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もっきぃの映画館でみよう(もっきぃの映画館で見よう)

年間100本の劇場鑑賞、音声ガイドもやってました。そんな話題をきままに書きます。ネタバレもありますのでご注意を。

続・「力道山」 妻役の中谷美紀に「ビューティフルマインド」を見た。

2006-04-02 23:08:44 | 挌闘技系
勝って切ない「力道山」をささえる妻・綾。ブログでは、意見が
わかれているようですが、わたしはすっかり感情移入してしまいました。
演じる、中谷美紀出演作は、いままで「約三十の嘘」「疾走」を
みましたが、まあまあの印象しかもっていませんでした。でも、
今回は、決して多いとは言えない出番ながら、ある意味力道山以上に
切なく、それでいてけなげで細やかで優しいオリジナル「綾」を
見事に演じていたと思います。(次回作主演の「嫌われ松子の一生」が
楽しみ)
 アカデミー賞をとった「ビューテイルフマインド」で、統合失調症の天才数学者
ナッシュ(後にノーベル経済学賞受賞)をささえる妻を演じた、
ジェニファー・コネリーを思い出しました。

(以下ネタバレ)
印象に残った「綾」三つのシーン

◆華やかな宴会、10人あまりの芸者の中。
無表情(やや悲しげ)で三味線を引く姿
薄い桜色の着物。

◆差別と偏見の前で自暴自棄になりそうな力道山をささえる言葉。家の中。
「関取、あなたの夢はなんですか?」
「これからは、きっとうまくいきます。」

◆アメリカ帰りの力道山が、いきない綾がお祈りをしている神社に行き
その帰り、桜並木のなか自転車の荷台に横のりになった綾は、体を
あずけるように力道山を抱きしめる。
「関取、わたしのことすきですか?」
「・・・・」
「関取、綾のことすきですか?」
「・・・・」

「オードリ・ヘップバーンはすきですか?」
「はい」

「降りまーす」

※なんとも可愛く、幸せ一杯にも聞こえるのですが、
 この綾という人の存在自体どこまでが事実かわからないこともあり
 複雑なそして不思議な気持ちでこのシーンを見ました。

<実在の綾>
最初、といっても学生時代の20年前、私は力道山の妻は
JAL国際線のスチュワーデス田中敬子であり、その息子が
当時の全日本プロレスの百田義浩、光雄であると思っていた。
ところが、これは年齢的にもおかしく<下記参照>、その後いくつかの本を
読んで整理してみると、どうも内縁を含めて4人の妻がいたようである。

大正13年11月14日生まれ(大正10年~の諸説あり)
昭和14年にスカウトされ日本へ

1人目:朴シンボン(今の北朝鮮)
力道山が日本に来る前に、結婚を決めており?
  力士になって朝鮮半島への遠征時(昭和17年?)に
  娘・金英淑(昭和18年生れ)をもうける。娘は、力道山が日本で成功してからも
  新潟港に停泊中の万景峰号で会っていたともいわれる。
  真偽についてはと疑問視する向きもある。
  アントニオ猪木がピョンヤンでの祭典(猪木VSリック・フレアー)を
  開く1995年に来日、東京ドームで新日本プロレスを観戦。

2人目:京都在住の女性(芸妓?)
  千恵子<千栄子>(昭和19年)義浩(昭和21年:京都伏見区出身)、
  光雄(昭和23年:東京都港区出身)、の3人をもうける。

  ※昭和25年、力士廃業

3人目:小沢ふみ子(力道山より2つ年上、日本橋葭町の売れっ子芸者)
  義浩、光雄を育てる。あとから千恵子も。
  内縁の妻であり、育ての親。
  村松友視『力道山がいた』によると、当時のプロレス紙には力道山との
  写真が載っていて、昭和32年末から別居したという。

4人目:田中敬子(JAL国際線スチュワーデス、昭和16年生れ)
  昭和37年9月初対面、
  昭和38年1月婚約発表。 この後、力道山は極秘に韓国入り   
  昭和38年6月結婚式 

  昭和39年年12月15日死亡(力道山39歳)
  昭和40年年3月26日娘・浩美が生まれる。

※なんとも華やかな遍歴ですが、映画で描かれた時代からみても
名前からみても3人目の(ふみ子-->文->あや->綾)さんがモデル
の中心なのでしょう。でも、映画は1944年(昭和19年)からはじまっており
時期的には、2人目の京都在住の女性と重なるため事実に忠実
というより、オリジナル綾と考えるべきでしょう。

映画では子供も、三千人といわれる招待客の結婚式を行った4人目の妻も
でてきませんが、妻・綾の幸せとさみしさは伝わってきました。

前出の『力道山がいた』によると、綾と別かれた力道山は
『ちょっと病気で療養に行っている』
『すべて、ワシの方に責任があった』
と語っているとのこと。

また、4人目の田中敬子夫人の著書『夫・力道山での慟哭』によると
力道山は結婚前に、文子前夫人のことを
『一番苦しいときによく子供たちのことを世話してくれた。いまは
喘息で入院しているが、もし機会があったら会ってやってくれ。』と言い。
敬子夫人がお見舞いにいくと『あなたが敬子さんね、よく知ってますよ。
皆いい子だけど、みっちゃん(次男)は勉強が嫌いでたいへんだと思うけど
よろしくね』と言ったそうです。

映画では、最後に自宅療養となり、終了時のテロップでうろ覚えで
正確ではないですが『力道山の死後、1ヶ月この世を去った』とでて
いました。これは、本当なのでしょうか?乳癌だったと、どこかでよんだ
覚えがありますが、事実だとすればなんだかつらすぎる話です。
できればこの部分は、監督のオリジナルであってほしいです。
こう考えると、ますます中谷美紀の演じる綾がいとおしく思われます。

では、次回は「衝撃のブレンバスター」と題して、プロレスラーの役者ぶり、
ソルギョングのレスラーぶりを書きたいと思います。ちなみに、プロレスに
関してはまったく力道山のプロレスではなく、現代というか昭和後半の
プロレスという感じでした。その象徴的なのがブレーンバスター。
多分力道山の死後に使われはじめた技だと思いますが、それが
ダブルブレーンバスターで、しかもパンクラスの船木がやるんですよ!!
いやー参った参った。

ではまた。


映画「力道山」 監督がつくりあげた勝って切ないオリジナル力道山物語
続・「力道山」 妻役の中谷美紀に「ビューティフルマインド」を見た。
続々「力道山」 衝撃のダブル・ブレーンバスター
力道山 関連本 オススメは、「もう一人の力道山」李 淳【イル】と「力道山がいた」村松 友視


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (わてが丁稚の定吉だす)
2006-04-03 00:02:35
実に丁寧なブログで感服しました。「衝撃のブレンバスター が力道山プロレスで炸裂?

」も楽しみにしています。
返信する
わてが丁稚の定吉だす さんへ (もっきぃ)
2006-04-03 00:25:07
HPみせていただきました。

80-90年代のプロレスファンとのこと。

私も猪木さんのファンで1975年タイガージェットシン戦からです。

あの頃は、ブレーンバスターがフィニッシュホールドとして使われてましたよね。

シンもつかっていたし、ディック・マードックは必ず毎試合だしていたような気がします。では、ご期待ください。

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