28年間旧ソ連との貿易に携わっていました。年3-6回は出張。約35年前は、横浜港から船にのり、太平洋経由で、波の荒い津軽海峡
(よく船酔い)をわたり、2泊3日でナホトカ港に。トランクにサンプルを詰め込み、先方で開梱し、実物サンプルでの商談の日々でした。
やがて、航路の開設。奥地への訪問も可能となり、ウラジオストック、サハリン、カムチャッカ半島、ハバロフスク、イルクーツク、ノボシビルスク
モスクワ、レニングラードなど多くの都市も行きました。友好親善の活動もあり、特に、イルクーツク州・都市とは、姉妹都市、県と州間の
協力協定締結などに奔走しました。
地元産業の振興をと、木材・水産物輸入、繊維・雑貨・中古車・部品などの輸出に力を入れました。急速な円高の進行、巨大企業の進出
また、国内の産業構造の変化やロシア国内法の変化などもあり、中小企業の貿易交流は容易ではありません。在職中は、アメリカ流の
生き残り戦略に巻き込まれ他社を蹴落としてもの風潮になっていた気がします。お世話になった企業の今日の衰退をも目のあたりにして、
地方自治体はもとより、国として技術・経営面も含めた総合的な中小企業施策の充実(国の予算を現在の2千億前後から1兆円クラス)
で国内・地域に生きる、日本の主役である中小企業が元気になる施策の充実を痛感します。
貿易時代にできた多くのロシアの友人たち、今はメール通信しかかなわいけど、彼らは社長として、営業マンとして、どう生きているんだろうか?
また、会いたいなとも思うこのごろです。