橘朝臣奈良麻呂結集宴歌十一首
手折らずて散りなば惜しと我が思ひし秋の黄葉をかざしつるかも
めづらしき人に見せむと黄葉を手折りぞ我が来し雨の降らくに
右二首橘朝臣奈良麻呂
黄葉を散らす時雨に濡れて来て君が黄葉をかざしつるかも
右一首久米女王
めづらしと我が思ふ君は秋山の初黄葉に似てこそありけれ
右一首長忌寸娘
奈良山の嶺の黄葉取れば散る時雨の雨し間なく降るらし
右一首内舎人縣犬養宿祢吉男
黄葉を散らまく惜しみ手折り来て今夜かざしつ何か思はむ
右一首縣犬養宿祢持男
あしひきの山の黄葉今夜もか浮かび行くらむ山川の瀬に
右一首大伴宿祢書持
奈良山をにほはす黄葉手折り来て今夜かざしつ散らば散るとも
右一首<三>手代人名
露霜にあへる黄葉を手折り来て妹とかざしつ後は散るとも
右一首秦許遍麻呂
十月時雨にあへる黄葉の吹かば散りなむ風のまにまに
右一首大伴宿祢池主
黄葉の過ぎまく惜しみ思ふどち遊ぶ今夜は明けずもあらぬか
右一首内舎人大伴宿祢家持
以前冬十月十七日集於右大臣橘卿之舊宅宴飲也
(万葉集~バージニア大学HPより)
同き十三日庚申夜、女蔵人御前に菊花奉りけるに、みこたち上達部まいりつかうまつりてよもすからろく給はせける時、いまた侍従にてさふらひけるか、菊をかさしてよみ侍ける 大納言重光
時雨にも霜にもかれぬ菊の花けふのかさしにさしてこそしれ
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)
同七年十月十三日、内裏にて庚申の御あそびありけり。女蔵人菊花のひわり子をたてまつる。大納言高明卿・伊予守雅信朝臣御前に候。楽所の輩(ともがら)は御壺にぞ候(さうらひ)ける。大納言琵琶を弾じ、朱雀院のめのと備前命婦、簾中にて琴を弾じけり。むかしは、かやうの御遊つねの事なりけり。面白かりける事かな。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)
同じ十三日、内裏に行幸なり。(略)
朝餉(あさがれゐ)にて行幸待ち聞ゆるに、右大臣殿参り給て、剣璽持つべき事など教へさせ給。裏菊の五衣〔平文あり、紅の単〕、裏山吹の唐衣〔平文〕、生絹の袴なり。内侍、大盤所に進めば、障子口に出むかひて受け取りつゝ、夜の御殿に設け侍御二階に置き奉る。紫の練りたる絹を覆ふ。(略)
(竹むきが記~岩波・新日本古典文学大系51)
かみな月れいのとしよりもしぐれがちなるこゝちなり。十餘日のほどにれいのものする山でらに もみぢも見がてらとこれかれいざなはるればものす。けふしもしぐれふりみふらずみひねもすにこの山いみじうおもしろきほどなり。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)
行幸には、親王たちなど、世に残る人なく仕うまつりたまへり。春宮もおはします。例の、楽の舟ども漕ぎめぐりて、唐土、高麗と、尽くしたる舞ども、種多かり。楽の声、鼓の音、世を響かす。
(略)
木高き紅葉の蔭に、四十人の垣代、言ひ知らず吹き立てたる物の音どもにあひたる松風、まことの深山おろしと聞こえて吹きまよひ、色々に散り交ふ木の葉のなかより、青海波のかかやき出でたるさま、いと恐ろしきまで見ゆ。かざしの紅葉いたう散り過ぎて、顔のにほひけにおされたる心地すれば、御前なる菊を折りて、左大将さし替へたまふ。
日暮れかかるほどに、けしきばかりうちしぐれて、空のけしきさへ見知り顔なるに、さるいみじき姿に、菊の色々移ろひ、えならぬをかざして、今日はまたなき手を尽くしたる入綾のほど、そぞろ寒く、この世のことともおぼえず。もの見知るまじき下人などの、木のもと、岩隠れ、山の木の葉に埋もれたるさへ、すこしものの心知るは涙落としけり。
承香殿の御腹の四の御子、まだ童にて、秋風楽舞ひたまへるなむ、さしつぎの見物なりける。これらにおもしろさの尽きにければ、他事に目も移らず、かへりてはことざましにやありけむ。
(源氏物語・紅葉賀~バージニア大学HPより)
(略)まだ朝霧のほどに帰りにしも、さすがなど、何となうをかしかりしことども思し出でられて、時雨かきくらす夕つ方、吹きまよふ嵐にたぐふ香りは、かれとばかりより、かことがましくて、参り給へれば、大将は殿へおはしにけり。女宮、色々の紅葉のちりまがふ庭の錦を御覧じつつ、少し端近うぞおはしける。上あをき紅葉の御衣(ぞ)、こき御単衣、ややうつろひたる菊、二重織物の小袿奉りなしたるからは、花のにほひ、千入(ちしほ)の紅葉も、おのが色に色を添へたる心地して、えも言はず光ことなる御さまの、けだかうなまめかしさ、奥深う心恥づかしげなるものから、たをたをとらうたくなつかしげにおはしますさまぞ、なかなか言へばまことしからぬや。
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)
十月(かんなづき)十日ごろ、長谷(はつせ)に參り侍れば、河原の程にて、ほのぼのと明くるに、川霧立ちて、行くさきも見えず、横雲の空ばかり氣色見えて、いとおもしろし。
川霧にみちこそ見えね小(を)ぐるまのまはりて何處わたせなるらむ
宇治なるをちといふ所を見れば、いづれ昔の跡ならむ、と色々の紅葉ども見えたるに、知る人あらまほしく覺ゆ。
おぼつかな何れむかしの跡ならむをちかた人にことや問はまし
槇島(まきのしま)といふ所、洲崎(すさき)に鷺の居たる、大きなる水車(みづぐるま)に紅葉の色々錦をかけ渡したらむやうなり。芝つむ舟どもあり、積み果てて、いそぎ岸を離れむとするもあり。
こころぼそやゐぐひにつなぐ芝舟(しばぶね)の岸をはなれて何地(いづち)行きなむ
平等院を見れば、極樂の莊嚴(しゃうごん)、ゆかしく見るとかや聞ゆるも理に、紅葉の色さへ異なるも、時雨もこの里ばかりわきて染めける。都のつとに折らまほしく、歸らむたびと思ひなして過ぐるに、又贄野(にへの)の池といふ池のはたを過ぐれば、鳥のおほく水に下り居てあそぶ。「なにぞ。」と問へば、「鴎(かもめ)といふ鳥なり。」といへば、
池水もあさけの風もさむけきに下り居てあそぶかもめどりかな
春日にまゐり著きて、宮めぐりすれば、春日野はるばると入りて、鹿の伏す萩も霜枯れて見えず。
春日野はしかのみぞ臥す霜がれて萩のふる枝もいづれなるらむ
御前にまゐりたれば、假殿(かりどの)の御程にて、やうやう作りたてまゐらする、いとたふとし。心のうちに、
たのもしや三笠の山をあふぎつつかげにかくれむ身をし思へば
さて猿澤池を見れば、濁りなく澄みて、采女が身を投げけむ昔の影も、いま浮びたる心地して、今はと見けむ面影を、我ながらいかに鏡のかげの悲しと見けむ。御幸ありけむ帝の御(み)心地も、かたじけなく哀なり。
思ひやる今だに悲しわぎも子がかぎりのかげをいかが見つらむ
とあはれなり。長谷にまゐりたれば、あさぼらけ霧立ちて、刈田の面(おも)さびしきに、鶴の群れ居て鳴きあひたる聲、いとすごし。
秋はつる山田の庵のさびしきにあはれにも鳴くつるのこゑかな
三輪山(みわのやま)といふ所を見るに、音に聞くばかりなりしを、ゆかしく心もとなけれど、かへらむ度と思ひて過ぎぬ。長谷にまゐりつきて登廊(のぼりらう)を入るより、貴(たふと)く面白き事の世にあるべしとも覺えず。らんしゆのけしきもなべてならず貴く、かひがひしく、心にしむる面影、信(しん)おこりて、年月のあらまし、今日こそと嬉しき事限りなくて、御帳(みちゃう)もあきて拜まれさせ給ふ。おりなむ後いかゞ、と覺ゆ。
へだたらむ後を思へば戀しさのいまよりかねてなみだこぼれぬ
かねては、長閑に思ひしかども、めでたき御世のひしめきて、京より使あれば、心も心ならず。曉はいそぎ下向するに、都もいそぎながら、又これも名殘おほし。この度ぞ、三輪にまゐる。音に聞きしよりは貴く、杉の木に輪を三(みつ)つけたるもおもしろし。
年月はゆくへも知らで過ぎしかど今日たづね見る三輪の山もと
三(み)つなりなれる杉の實の落ちたるを取り拾ひて、宿願ありて、又まゐらむ折かへしおかむ、と思ふに、
しるし見むしるしの杉のかたみとて神世わすれず行く先を待て
又玉井(たまのゐ)といふ所過ぐる。「いでやあらむ水は」といへば、汲みて來たり。
汲み見れば戀さめにこそなかりけれ音に聞き來したまの井の水
(中務内侍日記~有朋堂文庫「平安朝日記集」)
野路といふところ、こしかた行くさき人も見えず、日はくれかゝりていとものがなしと思ふに、時雨さへ打ちそゝぐ。
うちしぐれ故郷おもふ袖ぬれて行くさきとほき野路のしの原
今夜は鏡といふ所につくべしとさだめつれど、暮れはてて、え行きつかず。守山といふ所にとゞまりぬ。こゝにも時雨なほしたひきにけり。
いとゞ我袖ぬらせとややどりけむまなく時雨のもる山にしも
けふは十六日の夜なりけり。いとくるしくて、うちふしぬ。いまだ月の光かすかにのこりたる明けぼのに、守山をいでて行く。野洲川わたるほど、さき立ちてゆく人のこまのあしおとばかりさやかにて霧いとふかし。
旅人はみなもろともに朝たちてこまうちわたすやすの川霧
(十六夜日記~バージニア大学HPより)
十月十三日、鳥羽殿へてうきんの行幸にて、よひのほどはしぐれもやなど思ひ侍しに、あしたことに晴て、いとめでたくぞ侍し。鳥羽殿の御所のけいきのおもしろさ、ことわりにもすぎたり。いろいろのもみぢも、をりをえたる心ちす。りょうどうげきすうかべる池のみぎはの紅葉など、たとへんかたなし。かみあげの内侍、こう當の内侍、少將内侍なり。日ぐらしかみあげて、さまざまの内侍おもしろくめでたきことゞも見いだして、「おいのゝちのものがたりは、いくらも侍べし。」などいひて、少將内侍、
かたり出む行末迄の嬉しさはけふのみゆきのけしき成けり
これをきゝて、辨内侍、
よゝをへて語り傳へん言のはやけふ〔のみ〕庭の紅葉なる覽
還御のゝち、めでたかりしその日の事ども申いでゝぞ、めしたるまね、たれがしはなにいろいろと、少々はぎのとにてしるし侍しに、太政大臣殿のうらおもてしろき御したがさね、ことにいみじくおぼえて、辨内侍、
白妙のつるの毛衣なにとして染ぬをそむる色といふ覽
(弁内侍日記~群書類從)
かくて神無月中の五日の暮方に、庭に散敷くならの葉を蹈鳴して聞えければ、女院、「世を厭ふ處に、何者の問ひ來るやらん。あれ見よや。しのぶべき者ならば急ぎ忍ばん。」とてみせらるるに小鹿の通るにてぞ有ける。女院「如何に。」と御尋あれば大納言佐殿涙を押て、
岩根ふみたれかはとはんならの葉の、そよぐは鹿の渡るなりけり。
女院哀に思食し、窓の小障子に此歌を遊ばし留させ給ひけり。
(平家物語~バージニア大学HPより)
長徳三年十月十二日。
左大殿(道長)から召しが有った。作文会によるものである。大内記(紀)斉名朝臣が題を献上した。「寒花を客の為に植えた」と〈心を韻とした。〉。文章博士(大江)匡衡朝臣が序を献上した。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)
寛弘元年十月十四日、甲午。
後剋、雨が晴れた。内裏に参った。松尾社に行幸が行なわれた。(略)私は御禊が終わって御拝が行なわれた後、挿頭花(かざしのはな)を取って、右衛門督に渡した。殿上人が舞人と陪従に下給した。次に宣命を金吾(斉信)に賜わった。次に御馬を馳せた。次に金吾が社頭に赴いた。東遊の後、高麗舞、各二曲を奏した。陵王と納蘇利である。祭使が帰り参った後、見参簿を奏上した。次に禄を下給した。内裏に還った。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)
十月十余日のほどに里にゐて、万の事につけても、おはしまさましかばと、常よりも忍ばれさせ給へば、御姿にこそ見えさせ給はねど、おはします所ぞかしといへば、香隆寺に参るとて見れば、木々の梢ももみぢにけり。外のよりは色ふかく見ゆれば、
いにしへを恋ふる涙の染むればや紅葉の色もことに見ゆらん
御墓に参りたるに、尾花のうら白くなりて招き立ちて見ゆるが、所がらさかりなるよりも、かかるしもあはれなり。さばかり我も我もと男女の仕うまつりしに、かくはるかなる山の麓に、馴れつかうまつりし人も一人だになく、ただ一所招きたたせ給ひたれども、とまる人もなくてと思ふに、大かた涙せきかねて、かひなき御あとばかりだにきりふたがりて見えさせ給はず。
花すすき招くにとまる人ぞなきけぶりとなりしあとばかりして
たづね入る心のうちを知りがほに招く尾花を見るぞくるしき
花すすき聞くだにあはれつきせぬによそに涙を思ひこそやれ
(讃岐典侍日記~岩波文庫)
去じ嘉應二年十月十六日に、小松殿の次男新三位中將資盛卿、その時はいまだ越前守とて十三になられけるが、雪ははだれに降たりけり。枯野の景色まことに面白かりければ、わかき侍ども三十騎ばかりめし具して、蓮臺野や、紫野、右近馬場に打出でて、鷹どもあまたすゑさせ、鶉、雲雀をおたて/\、終日にかり暮し、薄暮に及んで六波羅へこそ歸られけれ。
(平家物語~バージニア大学HPより)
十月十二日平泉にまかりつきたりけるに雪ふり嵐はげしく殊の外にあれたりけるいつしか衣川見まほしくて罷り向ひて見けり川の岸につきて衣川の城しまはしたる事柄やうかはりて物を見る心ちしけり汀こほりてとり分けさびければ
とりわきて心もしみてさえぞわたる衣川見にきたるけふしも
(山家和歌集~バージニア大学HPより)
(2013年10月27日の「古典の季節表現 冬 十月中旬」の記事は削除しました。)