春の夜
春の夜(よ)更(ふ)けぬ母上は
雛(ひいな)の灯(ともし)入れたまふ
笑ひさざめき袖つらね
少女(をとめ)はわが家(や)にあつまりぬ。
十二一重(ひとへ)のくれなゐに
夜(よる)のあいろは美(うつく)しう
玉蟲色のくちびるは
雛(ひいな)の宵にふさはしや。
櫻月(さくらづき)なりおぼろなり
衣桁(いかう)にかかる振袖の
金絲(きんし)の縫(ぬひ)に赤き灯(ひ)は
夢のごとくにてりはゆる。
袖に秘めたる香函(かうばこ)の
にほひは誰(たれ)のたはむれか
中(なか)の一人は内裏雛
雛(ひいな)の顔を眺めしが。
そのおもざしのなき母の
顔に似たりとささやきて
白粉(おしろい)つけし頬(ほ)の上(うへ)に
可愛(かあ)ゆき涙流しぬる。
(有本芳水「芳水詩集」より)
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