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頭蓋骨を盃に

2005-07-30 05:10:59 | 十八史略を読む
十八史略を読む-41 戦国の七雄-2 趙 その3 頭蓋骨を盃に
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

簡子鞅(かんしおう)は、晋陽の地を尹鐸(いんたく)という臣下に治めさせた。尹鐸は赴任するとき、税金を取り立てる方法を採るか、それとも人身を把握する方法を採るか簡子鞅に伺いをたてた。簡子鞅はもちろん後者だと答えた。

尹鐸は任地の晋陽に赴くと、人民の税金を軽くした。簡子鞅は「将来、もし趙が危難に陥ったときは、晋陽を根拠地にせよと言った」やがて簡子鞅が死んで、無恤(ぶじゅつ)があとを継いだこれが襄子である。

折しも、そのころ勢力を強めつつあった晋の卿のひとり知伯(ちはく)が韓氏、魏氏に領地の割譲を求めてきた。韓と魏は知伯の勢力を恐れて、言いなりになった。図に乗った知伯は趙氏にも同じことを求めてきたが、襄子はこれをきっぱりと断った。

知伯は韓、魏の軍を併せ趙に攻めてきた。襄子は父の言葉に従って晋陽に逃れ、ここにたてこもった。

連合軍はこれを取り囲んで、水攻めにした。晋陽は水浸しとなり、城壁も水上六尺を余すだけとなった。しかし、善政に感謝していた晋陽の民からは一人として裏切り者が出なかった。

やがて襄子は密かに韓と盟約を結び、知伯を破り滅ぼしたあと領地を分割した。

知伯を憎む襄子はこれだけでは、あきたらず、知伯の頭蓋骨に漆を塗って盃にした。

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