愛と幻想のファシズムと新世紀エヴァンゲリオンをくっつけただけなんですが、龍さんの小説はともかく、エヴァンゲリオンについてはほとんど無知でございます。何の話かも知らない。
ただ鈴原トウジと相田ケンスケという名前を、村上龍の小説から引用したということはわかります。モロですから。
「愛と幻想のファシズム」は、もう何度も読み返しましたが、20数年前に書かれたこの小説のなかの世相に現在の日本が似てきております。が
小説では一人のカリスマが、多くの人々を魅了して政党、私設戦闘組織を持ち、自らの理想とする社会、国家を作るためにテロや謀略を繰り返して国内を掌握。対外的にはイスラエルと結び戦術核を秘密裏に装備し、ハッカー集団を組織しての情報操作、攪乱を繰り返し、ついにはアメリカ、ロシア(ソ連)の牽制に成功する。
ということなんですが、残念ながらこういう人は現れてないようです。というか過去の歴史を振り返っても日本に独裁者が君臨したことはないようですので
、極度の外圧がない限り鈴原トウジは出てこないんだろうなあ。
世に”独裁者”といわれた人々は政権を握るまでの時期、かなり魅力的だったんだろうなあ。磁気のようなものに包まれていて魂まで吸い取られるような。
などと思い渡しているところへ「カダフィの死」どうせまた石油利権がらみでの謀略によるものだろうけど、「民主化」を何よりも恐れる中共へのかるーいメッセージですかな。独裁者=悪者、民主改革運動家=正義の人などという6~70年代の漫画、アニメのような価値観ではもう複雑に絡み合う現在の社会はわけわからんようになっとります。民主と名のついた某国の政党がアレですから。
今後、リビアは政権をめぐり先の見えない混乱と殺戮に明け暮れるのでしょう。たとえどんなにひどいやり方にせよ、リビアを束ねていたカダフィを殺して舞い上がってるだけでカダフィ後のヴィジョンなどないリビアの人々同士が利権目当ての諸外国の代理テロをやらされ疲弊しきったところで、事実上どこかの属国となるか分割されるか。
ヒトラー(の決定的な最期は未だに不明ですが)ムッソリーニ、チャウシェスク、でもってカダフィ。その最期は一抹、哀れですな。
ただ鈴原トウジと相田ケンスケという名前を、村上龍の小説から引用したということはわかります。モロですから。
「愛と幻想のファシズム」は、もう何度も読み返しましたが、20数年前に書かれたこの小説のなかの世相に現在の日本が似てきております。が
小説では一人のカリスマが、多くの人々を魅了して政党、私設戦闘組織を持ち、自らの理想とする社会、国家を作るためにテロや謀略を繰り返して国内を掌握。対外的にはイスラエルと結び戦術核を秘密裏に装備し、ハッカー集団を組織しての情報操作、攪乱を繰り返し、ついにはアメリカ、ロシア(ソ連)の牽制に成功する。
ということなんですが、残念ながらこういう人は現れてないようです。というか過去の歴史を振り返っても日本に独裁者が君臨したことはないようですので
、極度の外圧がない限り鈴原トウジは出てこないんだろうなあ。
世に”独裁者”といわれた人々は政権を握るまでの時期、かなり魅力的だったんだろうなあ。磁気のようなものに包まれていて魂まで吸い取られるような。
などと思い渡しているところへ「カダフィの死」どうせまた石油利権がらみでの謀略によるものだろうけど、「民主化」を何よりも恐れる中共へのかるーいメッセージですかな。独裁者=悪者、民主改革運動家=正義の人などという6~70年代の漫画、アニメのような価値観ではもう複雑に絡み合う現在の社会はわけわからんようになっとります。民主と名のついた某国の政党がアレですから。
今後、リビアは政権をめぐり先の見えない混乱と殺戮に明け暮れるのでしょう。たとえどんなにひどいやり方にせよ、リビアを束ねていたカダフィを殺して舞い上がってるだけでカダフィ後のヴィジョンなどないリビアの人々同士が利権目当ての諸外国の代理テロをやらされ疲弊しきったところで、事実上どこかの属国となるか分割されるか。
ヒトラー(の決定的な最期は未だに不明ですが)ムッソリーニ、チャウシェスク、でもってカダフィ。その最期は一抹、哀れですな。
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