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一飯の恩に報う

2005-08-25 20:43:33 | 十八史略を読む
十八史略を読む-80 戦国の七雄-7 秦 その10 一飯の恩に報う
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

かつての須賈が魏の使者として秦を訪れた。

范雎は秦での身分がばれないようにぼろをまとって、人目につかぬようにして、須賈に会いに行った。

「おう、范雎生きておったか。」と言って,引き止め、ご馳走した上、「おまえはそんなに貧乏しているのか」と、厚い綿入れ一枚を与えた。

やがて、范雎は、須賈の馬車を御して、宰相の官邸に案内した。

「わたしがまず先に入って宰相に取り次ぎましょう」

須賈は入口で待っていたが、范雎がなかなか出てこないので、門番に聞いてみた。すると門番は応えた。

「范雎などというお方はいません。さっきのお方が宰相の張禄さまです」

須賈は、はじめてだまされていたことを知った。そこで范雎にかつての罪をわびるため、膝でにじり歩いて邸内に入って行った。

范雎は宰相の座に座ったまま、須賈を責めた。

「おまえが殺されずに済むのは、綿入れをくれたりして、いかにも昔なじみの情が表れていたからだ」

范雎は須賈の罰し方を考えた。

まず、諸侯の賓客たちを招き、盛大な宴会を開いた。そして、衆目の前で須賈にはワラと豆のカイバを与え、馬の格好でこれを食わせた。

さらに、須賈を帰国させるとき、魏王にこういわせた。

「いいか、速やかに魏斉の首を持ってこい。さもなければ、魏都大梁(たいりょう)を攻めて皆殺しにしてやる」

須賈は帰国すると、この旨、魏斉に報告した。

魏斉は恐れをなして、国を逃げ出し、自殺した。

范雎は秦でこうなり名を遂げると、こうして飯一杯の恩にも報いたし、またわずかの恨みにも必ず報復したのである。

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