Tik's little window 

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我が愛しのオリンピックーその時歴史が動いた

2007-02-01 17:19:44 | TV番組
 オリンピックは、スポーツ大好きな自分にとってサイコーのイベント!技の素晴らしさを味わい、選手の表情を心に留め、スポーツと言う筋書きの無い生のドラマを、リアルタイムで体感することが出来る。4年に一度だけ、沢山の世界のさまざまな国から、さまざまな競技に出場する選手達が、一つの地に一度に集まる、奇跡に近い大きなイベント、オリンピック。

 途中から見た 『その時歴史が動いた』 は、オリンピックの話だった。オリンピックで国をあおろうと、東京オリンピックを開こうとしたこと。それが、戦争で中止になったこと第二次世界大戦後、オリンピックは東西冷戦の舞台の一つになったこと日本選手団もその中に巻き込まれつつ出場が認められたこと。そして、戦後、アジア大会など協議会で、日本の選手は罵声や物が飛んでくる状況で、参加しなければならなかった事。

 恥かしいことに、全く知らない世界だった。今のオリンピック、アジア大会などで、ここまで激しい怒りを選手がぶつけられた様子は見たことがなかった。サッカーアジア大会で、中国人が日本選手に物を投げ反日感情をあらわにしたことが、自分の中では唯一の記憶だったが、その何倍もの反日感情・怒りが、渦巻き、ぶつけられた事実を始めて知った。考えてみれば納得できる。理解できる。でも、涙が出てきた。選手達はどんな思い出参加したのだろうか・・・。

 そして、平和な国日本を世界に発信すべく、東京オリンピックを、大きな大きな夢を見る一人の人物が実現させた。誰もが生活の追われて、夢を見る余裕がなかった頃に、ただ一人実現を信じて動き始め見事に夢を実現させた。

 その人物とは、日本水泳連盟の田畑政治 (たばたまさじ)。反日感情をなくし、平和を願う国に変わったことを理解してもらう為、戦争被害を与えたアジア諸国を10万人の手でつなぐ大聖火リレーを計画した。実際、走った時、各地でおこった暖かいシュプレヒコールに涙が出てきた。努力すれば伝わると思った。
 
 そして、もう一つ最後まで、彼が望み譲らなかった聖火ランナーの企画。広島出身者に走ってもらいたいと言う思い、最終ランナーは原爆が投下されたその日、広島で生まれた選手、戦後平和への思いの象徴のランナーが実現した瞬間の話に、涙が止まらなかった。本当に恥かしいことに、これも始めて知ったことだった・・・・

 世界が衛星中継でその様子を見て、あの日本が平和を願う国に本当になったことを、確認した瞬間、オリンピックが平和を実感する瞬間になった日だった。

 あの日から40年以上もの月日が流れ、オリンピックの度に、参加か不参加か、参加方法はどうするかなど、つねに国際情勢や政治がオリンピックには付いてくる。しかし、戦争や内乱・動乱がどんなに続こうとも、平和がささやかなものであっても、オリンピックは多くの国とそこに住む人たちの平和を感じる瞬間でありたいと思う。

 多くの国の人たちとともに、短い時間であってもささやかであっても、友情を育て互い尊重し、平和を実感し祈る機会であって欲しい。生身の人間の可能性、そのすばらしさを、実感し応援する時間を大切にしたいと思う。その裏にいろんな思いがうごめいていようとも、リアルな、汗や涙や記録に、みんなが声援を送り拍手する瞬間であって欲しい。

 来年は、北京オリンピック!何が起こるかどんな瞬間が見られるのか、今から楽しみにしている。