共産党の事務所(会館)が金沢市の中村町にあります。建設が1968年ごろですから、50年
近くたちました。学生時代、会議利用で立ち寄りましたが、新しかったんです。当時は銀行から
借り入れできないので、当然100%自前資金、党員や支持者の皆さんが寄付をしました。毎月
数千円(当時給料は1万5千円まで?)の募金を1年近く頑張ったという先輩の話も聞きました。
70年代前半、大学卒業のころ、オイルショックで急に、原油高等・
石油製品関連品高等から街からトイレットペーパーなど日常品が消え、店頭に行列がつ
来ました。夜11時頃にはネオンサインも消え、自らのエネルギー不足・海外への輸入
依存体質の日本経済の弱さを露呈しました。同時に生活物資を隠し、便乗値上げの悪徳
商社もあることから日本共産党は生活必需品を生活弱者や学校などに優先的に供給させ
る運動の先頭にたちました。内灘町での火力発電建設反対運動、カドミウム汚染原因
究明など公害反対運動なども取り組まれました。当時の共産党会館はそんな運動の拠点
でした。
50年近くたち、雨漏りが目立つ現会館を建設しようと提起され、
11月中旬には一気に臨時の事務所に移転作業です。何せ、50年近くの資料や品物が
あります。一つ一つの文書には歴史・思い出もありますが、狭い仮事務所にはおけませ
ん。常任の皆さんのお宅に一時保管しながら、思い切って処分することに、トラック何
台にもなりました。私も連日、引っ越し作業に汗かき、腕や腰が痛くなり、労働不足を
痛感です。
新しい事務所は、現在の地で、3階建て。3階には100人程度の
会議ができるスペースもくります。環境にやさしい建物でソーラーシステムやグリーン
カーテンつけよう、高齢者も安心できるようエレベーターも、もちろん、若者や市民、
ご近所の方も気軽に立ち寄れるようなサロンスペースもつくりたい。夢や希望は膨らみ
ます。問題はそれを保障する資金です。100%党員や支持者の方の募金ですから、
大変。でも、年金から毎月数千円を、亡くなった夫が常々気にしていたので、実は以前
故梨木さん(弁護士で、元国会議員)に大変お世話になったから、そして私の世代のよ
うに、青春時代金沢で過ごした仲間たちなど、多くの方から募金が寄せられています。
来年4月完成へ、さらにこの輪をひろげます。