18日金沢駅頭での訴え終わって、新幹線改札口で比例候補のたけださんを待ちます。
昨日東京で約束したのに、降りてきません。仕方なく能登方面のIR鉄道の改札くぐり
、予定の特急「かがり火」前をウロウロ、また階下に行ってみたり。出発の音楽が流れ
ます、どうしよう探して車でいくか?ふと窓から手をふるたけださん、あわてて列車に
乗りました。聞くと新幹線から降りて、連絡口で羽咋行き切符を買ったとのこと。乗客
の利便考えてみればそうなんだけど、こちらはてっきり一旦降りて、乗り換えるかと思
って。1セット切符が無駄になりました。
羽咋で打ち合わせ後、車で穴水町
へ、途中アナウンサー役の礒貝さんらと合流。大相撲人気の遠藤関のふるさとです。負け
相撲見ると身体が悪いのかな?久しぶりで、商店街で訴え。長年ロシアとの友好と貿易交
流した経験から、シベリアに抑留された方の叫び(零下40-50度で捕虜として労働に
従事し、翌朝亡くなった同僚を埋葬し、ネズミさえ食べながら苦労した経験、戦場には前
も後ろもなく、後方が安全という安倍総理を批判し、戦争だけは駄目と語った方)を紹介
し、戦争法廃止とそれを実現する国民連合政府を、そのために比例ではたけだ良介さん
を、石川の地から亀田りょうすけ、Wりょうすけを国会にと訴えました。たけださんのわ
かりやすい話に拍手する商店のおかみさんたち。二人で走って、握手。
雨が降ってきました。ふるさと
珠洲市、高校の時開通していた旧国鉄珠洲駅の前です。「地元野々江町に生まれ、飯田
高校を卒業しました。子どもの頃は母は何もいいませんでした、近年、母の尊敬する
たった一人の兄さんがあの戦争で亡くなった、鉄砲でなく餓死だった。どんなにつらか
ったろう、能登に嫁いで百姓でどんな苦労しても、兄さんに比べればと頑張ってきた母
の無念、戦争だけは駄目やの母の思いに応えて、再び挑戦します」。
戦争法の危険な内容を語り、3児の親として、わが子もどの若者も戦場に送らないと述
べるたけださんの話に「声が通って、分りやすい」。25名前後の方が傘をさして聞い
ていただきました。
「あんちゃん(私の田舎では長男の呼び方)頑張
らし!」とご近所のかた。「前と違って頼みに出かけることもできんけど」「いいよ、
電話だけで」義弟(妹のご主人)の善二さんが母を介護し車で乗せてきてくれました。
曲がった腰で30分以上かけ畑から採ってきた野菜ももってきてくれました。
「身体気つけてね」「母ちゃん、ありがとうね」
夕方、宇出津商店街で訴え中に、
車が止まり「りょうすけ!」見ると高校の同級生で今は町議会議長でした。立候補予定
の記者会見聞いてすぐ電話かけ「安倍に風穴開けろ」と激励してくれました。
能登町の集いには30名近く集まりました。私が簡単に立候補の経過。たけださんが
自己紹介と合わせ、特別号外も使い戦争法の危険な内容と政府提案を。野党間の共闘と
党首間の信頼、国会前の国民の声が野党議員を激励し、政府提案につながったと。
「安倍支持率上がっているが?」「野党も離党騒ぎあるが、またバラバラになるので
は?」「パリのテロどう考えたらいいの?」「なぜ、安倍はアメリカと先に約束する
の?」皆さんの率直な質問にも、たけだ、亀田と党地区委員長が連携でお答え。
「Wりょうすけか、いいね」「やっぱり、生はいいわ、また来て」楽しく盛り上がっ
た集いでした。こんな日のカップ酒はおいしい。