あはれなるもの
(略)九月三十日、十月一日の程に、唯あるかなきかに聞きつけたる蟋蟀の聲。鷄の子いだきて伏したる。秋深き庭の淺茅に、露のいろいろ玉のやうにて光りたる。川竹の風に吹かれたる夕ぐれ。
(枕草子~バージニア大学HPより)
風は
(略)九月三十日、十月一日のほどの空うち曇りたるに、風のいたう吹くに、黄なる木の葉どもの、ほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。櫻の葉、椋の葉などこそ落つれ。十月ばかりに、木立多かる所の庭は、いとめでたし。
(枕草子~バージニア大学HPより)
長月のつごもりいとあはれなるそらのけしきなり。まして昨日今日風いとさわぎてしぐれうちしつゝいみじくものあはれにおぼえたり。とほ山をながめやれば紺青をぬりたるとかやいふやうにてあられふるらしともみえたり。「野のさまいかにをかしからん、みがてらものにまうでばや」などいへばまへなる人「げにいかにめでたからん、初瀬にこのたびはしのびたるやうにておぼしたてかし」などいへば「去年も心みんとていみじげにてまうでたりし石山の佛心をまづみはてゝ春つかたさもものせん、そもそもさまでやは猶うくていのちあらん」など心ぼそうていはる。
そでひづる時をだにこそなげきしかみさへしぐれのふりもゆくかな
すべてよにふることかひなくあぢきなき心ちいとするころなり。
(蜻蛉日記~岩波文庫 S17第一刷)
などいふほどに九月になりぬ。つごもりがたにしきりて二夜ばかりみえぬほどふみばかりあるかへりごとに
きえかへりつゆもまだひぬ袖のうへにけさはしぐるゝそらもわりな し
たちかへりかへりごと
おもひやる心のそらになりぬればけさはしぐるとみゆるなるらん
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)
ころは、なか月の廿日あまりの、事なれは、くれ行空も、物すこく、さもあらぬそても、つゆのやとりと、なるおりから、ゆふへのあらし、身にしみて、あはれ也
(略)
さて、夜もやうやう、ふけ行は、野風すさましく、のきはのをきに、こゑたてゝ、とこもあらはに、なくむしの、いのちに秋を、ゝしむかと、一かたならす、あはれをそふるたまくらに、ありあけ月の、まとににしより、さしいりたるに、なみたの露の、たまかつら、みたれてのこる、まゆすみの、ほけやかなりし、かほはせは、それなから、しほめる花を、見る心ちして、色をとろへて、にほひもなく、やせたるすかたを、みるにも、物を思ひける、心の程も、しられつゝ、一かたならぬ、つらさなれは、ほとなく明るかねのねの、なさけもしらぬ、鳥の八こゑ、はやのこりすくなく、きこえしかは(略)
(松姫物語~「室町時代物語大成12」)
長月の末つ方、朝餉(あさがれひ)の御前の前栽ども片へは霜枯れわたりたるに、まことに並ぶにほひなき菊の色々を御覧じつつ、白き生絹(すずし)、紅の御衣(おんぞ)ども、いたうしみかへり艶(えん)なる心地するに、しどけなうおしやられたる御袖のかかり御衣(ぞ)の裾までも、気高うなまめかしげなるさまに、さは言へど際ことにぞ見えさせ給ふ。御前(まへ)にも、さるべき典侍(ないしのすけ)などやうの人々ばかりにて、のどやかにながめいでさせ給へる夕つ方、中納言中将参り給へり。紫苑色の直衣に、女郎花の生絹(すずし)二つばかり引き重ねて、薫りなつかしげにうちにほひて候ひ給へる有様の、常よりことにめでたう見えて、一品宮にぞいとよう通ひきこえ給へる。
(略)
一条の院にも、しをるる花の秋の嵐に招く尾花の袖も露けう見わたさるる夕べの気色を、女宮もろともに端近うながめ給ひつつ、「萩が花ずり」などうたひすさび給ひて、御琴すすめきこえ給へば、筝の御琴などなつかしげに掻き鳴らせ給ふほどなりけり。(略)
唐の薄物の二藍の御直衣に、竜胆(りうたん)の織物の指貫、織り浮かされたる花の枝ざし、手折りて見たらんよりもなほにほひ多きに、紅葉の色々の御衣(おんぞ)ども、えも言はずめでたう光ことに着なし給ひて参り給ひつれば、(略)
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」)
やをら起き上がらせ給ふに、かことがましくこぼれかかる御額髪を、少しかきやらせ給ふとて、さし出でたる御手つき白く、うつくしげさぞ、たとへののなきや。女郎花の御衣(ぞ)の、なよよかに染(し)み深きに、紫苑の織物など奉りたる御用意有様、よろづにつけて、なほ人にはことに、らうたく心苦しう気高きものから、はなばなとにほはしう、まばゆきまで、光ことにおはしますを、ただ今はじめて見奉らん人のやうに、めづらしく嬉しうて、日頃の御物語こまやかに、伏見の里思ひ出でて、あはれなりつるほどのことどもなど聞こえ給ひつつ、山里のつとに持たせ給へりける色濃き紅葉など、御覧ぜさせ給へば、をかしと思しめして、異(こと)ごとなく御目とどめさせ給へり。御硯引き寄せさせ給ひて、これに手習ひなどし給ひつつ、男君、
千入(ちしほ)まで染(そ)むる紅葉も君を思ふ心の色にたぐひやはする
と書きて、見せ奉り給へば、
色深く思ひそめても言の葉の秋果てがたはいかがたのまん
と、習ひすさませ給ふを、(略)
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」)
秋の末つ方、四季にあててしたまふ御念仏を、この川面は、網代の波も、このころはいとど耳かしかましく静かならぬを、とて、かの阿闍梨の住む寺の堂に移ろひたまひて、七日のほど行ひたまふ。姫君たちは、いと心細く、つれづれまさりて眺めたまひけるころ、中将の君、久しく参らぬかなと、思ひ出できこえたまひけるままに、有明の月の、まだ夜深くさし出づるほどに出で立ちて、いと忍びて、御供に人などもなくて、やつれておはしけり。
川のこなたなれば、舟などもわづらはで、御馬にてなりけり。入りもてゆくままに、霧りふたがりて、道も見えぬ繁木の中を分けたまふに、いと荒ましき風のきほひに、ほろほろと落ち乱るる木の葉の露の散りかかるも、いと冷やかに、人やりならずいたく濡れたまひぬ。かかるありきなども、をさをさならひたまはぬ心地に、心細くをかしく思されけり。
「山おろしに耐へぬ木の葉の露よりもあやなくもろきわが涙かな」
山賤のおどろくもうるさしとて、随身の音もせさせたまはず。柴の籬を分けて、そこはかとなき水の流れどもを踏みしだく駒の足音も、なほ、忍びてと用意したまへるに、隠れなき御匂ひぞ、風に従ひて、主知らぬ香とおどろく寝覚めの家々ありける。
近くなるほどに、その琴とも聞き分かれぬ物の音ども、いとすごげに聞こゆ。「常にかく遊びたまふと聞くを、ついでなくて、宮の御琴の音の名高きも、え聞かぬぞかし。よき折なるべし」と思ひつつ入りたまへば、琵琶の声の響きなりけり。「黄鐘調」に調べて、世の常の掻き合はせなれど、所からにや、耳馴れぬ心地して、掻き返す撥の音も、ものきよげにおもしろし。箏の琴、あはれになまめいたる声して、たえだえ聞こゆ。(略)
あなたに通ふべかめる透垣の戸を、すこし押し開けて見たまへば、月をかしきほどに霧りわたれるを眺めて、簾を短く巻き上げて、人びとゐたり。簀子に、いと寒げに、身細く萎えばめる童女一人、同じさまなる大人などゐたり。内なる人一人、柱に少しゐ隠れて、琵琶を前に置きて、撥を手まさぐりにしつつゐたるに、雲隠れたりつる月の、にはかにいと明くさし出でたれば、
「扇ならで、これしても、月は招きつべかりけり」
とて、さしのぞきたる顔、いみじくらうたげに匂ひやかなるべし。
添ひ臥したる人は、琴の上に傾きかかりて、
「入る日を返す撥こそありけれ、さま異にも思ひ及びたまふ御心かな」
とて、うち笑ひたるけはひ、今少し重りかによしづきたり。
「及ばずとも、これも月に離るるものかは」
など、はかなきことを、うち解けのたまひ交はしたるけはひども、さらによそに思ひやりしには似ず、いとあはれになつかしうをかし。
(源氏物語・橋姫~バージニア大学HPより)
九月廿日あまりばかりのありあけの月に御めさまして、いみじうひさしうもなりにけるかな。あはれ、この月はみるらんかし。人やあるらんとおぼせど、(略)
女はねで、やがてあかしつ。いみじうきりたるそらをながめつゝあかくなりぬれば、このあかつきおきのほどのことゞもをものにかきつくるほどにぞ、れいの御ふみある。たゞかくぞ、
秋の夜のありあけの月のいるまでにやすらひかねてかへりにしかな
いでや、げにいかにくちおしきものにおぼしつらんと思よりも、猶おりふしはすぐしたまはずかし、げにあはれなりつるそらのけしきをみ給ひけると思にをかしうて、このてならひのやうにかきゐたるを、やがてひきむすびてたてまつる。御らんずれば、「風のをと、木のはのゝこりあるまじげに吹たる。つねよりも物あはれにおぼゆ。ことごとしうかきくもるものから、たゞ氣色ばかり雨うちふるはせんかたなくあはれにおぼえて、
秋のうちはくちはてぬべしことはりのしぐれにたれか袖はからまし
なげかしとおもへど、しる人もなし。草の色さへみしにもあらずなりゆけば、しぐれんほどのひさしさもまだきにおぼゆる。風に心くるしげにうちなびきたるには、たゞいまもきえぬべき露のわが身ぞあやうく、草葉につけてかなしきまゝにおくへもいらで、やがてはしにふしたれば、つゆねらるべくもあらず。人はみなうちとけねたるに、そのことゝ思ひわくべきにあらねば、つくづくとめをのみさまして、なごりなうゝらめしう思ひふしたるほどに、かりのはつかにうちなきたる、人はかくしもや思はざるらん、いみじうたへがたき心ちして、
まどろまであはれいくよになりぬらんたゞかりがねをきくわざにして
とのみしてあかさんよりはとてつま戸をおしあけたれば、おほ空ににしへかたぶきたる月のかげとをくすみわたりてみゆるに、きりたるそらのけしき、かねのこゑ、とりのねひとつにひゞきあひて、さらにすぎにしかた、いま行末の事ども、かゝるおりはあらじと、そでのしづくさへあはれにめづらかなり。
我ならぬ人もさぞみんなが月のありあけの月にしかじあはれは
(和泉式部日記~バージニア大学HPより)
長月のありあけの月にねざめしてのこれる秋のあはれをぞ知る
(宗尊親王三百六十首)
千五百番歌合に 大納言通具
よはり行虫のねにさへ秋くれて月も有明に成にけるかな
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
月前虫といふ事をよめる 読人不知
長月の有明のかけにきこゆなり夜をへてよはる松虫のこゑ
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)
長月のつもこりかたに、わつらふことありてたのもしけなく覚けれは、久しくとはぬ人につかはしける 藤原基俊
秋はつるかれのゝ虫のこゑたえはありやなしやを人のとへかし
(千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
長月も二十日あまりになりぬれば、虫の声々も弱りつつ、枕の下のきりぎりすは、「我のみ」と鳴き出でたるに、いとど身に染(し)む心地して、木(こ)の下払ふ風の音も、ものすさまじき庭の面(おも)に、置きわたしたる露は霜かと紛(まが)ふにも、小笹(をざさ)が原をながめわびけん昔の世さへ、取り集めて悲しきに、(略)
(あきぎり~中世王朝物語全集1、笠間書院)
貞和二年百首歌奉りし時 入道二品親王法守
長月の末野のま萩露落て秋風さむみをしか鳴なり
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)
親宗の中納言うせてのち、昔もちかくみし人にてあはれなれば、親長のもとへ、九月つくるころ申しやる。空のけしきもうちしぐれて、さまざまあはれもことにしのびがかければ、色なる人の袖の上もおしはかられて、
くらき雨の窓うつ音にねざめして 人の思ひを思ひこそやれ
(略)
またもこん秋のくれをばをしまじな かへらぬ道の別れだにこそ
返し 親長
板びさし時雨ばかりはおとづれて 人めまれなる宿ぞかなしき
(略)
くれぬとも又もあふべき秋にだに 人の別れをなすよしもがな
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)
文治元年長月の末に、かの寂光院へ入らせ給ふ。道すがら四方の梢の色々なるを、御覽じ過させ給ふ程に、山陰なればにや、日も既に暮かゝりぬ。野寺の鐘の入相の音すごく、分る草葉の露滋み、いとど御袖濕勝、嵐烈く木の葉亂りがはし。空かき曇り、いつしか打時雨つゝ、鹿の音幽に音信て、蟲の恨も絶々なり。(略)露結ぶ庭の萩原霜枯れて、籬の菊のかれがれに、移ろふ色を御覽じても、御身の上とや覺しけん。
(平家物語~バージニア大学HPより)
ワキ 「面白や頃は長月二十日あまり、四方の梢も色々に、錦を彩る夕時雨。濡れてや鹿の獨り鳴く聲をしるべの狩場乃末、げに面白き景色かな
ワキツレ 「明けぬとて、野辺より山に入る鹿の、後吹き送る風の音に、駒乃足なみ、勇むなり
上歌 「丈夫(ますらお)が、彌猛心(やたけごころ)の梓弓、彌猛心乃梓弓。いる野の薄露分けて、行方も遠き山陰の、鹿垣(しがき)乃道の険しきに、落ち来る鹿の聲すなり。風の行方も心せよ、風の行方も心せよ
(謡曲・紅葉狩~ウィキペディアより)
(延喜十六年九月)廿八日庚辰。天皇幸朱雀院。有競馬事。召諸儒文章生命宴席。題云。木落洞庭波。有擬文章生試。題云。高風送秋。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)
長保二年九月二十四日、戊戌。
「天皇の御前で作文会が行なわれた」ということだ。式部権大輔(匡衡)が題を献上した。云ったことには、「木の葉が落ちて舞うようである」と。探韻を行なった。蔵人孝標が序を献上した。天皇の御製は四韻であった。左大臣・左大弁(藤原忠輔)・宰相中将(藤原斉信)が伺候した。御書所でも、また作文会が行なわれた。「夜深く、遠い雁を聞く」を題とした。序者は(穴太)愛親宿禰であった。今日と明日は物忌であるので、籠居した。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)
寛弘元年閏九月二十九日、庚辰。
中宮(藤原彰子)の許に参った。御読経が行なわれた。この□、御前において作文会が行なわれた。「秋が過ぎるのは、流れる水のようである」と。子剋、詩を披講して退出した。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)
(寛仁元年九月)二十二日、丁巳。
天が晴れた。石清水八幡宮に参詣した。舞人は、諸衛府の佐(すけ)の四位二人であった。人々の袴を調達するのが遅れたため、自ずと未剋に及んで出立した。神宝・競馬・舞人は、行列の前を進み、私は後ろの車に乗っていた。女方も、また同じく車に乗った。(略)車副(くるまぞい)十人は、青褐(あおかち)の上衣に黄の下重(したがさね)を着していた。女方の前駆は十四人であった。(略)
二十三日、戊午。
天が晴れた。寅剋に、女方を神前に参上させた。そのついでに女方は、輦車(てぐるま)に乗って私の許に参上した。私は女方と共に神前に参上した。辰剋の頃、摂政は、公卿と太政官の上官を率いて参上した。後に神宝を献上した。その儀は、四位以下の舞人が神宝を取り次いで、階下に神宝を持って来た。公卿たちと私は、門楼に相対して立った。行香(ぎょうごう)と同じであった。神宝を取り次いで、門内の神人(じにん)に授けた。神人がこれを取り次いで、御祭神の前の机上に置いた。神宝献上の儀が終わって、各々、座に着した。神宝を供した後、競馬があった。左方が勝った。(略)勝者方の公卿、および人々に纏頭した。次に竜王を奏した。以前からの慣例で、納蘇利(なそり)を召した。次に音楽、各三曲を演奏した。犬舞(いぬまい)を演奏していた時、小雨が降った。次に神馬(じんめ)と十列(とおつら)を廻(めぐ)らせた。神馬三疋を永く献上し、十列を馳せた。次に東遊(あずまあそび)、次に神楽を奏した。次に諷誦(ふじゅ)、次に神人の禄を下賜した。神楽が終わって、舞人たちに禄を下賜した。競馬が終わって、騎手・員刺(かずさし)・楽人たちに禄を下賜した。参詣が終わって、宿院に下った。(略)
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
(寛仁二年九月)二十六日、乙酉。
宇治の別業に行った。舟に乗った。出した題は、「傍水(ぼうすい)に紅葉が多い」であった。夜に入って、到着した。
二十七日、丙戌。
夜通し、雨が降った。辰剋から天が晴れた。暁方、舟に乗って、今津に帰着し、詩を披講した。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
(長和四年九月)三十日、丁丑。
例経(れいきょう)の供養を行なった。僧は経救であった。これは土御門第の仏堂において行なった。経供養が終わって、皇太后宮の御在所に参った。酒饌(しゅせん)が有った。人々は和歌を献上した。(藤原)広業朝臣が題を献上した。「秋は唯、今日のみ」と。深夜、人々は退出した。私は候宿した。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)
皇后には蘇芳の匂二襲、例の金して菊紅葉を生し、目もおよばずめでたし。中宮には紅をみな打ちて、竜胆の二重文の表着、白き文を織りたり。つねのことなれどうるはしくきよげなり。蘇芳の唐衣、菊の裳。またの日は紫の薄様、赤き薄様二襲に、青き打ちたる、浮線綾の表着、冊子など思しきなり。唐衣は竜胆、裳は黄なり。袴は赤き薄様、下ざまに白く重なりたるいとをかし。袴表着は心々の色なり。村濃にて象眼の裳なるもあり。うるはしくてとあれど、薄様の下絵のついでにはまたせぬことなくぞしなしける。
五巻の日は、(略)女房、今日は白き衣どもをいくつともなく重ねて押し出でたり。なかなかいみじくきよげに見ゆ。
(栄花物語~新編日本古典文学全集)
かくて長元四年九月廿五日にようゐんすみよしいはしみづにまうでさせ給。これにさふらふ人はかひがひしきことにぞおもひける。むまのときばかりにいでさせ給。さきにみてくらことごとしくてさふらはすことなりぬなど。ものみる人びとうれしくてことごとなくみるほどに。ゐんの人++濟政朝臣行任朝臣章任頼国範国惟任定任能通やすのりむめなかのりすけよしすけなりすけこれならぬもいとおほくさふらふたれもたれもまはゆきまて。装束たりてんしやう人隆國の頭中将つねすけの右中弁。さねもとの中将さねやすのうきやうの大夫。もろよしのひやうぶ太輔行経の少将。経季の蔵人少将かんたちめ春宮大夫〈頼宗〉権大納言〈長家〉左衛門督〈師房〉右衛門督〈経道〉右兵衛督〈朝任〉三位中将〈兼頼〉あるはなをしうゑのきぬあまたはかりぎぬしやうぞくいひやるかたなきに。をり物うちものにしきぬひものなどこゝろ++にめでたくおかしくみゆるほどに。さぬきのかみよりくにのあそんのつかうまつりたる御車にたてまつりておはします。左右のそばにかゝみの月をいたして。ゑかきいみじきことをつくしたり。蘓芳のかりぎぬはかまおなじいろのあこめきたるめしつきといふもの十人つきたり。車副あをいろのかりきぬはかまに。やまぶきのあこめをきてさふらふ。(略)
いぬゐのときばかりに。やまざきといふところにつかせ給て。ものなどまいらせてのちに。いはしみづにのぼらせ給。とりゐのほどにて御くるまにたてまつりて。てんじやう人てごとにひをともして御くるまにそひたる。ほかけとものやまかくれ。いとおかしうみゆ。まつ御はらへつきに御てくらたてまつらせ給。つぎにまひがくものゝねども。つねよりもけにきこゆ。あかつきがたに御きやうくやうしたてまつり給。めいそんそうづ。御どうじにてさふらふ。そのゝちふねにかへらせ給。
廿六日になりてこぎくだらせ給ほどに。人++の姿どもおもひ++にかへて。みづのおもゝところなくうきたるほとに。ふねにことごとなるたなといふものおかしくつくりて。やはたの別当元命といふもの御くたものすゑてまいらせたり。ゑさへおかしくみゆ。(略)くだらせ給ほどに。えぐちといふところになりてあそひともかさに月を いたしらてんまきゑ。さまざまにをとらじまけじとしたてまいりたり。こゑともあしへうちよするなみのこゑも。江ぐちのいふべきかたなくこそみえしが。(略)
廿八日のつとめてすみよしにつかせ給。うちのおほとのなどみな御むまにてえもいはぬ御しやうぞくたてまつりてさふらはせ給。御はらへやしろにまうでさせ給ほど。左右にものゝねどもふきたてたる。まつかぜぎんをしらべたるこゝちしておかし。きのかみよしむねえもいはぬ御かりやをまうけてさふらはす。御てくらたてまつらせ給ふほどに。うちの御つかひにさだよしの少将こゝのへをいでゝ。かはふねのさほさしてまいりけんここち*とをみの(*みちとほみの)くさのまくら
もおかしうぞおもひやらるゝ。このほどに御きやうくやうせさせ給ふ。定基そうづぞかうしにさふらひける。ことはてゝこれよりやがててんわうじにまいらせ給。(略)
(栄花物語~国文学研究資料館HPより)
(正治元年九月)廿二日。浮雲、頻りに奔る。朝陽間々晴る。未後、雨灑ぐ。早旦女房等、東山に行き向ふ。今夜今朝、風吹く。仍て、栗を拾ふためなり。午の時許りに参上す。今日萩の織襖(綾の狩衣、今日始めて之を著す。但し萩の色に於ては、宿老の儀にあらず。壮年の人、皆之を著すと云々)、張の指貫(紫苑の由なり)、白の張衣(近年此の如し)を着す。未の時許りに散花を出さる。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)
三十日 丙申。霽 今日御家人ノ妻改メ嫁スル事ヲ評議ス。所領ノ成敗ヲ致シ、家中ノ雑事ヲ行ヒ、現形セシムル者ニ於テハ、其ノ誡メ有ルベキノ由定メラル*(*ト云云)。夜ニ入テ、御所ニ於テ、和歌ノ御会有リ。行路ノ紅葉、暁衣ヲ擣ツ、九月尽トイフヲ題ス。右馬ノ権ノ頭、北条ノ左親衛、相模ノ三郎入道、伊賀ノ式部大夫入道、兵庫ノ頭、佐渡ノ判官等、各懐紙ヲ献ズ。
(吾妻鏡【延応元年九月三十日】条~国文学研究資料館HPより)