もし、あなたなら~6つの視線のなかで、一番驚いた作品
エピソード6 NEPAL 平和と愛は終わらない
「JSA」「オールド・ボーイ」のパク・チャヌク監督
1990年代のソウル。つたない韓国語を操るネパール人女性グルンさんは
財布を落してラーメンをたべ無線飲食で警察につかまる。警察官は
グルンさんを精神障害者と間違え、その後6年4ヶ月もの間、精神病院などを
たらい回しにされたお話。おもわず「ありえねーっ」と叫びたいところ
ですが、これは実話。いろいろなミスが重なったとはいえ、
言葉が通じないこと、コミュニケーションのとれないこと、
そして無関心になることの恐怖を感じました。
映画は、「理由」のように、ルポタージュ形式が半分、そして再現
が半分の形で進んでいきます。そして再現の部分では、決して
主人公である被害者グルンさんは顔をださず、ことばだけ。
必死で、かたことの韓国語で「私はチャンドラ・クマリ・グルン」
「ネパール」と叫ぶ音声と。やさしい顔で聞いている精神科の先生
が「はい、はい」などと反応するのが映し出されます。画面に映るのは
警察、医者、看護婦などなどで、グルンさんの視線で映っているのですが
相手にしてくれなくて見ていてイライラします。本人はそれこそ、
気が狂う重いであったことでしょう。でも、あばれるとますますまわりは
精神障害者だと考えてしまうという悪循環。
極めつけは、精神病院で韓国語を教える場面。
先生が、「私の名前は、パクと言います。」みたいな基本の文を
ホワイトボードに書いて教えるんです。それで、「私の名前は
チャンドラ・クマリ・グルンです。」と、何度も何度もいうのですが、
先生は困った顔をして「違います。」と言います。「違う。違う。
私の名前はチャンドラ・クマリ・グルンです。」と何度も繰り返しても
通じません。
これを読んで、いろいろな疑問が浮かぶと思いますが
映画のなかでは、精神障害者と考えた警察官、勤めていた工場の
人の話、精神病院の看護婦さん、入国管理局の人などなどが登場し
そのときの状況を説明してくれます。それぞれ納得せずとも
しかたないかなあとも思えてきます。
そして最後に、ご本人も登場。生れ故郷のネパールにもどり、
民族衣装を着て躍っているグルンさん。やさしい表情なのが
救いでした。
バク・チャヌク監督「この映画で、だれか特定の人物を
描きたかったわかではありません。無関心と無知、その結果として
起こる悲しみを描きたかったのです。」
ではまた。
エピソード6 NEPAL 平和と愛は終わらない
「JSA」「オールド・ボーイ」のパク・チャヌク監督
1990年代のソウル。つたない韓国語を操るネパール人女性グルンさんは
財布を落してラーメンをたべ無線飲食で警察につかまる。警察官は
グルンさんを精神障害者と間違え、その後6年4ヶ月もの間、精神病院などを
たらい回しにされたお話。おもわず「ありえねーっ」と叫びたいところ
ですが、これは実話。いろいろなミスが重なったとはいえ、
言葉が通じないこと、コミュニケーションのとれないこと、
そして無関心になることの恐怖を感じました。
映画は、「理由」のように、ルポタージュ形式が半分、そして再現
が半分の形で進んでいきます。そして再現の部分では、決して
主人公である被害者グルンさんは顔をださず、ことばだけ。
必死で、かたことの韓国語で「私はチャンドラ・クマリ・グルン」
「ネパール」と叫ぶ音声と。やさしい顔で聞いている精神科の先生
が「はい、はい」などと反応するのが映し出されます。画面に映るのは
警察、医者、看護婦などなどで、グルンさんの視線で映っているのですが
相手にしてくれなくて見ていてイライラします。本人はそれこそ、
気が狂う重いであったことでしょう。でも、あばれるとますますまわりは
精神障害者だと考えてしまうという悪循環。
極めつけは、精神病院で韓国語を教える場面。
先生が、「私の名前は、パクと言います。」みたいな基本の文を
ホワイトボードに書いて教えるんです。それで、「私の名前は
チャンドラ・クマリ・グルンです。」と、何度も何度もいうのですが、
先生は困った顔をして「違います。」と言います。「違う。違う。
私の名前はチャンドラ・クマリ・グルンです。」と何度も繰り返しても
通じません。
これを読んで、いろいろな疑問が浮かぶと思いますが
映画のなかでは、精神障害者と考えた警察官、勤めていた工場の
人の話、精神病院の看護婦さん、入国管理局の人などなどが登場し
そのときの状況を説明してくれます。それぞれ納得せずとも
しかたないかなあとも思えてきます。
そして最後に、ご本人も登場。生れ故郷のネパールにもどり、
民族衣装を着て躍っているグルンさん。やさしい表情なのが
救いでした。
バク・チャヌク監督「この映画で、だれか特定の人物を
描きたかったわかではありません。無関心と無知、その結果として
起こる悲しみを描きたかったのです。」
ではまた。