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傾城傾国

2007-05-22 19:24:14 | 中国のことわざ
中国のことわざ-279 城を傾け国を傾ける 傾城傾国(けいせいけいこく) 


「城」は中国語では、「城市」つまり都市の意味である。傾城傾国は一つの都市,一つの国を投げうち傾けさせるほどに、男にとって魅力に満ちた妖艶な美人の意味である。美人にうつつをぬかして入れあげ、「病膏肓(やまいこうこう:物事に熱中してどうしようもない状態になる)」となれば、ついには「傾城傾国」となるのである。


この語は「漢書」外威伝に出てくる。
漢の武帝の時、いわば宮中歌舞団のリーダーに李延年という男がいた。ある日、武帝の前でこんな歌を歌った。

北方有佳人      北方に佳人あり
絶世而独立      絶世にして独り立つ
一顧傾人城      一顧すれば人の城を傾け
再顧傾人国      再顧すれば人の国を傾く
寧不知傾城与傾国   寧んぞ知らず傾城と傾国と
佳人難再得      佳人は再びは得難し

「北方に絶世の美人が群を抜いて独り立っている。一度見れば城を傾けさせ、二度見れば国を傾けさせるほど、忘れがたい魅力がある。傾城傾国したとてかまわぬではないか。こんな美人は二度と手に入らない」というのである。


こうして李延年が武帝にすすめそそのかした美人は、ほかならぬ自分の妹であった。
自分の妹を武帝に売り込むためのPRソングだったのである。
英雄色を好むのたとえ通り、心動かされた武帝が召しだしてみれば、まさに絶世の美女であった。武帝はただちに皇宮に入れ、妾妻の一人にした。
李夫人への武帝の寵愛は深いものがあったが、美人薄命のたとえで李夫人は若くして亡くなってしまった。武帝の悲嘆は深く、予め自らの墓として造営しておいた陵墓たる茂陵(もりょう)の傍らに葬った。現在の西安西郊にある茂陵の傍らに寄り添うように営まれている李夫人の墓を見ることができるという。それは武帝の数ある女性の中で李夫人ただ一人受けた待遇であった。


中国史には数多くの美女が登場するが、その中から傾国の美女とされる女性を次に挙げておきましょう。
1 呉王夫差は越王句践から西施を授かり、彼女の色香に惑い、越に滅ぼされる
2 最後まで虞美人をそばから離さなかった項羽は垓下で劉邦軍に敗れ覇権へののぞみを絶たれる
3 唐の玄宗皇帝は妖艶な楊貴妃と戯れ、政治に興味を失って安禄山の乱が起き唐王朝が衰運に向かった。

美女はこのほかにもたくさんいますね。例えば、夏と殷の滅亡の原因となった妻妾の末喜(ばつき)と妲己(だつき)がいます。彼女らは傾国の美女とはいわれていません。どのように中国でいわれているのかというと可哀想にも「毒婦」です。「毒婦」はなまめかしく美しいが男を惑わす腹黒い女です。
虞美人や楊貴妃は悲しい最期を遂げたましたが、せめてもの慰めは毒婦と呼ばれなかったことでしょうね。


出典:田川純三。中国名言・故事人生篇、日本放送出版協会、1990年6月20日


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