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跡継ぎの決め方

2005-07-29 17:06:06 | 十八史略を読む
十八史略を読む-40
戦国の七雄-2 趙 その2  跡継ぎの決め方
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

趙武が死ぬと文子(ぶんし)と諡(おくりな)された。文子の子が景叔であり、景叔の子が簡子鞅(かんしおう)である。簡子鞅には周舎という賢臣がいたが死んでしまった。

簡子鞅は朝廷に出るたび、群臣を前にして不満を述べ立てた。「羊の皮は千枚あっても、狐のわきの皮一枚の値打ちもないと言われるが、おまえたちはわしの言うことをただハイハイと聞くだけで、周舎のようにズバリと意見を言うものがいないな」

簡子鞅には長男の伯魯(はくろ)と次男の無恤(ぶじゅつ)がおり、ある時訓戒の辞を書いた竹簡を渡して言った。「よく心に記憶することだ」

三年ほど経ったとき、簡子鞅は二人に竹簡のことを尋ねた。すると伯魯はまるで覚えてないどころか、竹簡をどこかになくしてしまっている。

反対に無恤は訓戒をよく暗誦していたし、竹簡を求められるとすぐに懐から取りだして見せた。

このため、簡子鞅は無恤を跡継ぎにすることに決めた。

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