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フランスの暴動とフランス共和国モデル

2006-01-01 00:05:48 | Weblog

 フランスの暴動から2か月が経ってしまって,いつの間にか,もう随分昔のことのように思えてきている。この暴動の背景には、フランスの移民に対する同化政策の問題があることは、つとに指摘されてきていたが,最近(といっても大分前のことになったが)、もう少し掘り下げた論説に触れたので,これを紹介してみたい。

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 論説は,日経ビジネス誌2005年12月5日号の「世界鳥瞰」に掲載されたアルフレッド・ステパン(コロンビア大学教授)エズラ・スレイマン(プリンストン大学教授)「フランスの暴動を読む」である。

 この論説では、フランスの国家理念であり、フランスにおける移民政策のベースとなっている「フランス共和国モデル」の問題点を掘り下げている。「フランス共和国モデル」とは、フランス国民は同一の文化的アイデンティティーを擁するとするものであり、血統(民族)にかかわらず、文化的アイデンティティーによって国民の範囲(国籍ということではなくひとまとまりの国家を形成する構成員という意味か?)を決めるというものである。それを実現するために,すべての国民が同じ言語を話し、共通のカリキュラムに従って教育を受けなければならなかったという。

 ここまではまあいいのだろう。しかし、と,この論説はいう。このモデルの3つの要素が危機を引き起こしたという。

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 第1の要素は、フランスでは,公的調査ばかりか民間の調査でも,民族・宗教、さらには社会の改装についてのデータをも集めることを禁止したことである。このようなデータの収集は、フランスが1つであり,分割し得ないという大原則に反するからだという。

 第2の要素は、いかなる「積極的差別」をも拒否するというフランス政府の態度だという。ここでは、差別是正措置でさえ,民族の違いに基づくため、共和国モデルを害するとされるとのことである。

 第3の要素は,フランス共和国モデルの一部となっているポスト福祉国家のあり方であり,すべてのフルタイムの労働者に対して,世界有数の高さを誇る最低賃金と、企業負担の高額手当を保証する制度によって、企業は労働者を解雇するのが難しくなって、新規採用の意欲を失うことだという。

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 論者によれば,このようにして,フランスは,現実には差別があるのに、それを認識せず,差別是正措置もとらず、既存の労働者が手厚く保護されているだけに,新たに雇用を求める者に職を与えることができなくなっているという。これによって、今回の暴動の主役となった移民3世のマイノリティーの若者の失業率が30~50%にも達したのだという。

 ここに至って,ようやくフランス政府は市民権の平等をうたうフランス共和国モデルの危機を認識し始め,新設された社会調和省が、差別二間する調査・記録を開始したという。

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 長々と引用したが,他の論説の多くが,同化政策の是非を問われている、というような結論で締めくくっているのに対して,この論説では、実は,それが単なる政策の問題に留まるものではなく,フランスの国家理念に関わる問題であることを示している点で,なるほどね,と思わせるものがあった。

 あわせて、この論説は,差別の問題の難しさを,ある意味で端的に著しているように感じられる。差別を作らないために、理念において差別を否定し、国家がすべての国民を(ある意味機械的に)平等に扱うということは、確かに理想的ではある。また、フランス民主主義の象徴としてよく言われる「自由・平等・博愛」を実現するために、労働者の経済的地位を保証することも、その価値を否定することは難しい。

 しかし、現実には、様々な要因から、差別が発生し,存在し,下手に放置するとそれが拡大する。ここが実際の社会政策の難しいところであろう。

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 日本においても、明治憲法以来差別は否定されている。しかし、かつては、日本の民族(こちらは血統による民族)内での厳然たる差別が存在し、その差別が社会問題として提起されて、ようやく様々な対策が採られてきた。その流れの中では,差別反対運動の行き過ぎといったこともあったし、差別対策が利権を生むという副作用ももたらされた。

 それからかなりの年月が経過し、差別対策法が廃止されるところまできている。しかし、そういいながらも,やはりいまだに民族内の差別は存在するし,遺憾なことではあるが,事案によっては,その差別を背景で意識しなければ、事件そのものが理解できないという場合もある。

 また、現在でも、別の差別(例えば民族間差別)は続いているし,新たな差別が生み出されているようでもある。

 差別は、差別があると公に認めること自体が,まず難しいことである。それを認めることが,かえって新たな問題を引き起こすことも考えられないことではない。差別を認める認めないに関わらず,その対策もまた難しい。差別を受ける側に手を差し伸べることが、かえって逆差別を生むこともある。

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 自分自身の結論をどこに求めるか,簡単に決めることはできないが(私は政策立案者ではないから、その結論を求められることもないが),少なくとも理想と現実の差だけは常に認識しておかなければならないと考えている。



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