球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

日記帳が新しくなる。

2007-04-01 | たぶん難解な話
日記帳が新しくなる、嬉しいこと。嬉しいこと。
このBlogが日記帳には叶わない部分かもしれない。
ちょっとした小物に、『ときにはまちゃん、今日から新年度だね』って話しかけられているみたい。
何も押し付けてこないのがとても好ましい。



今日は書きたいことが山ほどある。誰かに聞いてもらいたいこと、話したいことが山ほど…
今日中に書ききることはできないと思う、だから小出しに書こう。



エイプリルフール。
元は結構真面目な内容だったんだ。
まぁ、友人yもよく主張しているが、こういうイベントをswallowする輩が多いのも確かで。
こういう風習ができていくのは、言葉の誤用がまかり通っていく
プロセスに近いんじゃないかなって思うことがある。
単に使用者の思い込みだったものが、ある物量を超えると誤用と認識する機関が機能しなくなり…。

結論:エイプリルフールは、何を言ってもいい

って結論づけるのと、『ウソをついていい』って結論付けること。
前者は、『それはない』ってにべもなく否定されるだろうけど、
後者は、何故か容認されるんだろうな。情けない。

恐らくは数量の差でしかないから、前者のような結論をつけて問題ないと思うんだ。

やがて、365日にそれぞれこじつけて何をしてもいい日にしてやる。
死ぬまでの野望としてとっておこう。



…最終段落だけど、話としては一番難しくなる。

"インスピレーションを得る。"

割と最近僕が言い出した言葉。でも、この概念自体は全然難しい話じゃなく、
"刺激を求める"という言葉と意味は殆ど一緒。
休日はインスピレーションを求めに街に繰り出す。
刺激を求めに街に繰り出す。
そういった欲望は理性とは別のところにあって、止めることができない。

今、"殆ど"と言った。そう、全てじゃない。
インスピレーションとは、音楽の世界でよく"霊感"と訳される。
作曲家の解説で、"霊感"と訳される。

僕は、そこで"刺激"と"インスピレーション"の使い分けをしようと思う。
後者は、"創る"ことを非常に強く意識した言い回しであると解釈する。
前者は、自分をドライブする要因というニュアンスをもつものの、
"ドライブされた結果の出力先"まで責任を負わない言葉である、と僕は定義する。

『"ものづくり"は、きっと俺の天職になるだろう。』
社会人を1年やって、それを感じた。

だからインスピレーションという言葉は前向きに使っていく。
自分の想いをどこにぶつける?有形か無形か、色々試している。
まだわからない。センスもない。花は咲いていない。

でも、仕事でも、趣味でもインスピレーションを得られるもの、人には惹かれ続けた2006年度。
それを表出することを天職と考えるのは、結構自然なことだった。

そんな訳で今日は六本木まで行って"クラインブルー"を買ってきた。
説明のつかない安定感。一種のお守りだ。

2007年度も、一層多くのインスピレーションが得られますように。
より出力の腕を磨き、頭にあるものと出てきたものの差にしじゅう悩むことのないように。


そんなことを今日は神社にお願いもしてきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする