このままの人生じゃまずいので僕は今ちょっとだけ公務員試験の勉強をしている。ちょっとだけじゃダメだろ(笑)。
でも、これはつくづく思うけど、10代の頃に机に向かう習慣を作っとかないとダメだな。俺はもう本当に昔から勉強をしない奴だったからさ。小中学生の頃から宿題なんてやったことがないし、高校ではもう完全に色々やる気を失くしてしまった。そして、大学受験の最中もダビスタばかりやっていて、そのツケを払いきれぬまま現在に至る、みたいな。
誰しもが勉強する定期テスト前にさえも俺は普通に遊んでた。確かうちの中学はテスト2週間前くらいから部活が休みになったのだけど、とりあえず塾へ行ってみると、みんななぜか勉強してやがるんだよね。マジックザギャザリングというカードゲームが流行っていたからデッキを持っていっても誰も相手してくれない。ただ煙たそうに俺を見るばかり。薄情な奴らだよ(笑)。
でも、中学の頃の俺は、テスト前2日間だけは必死に勉強した。その間の集中力だけは誰にも負けなかったと思う。大筋は授業で理解してあるから、それを固めるためにひたすら問題集を解いた。その時の俺は近寄りがたい雰囲気さえ出していたと思う。高校以降の姿しか知らない人には信用してもらえないかもだけど、俺にもそんな風に勉強に打ち込んでいた時期があった。(※ただし2日限定)
それが今やその期間限定やる気スイッチさえも入らなくなってしまって。野球を観ようとブログを書こうと時間はたっぷり余っているはずなのに、どうしても勉強に気持ちが向かない。何となくパソコンを立ち上げて、何となくHな動画を見て、僕の何かさえも勃ち上がる。幸い自慰の所要時間は短い方なのに、欲望の滴から引く糸で作るハンモックにて昼寝してしまうで候。
あの頃と今とで何が違うかと言えば、やっぱり目標の有無だと思う。中学の頃までは「学年で○位にいなくちゃいない」というのがあったから、そのためなら少しは努力できた。でも今の自分は「どうせ俺なんて落ちこぼれだし~」という意識が強いから、はなから向上することを諦めちゃっている。いつの日からか諦めれば楽になることを知ってしまった。
恥ずかしながら俺も昔は自分を秀才と思っている時期があった。抜き打ちテストは大好物だったし(定期テストだとみんな勉強するから差が付かない)、「勉強量の割には」という注釈付きではあるものの学年でもそこそこの順位はキープしていた。今となっては根拠のない自信だったと我ながらに思うけれど、それが勉強のモチベーションになっていたのも事実なんだと思う。
歳を取るごとに人は丸くなっていく。もちろん俺も例外ではなくて、変に他人を見下すことはなくなった代わりに、今は過剰な自信を持つこともできなくなった。それは人間的な成長なのかも知れないけれど、一方で「もう少しぎらついた気持ちが必要なんじゃないか?」と思ったりもする。熱い気持ちを失くしたら人間死んだも同然だろう。
でも、どこかで「死んじゃった方が楽じゃね?」と考える自分がいる。いるけど、やっぱりどこかで生きることを望んでしまってる。未練タラタラみたらし団子の串で、今にも脳天を串刺してしまいそうな僕がいる。
でも、これはつくづく思うけど、10代の頃に机に向かう習慣を作っとかないとダメだな。俺はもう本当に昔から勉強をしない奴だったからさ。小中学生の頃から宿題なんてやったことがないし、高校ではもう完全に色々やる気を失くしてしまった。そして、大学受験の最中もダビスタばかりやっていて、そのツケを払いきれぬまま現在に至る、みたいな。
誰しもが勉強する定期テスト前にさえも俺は普通に遊んでた。確かうちの中学はテスト2週間前くらいから部活が休みになったのだけど、とりあえず塾へ行ってみると、みんななぜか勉強してやがるんだよね。マジックザギャザリングというカードゲームが流行っていたからデッキを持っていっても誰も相手してくれない。ただ煙たそうに俺を見るばかり。薄情な奴らだよ(笑)。
でも、中学の頃の俺は、テスト前2日間だけは必死に勉強した。その間の集中力だけは誰にも負けなかったと思う。大筋は授業で理解してあるから、それを固めるためにひたすら問題集を解いた。その時の俺は近寄りがたい雰囲気さえ出していたと思う。高校以降の姿しか知らない人には信用してもらえないかもだけど、俺にもそんな風に勉強に打ち込んでいた時期があった。(※ただし2日限定)
それが今やその期間限定やる気スイッチさえも入らなくなってしまって。野球を観ようとブログを書こうと時間はたっぷり余っているはずなのに、どうしても勉強に気持ちが向かない。何となくパソコンを立ち上げて、何となくHな動画を見て、僕の何かさえも勃ち上がる。幸い自慰の所要時間は短い方なのに、欲望の滴から引く糸で作るハンモックにて昼寝してしまうで候。
あの頃と今とで何が違うかと言えば、やっぱり目標の有無だと思う。中学の頃までは「学年で○位にいなくちゃいない」というのがあったから、そのためなら少しは努力できた。でも今の自分は「どうせ俺なんて落ちこぼれだし~」という意識が強いから、はなから向上することを諦めちゃっている。いつの日からか諦めれば楽になることを知ってしまった。
恥ずかしながら俺も昔は自分を秀才と思っている時期があった。抜き打ちテストは大好物だったし(定期テストだとみんな勉強するから差が付かない)、「勉強量の割には」という注釈付きではあるものの学年でもそこそこの順位はキープしていた。今となっては根拠のない自信だったと我ながらに思うけれど、それが勉強のモチベーションになっていたのも事実なんだと思う。
歳を取るごとに人は丸くなっていく。もちろん俺も例外ではなくて、変に他人を見下すことはなくなった代わりに、今は過剰な自信を持つこともできなくなった。それは人間的な成長なのかも知れないけれど、一方で「もう少しぎらついた気持ちが必要なんじゃないか?」と思ったりもする。熱い気持ちを失くしたら人間死んだも同然だろう。
でも、どこかで「死んじゃった方が楽じゃね?」と考える自分がいる。いるけど、やっぱりどこかで生きることを望んでしまってる。未練タラタラみたらし団子の串で、今にも脳天を串刺してしまいそうな僕がいる。