてください。
"かくことねぇ"



…最初は書くことがなかったんですが、
適当に書いているうちにネタが湧いてきて変換作業を怠ってしまった都合で、
『ブランク・ニューロン』としては失格だったかもしれません。
しかしそれと同時に、今日の記事自体が変換作業の結果とも言えます。
さぁ、どうしましょうか。
コメント
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