球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

50cmのものさし

2004-11-17 | 初期の投稿
今日は就職説明会というものに行ってまいりました。
それをきっかけにして書ける文章はいくつかありますが、
今日は「人脈を広げるということ」にテーマをおいて書いてみます。
さらに正確に言うなら、なおかつ僕に足りないもの、です。

「これから社会人になるべき僕は、いろいろ込み入った理由はありますが
 兎角コミュニケーション能力を自分で見つけなければいけないと考えます。」


よそのオーケストラに演奏しに行ったり、学校生活で「友達の友達」と出会うとき。
特に輝きの強い学生生活を送っているとはとても言えない僕ですが、
この数年間で「出会い」はそれ相応にあったと思います。
毎日同じような学校生活を送ってきた気がするものの、
会っている人、という観点だけでも僕の生活は少しずつ変化していました。
…と言いたいのですが、その出会いをどれだけ僕は生かせたのか…

出会いを無駄にすることを日常としている僕。
人脈を作るというか、友達を作るのが僕はあまりうまい方ではありません。
その理由の一つに、距離感の見極めができないということがあります。

距離感…
相手との距離感を考えて、皆さんも臨機応変に人付き合いをしていることと思います。

頭の中でその距離感というのを実際にスケーリングしてみましょう。
恋人を0~3cm、
友達を5~30cm、
赤の他人を…1m?とします。
 ※各々の数値にあまり意味はありません
で、僕の中にある大きい疑問。
「知り合いってどれくらいなんだ?」
僕の友達が仲良くしていて、僕にとっては顔と名前を知っているくらいの関係。
40cm~70cmくらいでしょうか?

友達が10cmの定規を使ってそういう人と話すわけです。
僕は…10cmではいけないと思うし、1mというのもちょっと詰めなすぎではないかということで
程よい長さの定規を探すのですが、僕は50cmのものさしを持っていない。
そして、その長さを見誤る。見誤る。
(全体的に、最初に短めに見積もってしまって
 後に単独で話すことになったときに距離感がわからなくなるというパターンが殆どですが…)

距離感を測る際、「その人を何と呼ぶか」という一大問題があります。
呼称こそが距離感を測るシンプルなバロメータともいえます。

そんなことをいちいちクローズアップするのは僕くらいかもしれません、
しかし僕は、人一倍(人数十倍)この作業に時間を使います。
僕にとって距離感を見失うのは、かなりのケースにおいて「呼び方」を見失うことと言って語弊はありません。
長い間会っていない人に久しぶりに会ったら、その人の呼び名が僕の中から失われていることもしばしばです。

冒頭に書いた「僕に足りないこと」とは、その辺のさじ加減ということになります。
それが克服できれば、もっと世界が広がってくれるのではないかと思います。

それがもしうまくいったら、就活の際アピールできる欄がまた一つ増えることになります。
しかし、現段階では克服に至らず臭いものには蓋をするようにしてそのテの話を避けていく状態でもあります。

ひじを曲げたり伸ばしたりしながら、しばらくそのことに腰を据えて取り組むつもりです。
コメント (4)
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