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林則徐、虎門でアヘンを焼く

2006-01-07 11:04:33 | 読書備忘録
中国の歴史:中国小学校社会教科書②林則徐、虎門でアヘンを焼く

中国の近代史を勉強する目的で、中国の教科書を少しずつ読んだ内容を綴ってゆきます。

第4章は近代の中国(1)でサブタイトルは「中国人民と正義の志士の勇敢な奮闘」となっている。

第1課は林則徐が虎門でアヘンを焼くところ。

昨年の11月に天安門広場に行った。中央には人民英雄記念碑がそびえ立っている。この記念碑をバックに記念写真を撮ったが、この記念碑の台座のまわりに8枚の浮き彫りがはめ込まれているという。

そこには新中国が建国される前の、闘争の歴史が刻まれている。その最初の一枚目が林則徐が指導した虎門でのアヘン焼却という。

罪深いアヘンの密輸:アヘンを吸った場合の症状が記述されている。“1800-1840年の僅か40年間に、イギリスのアヘン商人が中国に密輸したアヘンは40余万個にのぼり、中国から3,4億の銀圓(昔の銀貨)を略奪した”とある。

林則徐、アヘン禁止運動を指導する:“道光皇帝はアヘンの氾濫が自分の統治に影響することを恐れ、アヘンを禁止させるために林則徐を広東に派遣した。1839年3月林則徐は広州に到着し、ただちに命令を出してアヘン商人を逮捕し、また外国のアヘン商人に、アヘンを引き渡し永久にアヘンを売らないと書面に書いて保証するよう通告し、今後もし再び売るならば、アヘンは没収し、人間は死刑にするとした。さらに彼は通告の中に「アヘンが根絶するまで、私は帰らない」と書いた”

“イギリスの広州駐在商務代表エリオットは、イギリスのアヘン商人にアヘンの引き渡しと保証書を書くことを拒絶するよう指図した”:なお、この部分は映画「阿片戦争」のストーリーと少し違っているが、映画を見てゆくとエリオットが意図したのは映画と同じ内容であることに気づく。

“林則徐は命令を出して駐英貿易を停止した。さらにアヘン商人の逃亡を防ぐため、派兵してイギリス人の商館を包囲した。広州人民は積極的に支持して、商館の飲食の供給を絶ち、エリオットに服従を迫った。イギリス、アメリカなどの商人は併せて110余万キログラムのアヘンを引き渡した”

“1939年6月3日、虎門の海浜は黒山の人だかりで、非常ににぎやかだった。人々がアヘン焼却を見物した。林則徐は人に命じて海浜に二つの15丈(1丈は約3.3メートル)平方の大きな池を掘らせ、池中に海水を満たした。何箱ものアヘンが切り刻まれて池に空けられ、さらに消石灰を投げ入れると、たちまち、湯気がもうもうと舞い上がって、アヘンは焼却された”

“1840年6月、イギリスの植民地主義者はなんと多数の軍艦を派遣して、罪深い阿片戦争を起こした。清朝政府の妥協と投降によって、中国人民の抵抗闘争は失敗した”

“1842年、イギリスは清朝政府に迫って、我が国近代史上第一番目の不平等条約の中英条約(南京条約)に署名させた。条約は中国は香港島をイギリスに割譲する。イギリスが広州、福州、上海等の地で商売し、領事を駐在させることを許可する、イギリスに2100万元賠償する、と規定した。これ以降、中国は半植民地・半封建社会に変わり始めた”

ところで、中国の教科書のにはところどころで“言ってみよう”という設問があり、小学生に内容を理解しているかを問う構成となっている。

“言ってみよう”:アヘンの密輸は中国にドンも様な危害をもたらしたか?
“言ってみよう”:我が国近代史上第一番目の不平等条約は何条約か。この条約によって、我が国のどこの領土がイギリスに割譲されたか、我が国政府はいつからこの領土への主権の行使を回復したか?

書名:中国の歴史:中国小学校社会教科書
監修・訳:小島晋治
訳:大沼正博
発行所:明石書店
発行年:2000年11月10日


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