イルクーツクといえばバイカル湖です。南北680km東西4-50kmで広さは琵琶湖の約46倍、水量は
世界の淡水の20%を占める巨大は湖(海)です。バイカル湖に流れる川は336本だが出るのは1本のアンガ
ラ川だけでエニセイ川につながります。
エニセイに恋した娘アンガラを許さぬと父バイカルが投げた石だといわれるシャーマンの石がバイカル湖と
アンガラ川の境目にあります。凍ったバイカルの上の散策なんとも言えません。初めてホバークラフトで走
り、バイカルの氷とウオッカで乾杯しました。岸辺にはロシアの人たちが食事を楽しんでいます。「20度
30度は寒さでない!」そして「20度30度は酒ではない」マイナス40度を記録するこの地だからこそ、そ
して40℃のウオッカを味わう人々の暮らしです。
終戦後多くの日本人捕虜が極寒のシベリアの地でも
強制労働で建設関連の仕事にあたりました。現地で亡くなった方々への慰霊の墓がイルクーツク内でも2ケ
所(墓地は数十?)あり、多くの人が訪れるリストビャンカ(バイカル湖畔の村)墓地が2016年改修され
ました。カタカナで氏名が記された墓柱もあります。こんなにきれいに整備されて!改めて現地の方々に
感謝です。金沢の10柱のロシア人墓地への慰霊も毎年実施していますが、こんなところにも友情を感じました。
日ソ協会石川県連会長(現ロシア協会)だった森茂喜さんのお墓(分骨)がシェレホフ市にあります。1日目
の協議のあと、元市長の案内で参拝しました。町長として活躍された森さんは、戦後一貫してソ連との友好親
善につくされ、イルクーツク州内の諸都市と石川県内諸都市の姉妹都市提携の基礎をつくりました。四半世紀
以上の功績に、名誉市民の称号だけでなく、現地の市民も墓参におとずれます。金沢と姉妹年のイルクーツク
市内に唯一の日本語名「金沢通り」があります。そして新たに「森茂喜広場」も整備され、市民の憩いの場と
なっているそうです。先人たちの労苦の歴史に感謝した旅でもありました。