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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 冬 十月二十日頃

2015年10月20日 | 日本古典文学-冬

十月中の十日なれば、神の斎垣にはふ葛も色変はりて、松の下紅葉など、音にのみ秋を聞かぬ顔なり。(略)「求子」果つる末に、若やかなる上達部は、肩ぬぎて下りたまふ。匂ひもなく黒き袍に、蘇芳襲の、葡萄染の袖を、にはかに引きほころばしたるに、紅深き衵の袂の、うちしぐれたるにけしきばかり濡れたる、松原をば忘れて、紅葉の散るに思ひわたさる。
(源氏物語・若菜下~バージニア大学HPより)

神無月の二十日あまりのほどに、六条院に行幸あり。紅葉の盛りにて、興あるべきたびの行幸なるに、(略)
東の池に舟ども浮けて、御厨子所の鵜飼の長、院の鵜飼を召し並べて、鵜をおろさせたまへり。(略)
 山の紅葉、いづ方も劣らねど、西の御前は心ことなるを、中の廊の壁を崩し、中門を開きて、霧の隔てなくて御覧ぜさせたまふ。
(源氏物語・藤裏葉~バージニア大学HPより)

宝治の頃、神無月二十日あまりなりしにや、紅葉御覧じに、宇治に御幸し給ふ。上達部、殿上人、思ひ思ひ色々の狩衣、菊紅葉の濃きうすき、縫物、織物、綾錦、すべて世になき清らを尽し騒ぐ。いみじき見物なり。殿上人の船に、楽器をまうけたり。橘の小島に御船さしとめて、物の音ども吹きたてたる程、水の底も耳たてぬべく、そぞろ寒き程なるに、折知り顔に、空さへうちしぐれて、まきの山風あらましきに、木の葉どもの、色々散りまがふ気色、いひ知らず面白し。女房の船に、色々の袖くち、わざとなくこぼれ出でたる、夕日に輝きあひて、錦を洗ふ九の江かと見えたり。平等院に、中一日渡らせ給ひて、様々の面白き事ども数知らず。網代に氷魚の夜もさながらののしり明かして、帰らせ給ふ。
(増鏡~和田英松「校註 増鏡 改訂版」)

 道すがら、神無月二十日頃なれば、紅葉かつ散り、面白き所々御覧ずるに、尾のといふ所に、小柴垣、遣水して、心殊(こと)なる家居のほどにて、時雨はらはらとしける。「よき便りぞ」とて、みな下りて、端つ方をさし覗き給へば、端童(はしたわらは)二人さし向かひて、一人、「時雨の上に霰降るなり」とうち出でたれば、「神無月とも知る人ぞ知る」と言へば、一人大人しきは抜き足になりて隠れぬ。
(海人の刈藻~「中世王朝物語全集2」笠間書院)

夜一夜遊び明かしたまふ。二十日の月はるかに澄みて、海の面おもしろく見えわたるに、霜のいとこちたく置きて、松原も色まがひて、よろづのことそぞろ寒く、おもしろさもあはれさも立ち添ひたり。
(源氏物語・若菜下~バージニア大学HPより)

あふげども我が身たすくる神無月さてやはつかの空をながめん
(今物語~講談社学術文庫)

十月中の十日頃法金剛院の紅葉見けるに上西門院おはしますよし聞きて待賀門院の御とき思ひ出でられて兵衞殿の局にさしおかせける
紅葉見て君がたもとやしぐるらむ昔のあきのいろをしたひて
かへし
色深き梢を見てもしぐれつゝふりにしことをかけぬ日ぞなき
(山家和歌集~バージニア大学HPより)

二十日 壬午 景能此ノ間、鶴岡ノ馬場ノ辺ニ於テ、小屋ヲ構フ。是レ宮寺ヲ警固セン為ナリ。今日移徙ノ儀有リ。而ルニ其ノ庭上ニ多ク樹ヲ栽エ各紅葉盛ンニシテ、錦ノ如シ。太ダ興ヲ催スノ由、之ヲ申サシムルニ依テ二品、彼ノ所ニ入御シタマフ。若宮ノ別当参会。御酒宴ノ間、児童延年ニ及ブト〈云云〉。
(吾妻鏡日【文治四年十月二十日】条~国文学研究資料館HPより)

長徳三年十月十九日。
平中納言(惟仲)が陰陽寮が選び申した、止雨の臨時奉幣使を丹生・貴布禰社に発遣し奉られる日時勘文を奏上させた。天皇は、二十一日に出立させるよう、おっしゃった。赤馬については、左右馬寮に命じさせた。左衛門尉(橘)則光に丹生使、文章生(藤原)広業に貴布禰使を命じた。
二十日。
平中納言が触穢であることを申してきた。そこで右大将(藤原道綱)に奉幣使発遣の上卿を命じられた。
二十一日。
未剋、右大将が陣座に参った。内記(藤原)信義に命じて、宣命の草案を奉らせた。弓場殿に参った。私に奏覧させた。天皇がおっしゃって云ったことには、「草案により」と。清書して、また奏上させた。返給した。その後、還って座に着した。陣官に命じて詩社を召させた。すぐに丹生使則光が、敷政門と宣仁門を経て、膝突に参着した。宣命を賜わった。貴布禰使もまた、同じようにした。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)