十八史略を読む-75 戦国の七雄-7 秦 その5 商鞅の改革の効果
こうして、10年秦では落とし物があっても誰も猫ばばしない。山奥でさえ盗賊が出ない。人民の生活が安定し、国の戦いとなれば勇敢に戦ったが個人的な争いは起こそうとせず。町にも平和な生活が訪れた
最初は新法に不満を唱えていたものがいたが、今や彼らも新法礼賛組に回った。
しかし、公孫鞅はかれらを「法を乱す民である」としてことごとく辺境の地に移した。
それからというもの、あれこれと議論を挟むものはあとを絶った。
さらに公孫鞅は、父子兄弟が一軒の家に同居することを禁じた。また、重ありの井田法を廃止、畦や境界をつぶして田を広げ、一律の租税法を適用した。
かくて、秦はますます富国強兵に向かった。
公孫鞅は、この功績により商・於以下15の領地を与えられ、以後は商君と呼ばれるようになった。
こうして、10年秦では落とし物があっても誰も猫ばばしない。山奥でさえ盗賊が出ない。人民の生活が安定し、国の戦いとなれば勇敢に戦ったが個人的な争いは起こそうとせず。町にも平和な生活が訪れた
最初は新法に不満を唱えていたものがいたが、今や彼らも新法礼賛組に回った。
しかし、公孫鞅はかれらを「法を乱す民である」としてことごとく辺境の地に移した。
それからというもの、あれこれと議論を挟むものはあとを絶った。
さらに公孫鞅は、父子兄弟が一軒の家に同居することを禁じた。また、重ありの井田法を廃止、畦や境界をつぶして田を広げ、一律の租税法を適用した。
かくて、秦はますます富国強兵に向かった。
公孫鞅は、この功績により商・於以下15の領地を与えられ、以後は商君と呼ばれるようになった。