先日、母と見に行った「ル・アーブルの靴みがき」の作品選びで
ハッピーエンドでなさそうだったので、避けた作品。でも、これまたよかったです。
なお、あらかじめお断りしておきますが、ネタバレ満載です。まず、いまから言っても
遅いのですが、ブログタイトルからして、人によってはネタバレといわれそう。
補足しますと、ブログタイトルには二つの意味を込めてまして、ひとつは登場人物
夫々が違った心情で打ちのめされるという意味でもうひとつは映画をみた観客が、
映画を見ているうちに感情移入をして、うちのめされるだろうという意味です。
主な登場人物
-主人公の家族
夫:銀行員。
夫の父:認知症。
妻:教師。めちゃくちゃ美人。
娘:11歳。女子中学の1年生。
-主人公の家へ妻が、家政婦として働くことになった家族
夫:無職。
妻:夫に黙って主人公の家へ家政婦として働きに来る。
娘:4歳、お母さんについて、主人公の家へ。
冒頭
主人公夫妻が、無地の壁の前の椅子に並んで座り、各々主張をしている。
裁判か調停のようで、手前にもう一人声だけ聞こえてくるは裁判官か?
妻の主張:娘の教育のために海外移住の許可をとるため1年半かかった。
それなのに夫はいかないという、それなら別かれて娘と二人で行くのを
認めてほしい。許可証は、あと40日で切れてしまう。
夫の父は、認知症でもう息子(夫)のことを認識できていない。
どうして一緒に来てくれないの。
夫の主張:父の介護のため、海外に行くことはできない。自分のことを認識
できなくとも父は父だ。別れたとしても、娘を海外にやるのは
許可しない。
裁判官:国内で娘さんを育てる環境がそんなに悪いとは思えませんけどねえ。
===>妻の主張は認められず、二人はサインをして部屋をでてゆく。
ストーリー
冒頭のやりとりから、残りの40日で、妻はいろんな手を使って娘との海外脱出を
試みるのかなあと思ったのだが、妻は実家へと帰ってしまう。変わりに、夫の父の
介護のために、妻の姉の紹介で、家政婦がやってくる。
この家政婦、夫に秘密で働きに来ており、妊娠4ヶ月半。バスで2時間かけて
4歳の娘とやってくる。
いろいろ伏線があるのだが省略。夫と家政婦はもめて、夫は家政婦を
出て行けと入り口から押し出してしまう。その夜、家政婦は流産。
イラクの法律では、妊娠していることを知って突き倒したとなると、妊娠4ヶ月
以降の胎児はひとりの人間として扱われるとのことで、殺人罪になるという。
二人の家族を巻き込んで、「妊娠を知っていたのか否か」をめぐり
延々とバトルが続くなか、思わぬ真実が次々とあきらかになってゆく。
感想
とても、きめ細かい。なにげない、ひとつひとつのことばや行動が、あとで
とても重要な影響を与えることになり、緊張感を持続したまま最後まで
一気に見た。途中、いろいろな登場人物を悪いと思ったり、疑ったり
しながら、最後には夫々の行動にある程度納得しながらも、疑ったことを
悪かったと思ったり。それでいて、じゃあどうすればいいの?背景は?と
考えさせられた。映画で直接的に描かれていたことと、描かれていないことを
どうなっただろうと考える段階で人夫々になるので、その想定の上にたって
登場人物について考えることはますます人夫々になることだろう。
私が映画で疑問に思った何点かについて、考えながら感想とした。
疑問1:1年半前の主人公の夫の父の容態は?
妻が、海外移住の手続きを始めたという1年半前、すでにかなり容態は
悪かったのではないだろうか。認知症の進行は人により治療により差が
あるだろうが、息子のことがわからない、ほとんどしゃべれないとなると
発症から、3年は経過しているのではないか?そう考えると、手続きを
始めた時点で既に、妻は、夫抜きでも娘と二人での海外への移住を考え
夫は、いつ許可がでるかもわからない為、その動きをあえて止めなかったと
推測する。夫にしてみれば銀行員という安定しているであろう職につき
海外にでて同等の職をみつける不安もあるだろう。介護の問題以外に
いきたくない理由があるようにも見える。一方、妻は、後半の示談を持ち掛け
たり、家を担保に保釈金を肩代わりしたりと、お金もちのようなので、教師の
職を失っても、リスクがあっても、海外での生活は昔からのあこがれで、
志高くチャレンジしたいということなのだろう。妻が海外に移住したいと思う
国内事情を私は知らないが、想像するに国内での検閲等もあってわざと
描いていないのだろうと思うので、日本の単身赴任の多さの影響を受けて
いる部分があるかもしれないが、介護を考え妻と娘の海外移住の実現を
夫婦でどのようにするかを考えるのが一番良いと私は思った。
疑問2:お金がなくなったのは?
主人公の家で、夫によれば家政婦の日当分のお金がなくなったという。
家政婦は否定。映画のなかでは、明確な説明はなかったが、ここは
やはり家政婦がとったのだろう。最後にわかることだが、家政婦はその前の日に、
車にぶつかって、お腹の異変を自覚していたはずだから、なんとしてでも病院へ
行き、お金を払う必要があったのではないか?だから、自分の日当分だけで
あればあとから返そうと思って失敬したというのが私の推理。本人は、夫が
訴えられたとか逮捕されたとか言っていたが。
では、どこの病院へ。通勤には2時間かかることから、自分の家の近くまで
帰って戻ってくるだろうか?かと言って、主人公の家に来ていた娘の教師から
聞いた病院にいくだろうか?イランの病院事情もわからないが、貧富の差があり
同じ病院には行きにくいとも思うのだが? でも、その辺りの事情も踏まえた上で
教師は病院を教えているはずなので、やっぱり行ったのか?
もし、家政婦が確信犯的に、計画的に、お金を盗み、主人公の父をベッドに
縛り付けて、2時間かけて戻って病院にいって診てもらってさらにもう一度
行ったとしても、時間内に戻ってこれただろう。だから、私が思うに、突発的な
事情で教えてもらった病院に行き、主人公の夫と娘よりあとに戻ってきたのだと
思う。さらに悪く考えると、病院に行った時点で既に胎児が絶望的と思い、
罪をなすりつけるつもりで、一度追い出されたあと再度もどってきた可能性も
あると思う。あるいは、もっと前の時点で流産の可能性を知っていたとばれない
ために地元とは違う病院に行く必要があったのかもしれない。押されたあとに
流産していても、病院側に、そのまえの時点で胎児は亡くなっている可能性が
高いですよと証言されたら、主人公の夫を訴えること自体成り立たないから。
悪くいいすぎかな?
疑問3:主人公(夫)が病院(産婦人科?)へ電話したのは?
果して主人公(夫)は、家政婦の妊娠を知っていたか?家政婦を押したことと
流産の間に因果関係はあるのか?会話のなかからの情報以外で、私は
お腹のふくらみぐあいから妊娠していると思ったし、押したこともそんなに強いとは
思えなかったので因果関係はないと思っていた。そして、主人公の夫も同じ
思いではなかっただろうか?あれぐらい押したぐらいで、流産するはずないと。
考えてみれば4ヶ月で(5ヶ月目から)殺人罪というのも、妊娠が安定期に入った
ことを考慮しての期限ではないかと思う。法律上、知ってて押したら殺人罪と
いうことで嘘をついていたが、自分が押したことで流産したとはどう考えても
納得いかないということで、嘘を告白したあと、病院に電話をしたのだと思う。
映画のなかで電話をしたときには、電話は通じなくて、留守録にメッセージを
入れたと思うのだが、その後この件について映画では直接的にはふれられて
いない。だが、なんらかのレスポンスがあって、最後に、家政婦にコーランに
手を置いて自分が押したために流産したと誓うように要請したのではないか?
もっとも、コーランに手をおいて自身が誓わされる場面もあったし、
このような場面ではこのお国では当然のことなのかもしれないが・・・。それとも
まさか、主人公の妻が夫に、家政婦から前の日に車にぶつかったことを聞いたと
話したのだろうか?ここでもう1点指摘しておきたいのは、家政婦が主人公の妻に
事故を告白したのには、とても驚いた。妻の姉の紹介で家政婦を行ったことと
関係しているのかもしれないが、法廷で争い、示談をすすめながらそれを覆す
内容を伝えたのは、女性同士の結びつきはなんと強いものかと思った。
疑問4:もっと近くに職場はないの?旦那にばれないの?
家政婦の境遇の過酷さは、想像に余りある。夫は失業、妊娠4ヶ月半で、
4歳の子供連れで、2時間かけて働きにでる。しかも、夫に内緒で。果して
無職の夫にばれずに通い続けられるということなのだろうか?
介護で目を放した隙に、外へでた主人公の父を探しに慌てて外へ出て、
交通の激しい道路越しに発見。無理に横断しようとして車にぶつかり流産の
原因となったというのは可哀相すぎる。嘘をついたのは許せない部分があるが、
それでも生活は、あまりにも過酷だ。
ここでもうひとつ考えさせられるのが宗教・コーランの恐ろしさ。最後に本当の
ことを家政婦が告白したのは、コーランの前で宣誓すると、子供にたたりがくると
信じているからだ。ここは単に、宗教が嘘を許さないように機能していると、
プラスには受け取れない。家政婦は、信心深いという範疇を超えて、恐怖に
落とし入れられているように見える、これじゃあまるで洗脳ではないか?
一方、主人公の夫は、コーランに手を置いて嘘をついている。この構図は、
弱い立場の者が宗教に深く入り込み、苦しんでいるというともとれる。
一方で、強い立場の者がコーランに手を置いて嘘をつく。宗教とは何ぞや。
疑問5:子供に親を選択させる?
家政婦の告白で、示談も、殺人罪も吹っ飛んでしまった。最後の場面で、
中心に押し出されるようにでてきたのは、主人公の娘だ。お母さんは、
海外へ行ってよりよい環境のなかで育てようといい、お父さんはそれを許さず
家で熱心に勉強を見てくれる。お父さんの嘘を、素朴な疑問から見破って
いった冷静な娘。それでも裁判では、家族のために嘘をついた。
一緒に暮らしたい。なのに、誰と暮らすのか選べという11歳の私に。
この娘の発言だけで、決定をするのかどうかは知らない。でも、決定しないなら
聞くのも酷だし、決定するのも無茶という気がする。
映画は、裁判官に「決めましたか」と聞かれて、娘は「はい」と答える。
だが、お父さん、お母さんの前で、決定を言うことはできず、夫婦が廊下へ
退席し、結果を無言で待っているところで終わる。
さてこの後、どうなるのだろうか?こんなのどうだろう。
「決めてますけど、申し上げられません。私の決めることではなく、両親が
話し合ってきめることだと思います。法律で私が決めないといけないことに
なっているのであれば、私は罪を犯します。申し上げられません。」
「法律上、子供が決められない場合、親権はお父さんになります。」
注)私は、イランの法律については全くわかりません。
まあ、私がこの娘の立場で、両親と一緒に暮らすことを望んでいるならば
父を選択するだろう。なぜなから、母を選択すれば、父とは永遠の別れと
なりそうな気がするから。一方、父は、介護も大変そうだし、いつか母も
戻ってきてくれるかもしれないから。これは優柔不断なO型の問題先送り
パターンだろうか?
最後に。
疑問1~5に対して、私が書いたことは、内容は別としても質問に対する
回答になっていない。それだけ整理できていないということだが、それぞれの
具体的な疑問から家族、貧富、男女、宗教、司法といった普遍的な
疑問へ導かれているとうことは言えるであろう。
そのなかで、自分の差別・偏見意識や、それぞれの登場人物に感情移入
するなかで自分もうちのめされた感覚を味わいました。家政婦の夫は、
暴力的で短気で、すかんなあと思いながらみていたのですが、最後の発狂
しそうになって家からでてゆくところで、少し気持ちがわかるような気がして、
それまでほど悪い奴とは思わなくなりました。
考えれば考えるほど、よくできた映画です。
ハッピーエンドでなさそうだったので、避けた作品。でも、これまたよかったです。
なお、あらかじめお断りしておきますが、ネタバレ満載です。まず、いまから言っても
遅いのですが、ブログタイトルからして、人によってはネタバレといわれそう。
補足しますと、ブログタイトルには二つの意味を込めてまして、ひとつは登場人物
夫々が違った心情で打ちのめされるという意味でもうひとつは映画をみた観客が、
映画を見ているうちに感情移入をして、うちのめされるだろうという意味です。
主な登場人物
-主人公の家族
夫:銀行員。
夫の父:認知症。
妻:教師。めちゃくちゃ美人。
娘:11歳。女子中学の1年生。
-主人公の家へ妻が、家政婦として働くことになった家族
夫:無職。
妻:夫に黙って主人公の家へ家政婦として働きに来る。
娘:4歳、お母さんについて、主人公の家へ。
冒頭
主人公夫妻が、無地の壁の前の椅子に並んで座り、各々主張をしている。
裁判か調停のようで、手前にもう一人声だけ聞こえてくるは裁判官か?
妻の主張:娘の教育のために海外移住の許可をとるため1年半かかった。
それなのに夫はいかないという、それなら別かれて娘と二人で行くのを
認めてほしい。許可証は、あと40日で切れてしまう。
夫の父は、認知症でもう息子(夫)のことを認識できていない。
どうして一緒に来てくれないの。
夫の主張:父の介護のため、海外に行くことはできない。自分のことを認識
できなくとも父は父だ。別れたとしても、娘を海外にやるのは
許可しない。
裁判官:国内で娘さんを育てる環境がそんなに悪いとは思えませんけどねえ。
===>妻の主張は認められず、二人はサインをして部屋をでてゆく。
ストーリー
冒頭のやりとりから、残りの40日で、妻はいろんな手を使って娘との海外脱出を
試みるのかなあと思ったのだが、妻は実家へと帰ってしまう。変わりに、夫の父の
介護のために、妻の姉の紹介で、家政婦がやってくる。
この家政婦、夫に秘密で働きに来ており、妊娠4ヶ月半。バスで2時間かけて
4歳の娘とやってくる。
いろいろ伏線があるのだが省略。夫と家政婦はもめて、夫は家政婦を
出て行けと入り口から押し出してしまう。その夜、家政婦は流産。
イラクの法律では、妊娠していることを知って突き倒したとなると、妊娠4ヶ月
以降の胎児はひとりの人間として扱われるとのことで、殺人罪になるという。
二人の家族を巻き込んで、「妊娠を知っていたのか否か」をめぐり
延々とバトルが続くなか、思わぬ真実が次々とあきらかになってゆく。
感想
とても、きめ細かい。なにげない、ひとつひとつのことばや行動が、あとで
とても重要な影響を与えることになり、緊張感を持続したまま最後まで
一気に見た。途中、いろいろな登場人物を悪いと思ったり、疑ったり
しながら、最後には夫々の行動にある程度納得しながらも、疑ったことを
悪かったと思ったり。それでいて、じゃあどうすればいいの?背景は?と
考えさせられた。映画で直接的に描かれていたことと、描かれていないことを
どうなっただろうと考える段階で人夫々になるので、その想定の上にたって
登場人物について考えることはますます人夫々になることだろう。
私が映画で疑問に思った何点かについて、考えながら感想とした。
疑問1:1年半前の主人公の夫の父の容態は?
妻が、海外移住の手続きを始めたという1年半前、すでにかなり容態は
悪かったのではないだろうか。認知症の進行は人により治療により差が
あるだろうが、息子のことがわからない、ほとんどしゃべれないとなると
発症から、3年は経過しているのではないか?そう考えると、手続きを
始めた時点で既に、妻は、夫抜きでも娘と二人での海外への移住を考え
夫は、いつ許可がでるかもわからない為、その動きをあえて止めなかったと
推測する。夫にしてみれば銀行員という安定しているであろう職につき
海外にでて同等の職をみつける不安もあるだろう。介護の問題以外に
いきたくない理由があるようにも見える。一方、妻は、後半の示談を持ち掛け
たり、家を担保に保釈金を肩代わりしたりと、お金もちのようなので、教師の
職を失っても、リスクがあっても、海外での生活は昔からのあこがれで、
志高くチャレンジしたいということなのだろう。妻が海外に移住したいと思う
国内事情を私は知らないが、想像するに国内での検閲等もあってわざと
描いていないのだろうと思うので、日本の単身赴任の多さの影響を受けて
いる部分があるかもしれないが、介護を考え妻と娘の海外移住の実現を
夫婦でどのようにするかを考えるのが一番良いと私は思った。
疑問2:お金がなくなったのは?
主人公の家で、夫によれば家政婦の日当分のお金がなくなったという。
家政婦は否定。映画のなかでは、明確な説明はなかったが、ここは
やはり家政婦がとったのだろう。最後にわかることだが、家政婦はその前の日に、
車にぶつかって、お腹の異変を自覚していたはずだから、なんとしてでも病院へ
行き、お金を払う必要があったのではないか?だから、自分の日当分だけで
あればあとから返そうと思って失敬したというのが私の推理。本人は、夫が
訴えられたとか逮捕されたとか言っていたが。
では、どこの病院へ。通勤には2時間かかることから、自分の家の近くまで
帰って戻ってくるだろうか?かと言って、主人公の家に来ていた娘の教師から
聞いた病院にいくだろうか?イランの病院事情もわからないが、貧富の差があり
同じ病院には行きにくいとも思うのだが? でも、その辺りの事情も踏まえた上で
教師は病院を教えているはずなので、やっぱり行ったのか?
もし、家政婦が確信犯的に、計画的に、お金を盗み、主人公の父をベッドに
縛り付けて、2時間かけて戻って病院にいって診てもらってさらにもう一度
行ったとしても、時間内に戻ってこれただろう。だから、私が思うに、突発的な
事情で教えてもらった病院に行き、主人公の夫と娘よりあとに戻ってきたのだと
思う。さらに悪く考えると、病院に行った時点で既に胎児が絶望的と思い、
罪をなすりつけるつもりで、一度追い出されたあと再度もどってきた可能性も
あると思う。あるいは、もっと前の時点で流産の可能性を知っていたとばれない
ために地元とは違う病院に行く必要があったのかもしれない。押されたあとに
流産していても、病院側に、そのまえの時点で胎児は亡くなっている可能性が
高いですよと証言されたら、主人公の夫を訴えること自体成り立たないから。
悪くいいすぎかな?
疑問3:主人公(夫)が病院(産婦人科?)へ電話したのは?
果して主人公(夫)は、家政婦の妊娠を知っていたか?家政婦を押したことと
流産の間に因果関係はあるのか?会話のなかからの情報以外で、私は
お腹のふくらみぐあいから妊娠していると思ったし、押したこともそんなに強いとは
思えなかったので因果関係はないと思っていた。そして、主人公の夫も同じ
思いではなかっただろうか?あれぐらい押したぐらいで、流産するはずないと。
考えてみれば4ヶ月で(5ヶ月目から)殺人罪というのも、妊娠が安定期に入った
ことを考慮しての期限ではないかと思う。法律上、知ってて押したら殺人罪と
いうことで嘘をついていたが、自分が押したことで流産したとはどう考えても
納得いかないということで、嘘を告白したあと、病院に電話をしたのだと思う。
映画のなかで電話をしたときには、電話は通じなくて、留守録にメッセージを
入れたと思うのだが、その後この件について映画では直接的にはふれられて
いない。だが、なんらかのレスポンスがあって、最後に、家政婦にコーランに
手を置いて自分が押したために流産したと誓うように要請したのではないか?
もっとも、コーランに手をおいて自身が誓わされる場面もあったし、
このような場面ではこのお国では当然のことなのかもしれないが・・・。それとも
まさか、主人公の妻が夫に、家政婦から前の日に車にぶつかったことを聞いたと
話したのだろうか?ここでもう1点指摘しておきたいのは、家政婦が主人公の妻に
事故を告白したのには、とても驚いた。妻の姉の紹介で家政婦を行ったことと
関係しているのかもしれないが、法廷で争い、示談をすすめながらそれを覆す
内容を伝えたのは、女性同士の結びつきはなんと強いものかと思った。
疑問4:もっと近くに職場はないの?旦那にばれないの?
家政婦の境遇の過酷さは、想像に余りある。夫は失業、妊娠4ヶ月半で、
4歳の子供連れで、2時間かけて働きにでる。しかも、夫に内緒で。果して
無職の夫にばれずに通い続けられるということなのだろうか?
介護で目を放した隙に、外へでた主人公の父を探しに慌てて外へ出て、
交通の激しい道路越しに発見。無理に横断しようとして車にぶつかり流産の
原因となったというのは可哀相すぎる。嘘をついたのは許せない部分があるが、
それでも生活は、あまりにも過酷だ。
ここでもうひとつ考えさせられるのが宗教・コーランの恐ろしさ。最後に本当の
ことを家政婦が告白したのは、コーランの前で宣誓すると、子供にたたりがくると
信じているからだ。ここは単に、宗教が嘘を許さないように機能していると、
プラスには受け取れない。家政婦は、信心深いという範疇を超えて、恐怖に
落とし入れられているように見える、これじゃあまるで洗脳ではないか?
一方、主人公の夫は、コーランに手を置いて嘘をついている。この構図は、
弱い立場の者が宗教に深く入り込み、苦しんでいるというともとれる。
一方で、強い立場の者がコーランに手を置いて嘘をつく。宗教とは何ぞや。
疑問5:子供に親を選択させる?
家政婦の告白で、示談も、殺人罪も吹っ飛んでしまった。最後の場面で、
中心に押し出されるようにでてきたのは、主人公の娘だ。お母さんは、
海外へ行ってよりよい環境のなかで育てようといい、お父さんはそれを許さず
家で熱心に勉強を見てくれる。お父さんの嘘を、素朴な疑問から見破って
いった冷静な娘。それでも裁判では、家族のために嘘をついた。
一緒に暮らしたい。なのに、誰と暮らすのか選べという11歳の私に。
この娘の発言だけで、決定をするのかどうかは知らない。でも、決定しないなら
聞くのも酷だし、決定するのも無茶という気がする。
映画は、裁判官に「決めましたか」と聞かれて、娘は「はい」と答える。
だが、お父さん、お母さんの前で、決定を言うことはできず、夫婦が廊下へ
退席し、結果を無言で待っているところで終わる。
さてこの後、どうなるのだろうか?こんなのどうだろう。
「決めてますけど、申し上げられません。私の決めることではなく、両親が
話し合ってきめることだと思います。法律で私が決めないといけないことに
なっているのであれば、私は罪を犯します。申し上げられません。」
「法律上、子供が決められない場合、親権はお父さんになります。」
注)私は、イランの法律については全くわかりません。
まあ、私がこの娘の立場で、両親と一緒に暮らすことを望んでいるならば
父を選択するだろう。なぜなから、母を選択すれば、父とは永遠の別れと
なりそうな気がするから。一方、父は、介護も大変そうだし、いつか母も
戻ってきてくれるかもしれないから。これは優柔不断なO型の問題先送り
パターンだろうか?
最後に。
疑問1~5に対して、私が書いたことは、内容は別としても質問に対する
回答になっていない。それだけ整理できていないということだが、それぞれの
具体的な疑問から家族、貧富、男女、宗教、司法といった普遍的な
疑問へ導かれているとうことは言えるであろう。
そのなかで、自分の差別・偏見意識や、それぞれの登場人物に感情移入
するなかで自分もうちのめされた感覚を味わいました。家政婦の夫は、
暴力的で短気で、すかんなあと思いながらみていたのですが、最後の発狂
しそうになって家からでてゆくところで、少し気持ちがわかるような気がして、
それまでほど悪い奴とは思わなくなりました。
考えれば考えるほど、よくできた映画です。
深く詳細な記述、とても興味深かったです。
ただひとつ、ラジエーはお金を盗んでいないとわたしは思いました。
最初の方で、妻シミンが家を出る前に、札束を数えていたシーンがありました。多分当座の生活費として彼女がお金をそこで持ち出した気がするのですが……。
あれだけラジエーが真剣に盗みだけは働いていないと主張する姿に嘘は感じられませんでした。
ここら辺は色々意見が分かれそうですね。
とりあえず宗教観の違いはありますが、人間の普遍的な悩みや日常、トラブルは一緒なのだなと共感しきりでした。
良い作品ですよね。
もう一度みたら、私の意見も変わるかもです。
ラストでの告白があっただけに、全てを疑うという
私の考えがラジエ-にとっては酷でしょうし、
最初のあたりは特にうろおぼえも多いですから。
ただ、私がひっかかったのは、
突発的に医者にいくことになったとして、持ち合わせが
あるものなのかなあ?それに、日当分だけというのと、ラジエーでなければ誰が?というところです。
それで真剣にな訴えは差し引いて考えました。
でも、日当分だったら自分とバレ安いのになぜとか、
お金がそこにあるとあっさりわかったのかとか、
その後、ナデルがあまり追求しなかったとか・・
ラジエー白説も強いですね。
まあ、監督は、そうなるようにして、最後の判断を
するときに何を重要視するかは、その人の本質的な
ところが影響するように作っていると思うので、
それがやっぱり凄いなあと思います。