城北病院名誉院長・元全日本民医連会長の莇昭三先生は今年86歳になら
れる、私の母と同じ年、現在も診療所などで診察をつづけ、住民に声をかけて
おられる。先生の60年にわたる数多くの業績をみなさんにわかるようにと、
実行委員の方々がお世話され、このたび刊行されることになり、26日記念会
に参加の機会を得た。
「権力は無法だ!何でもありだ!」と出版された本の小タイトルに書かれてある。
「患者の立場に立つこと」を医療活動の中心にすえる民医連運動への繰り返され
る圧力・攻撃、でも地域の患者が診療所を支持し、この圧力に勝つことができた。
朝鮮戦争開始とともに米軍の試射場建設が押し付けられ、村民ぐるみで反対
運動がおきた内灘。ここで住民の要求によってつくられた診療所に若き莇医師が
就任。しかし権力は旧来の500m以内に医療機関をつくらないルールを無視
し
て「赤い」診療所は許さんと30cm横に官制の診療所を建設。チェックが
厳しい中住民たちは、独自にたまりをつくり、そこに往診する形で自分たちの
診療所を守った。
現代の介護の時代を見越して、1980年代に、特養ホーム建設運動をすすめる。
当初は知事や政治家など「名士」と呼ばれる方の力も得てと考えたが、絶対に認
めないという自民党県連の方針をしり、反省の上に住民・大衆に依拠する方針に
転換。しかし高齢の患者は自分が入れるなら募金に協力するが・・。繰り返しの
話の中で、やがてあの世に行く方も、同じ世代の人が入れるならと協力、そして
自分のわずかな金が生きる・運動に参加できることが生きがい、その生きがい
く
れた先生ありがとうと言ってくれる高齢者に感動する莇先生。すべての運動に
住民と共に、住民のためにが貫かれている。
ソ連貿易時代に受診すると「亀田君、ソ連はどうかね?」と世間話が多かった。
石川県の日ソ協会運動でも特筆すべきポリオ生ワクチン輸入運動。青森と並び
石川でも輸入への母親運動が熱心だった。ソ連で効果があったが、誰が始める
か?先生は自分の子どもたち(長男は現在診療所所長)に投与し、大丈夫とな
ってから、他のこどもたちにひろげた。友の会事務局長時代にも絶えず患者・
住民との結びつきの大切さを示唆された。私など、人が造った道を自分なりに
歩んだが、先生は違う。どんな困難があっても、切り拓いていかれる。正確
な情勢分析と方針、深い住民・大衆への信頼、そして強い信念があったから
だと思う。この日、列席された各位の祝辞はいずれも共感できるものだった。
いい集会に参加させてもらった。そしてお酒も。
本とDVD早く読み・観なきゃ。