Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

偽善的な自分

2008-07-10 23:58:46 | Weblog
 自分が高校生の頃のこと。

 同じクラスの友達にデキがオレと同じくらいの奴がいて、そいつといつもテストで勝負していた。切磋琢磨なんてカッコイイもんではないけれど、やっぱり意識していたのも間違いなかった。
 だから、1年生のうちから「どっちが良い大学に行くか勝負しよう」みたいな話はよくしていたのだけど、オレは2年いっぱいで高校をやめ、しかも2年生になってからはまともな通い方をしていないから、彼がどうなったかは全く分からずじまいだった。

 それが浪人時代、オレが地元の祭りにひとりでブラブラ歩いていると、偶然にそいつと顔を合わせることがあった。何となく気まずかったし、向こうはひとりではなかったから、社交辞令的な会話しか交わさなかったのだけど、どこの大学に入ったかだけは聞いた。聞くのは相手に失礼かもと思いつつ、やっぱりどうしても気になったから。

 で、彼が入学したというのは、はっきり言えば、オレには手の届かないような大学だった。会ったのは夏で、まだまだ時間の猶予はあったにせよ、自分には明らかに無理だと思えた。実際、オレはその大学を受験してもいない。

 率直に言って、オレは裏切られた気がした。イモ虫同士であれだけ仲良くしていたのに、知らぬ間に美しい蝶になってしまった友人への嫌悪感。
 もちろん、それがエゴだなんてことは分かっている。百も承知だ。けれど、何とも言えぬその気持ちを拭い去ることは、どうしても出来なかった。

 心から祝福できないことについては仕方ねぇかなとは思う。所詮、オレなんかには、他人と喜びを共有するような高等な感情は持ちえないわけだから。いまさらそこで躓いても…というのはある。

 でもどうしても納得できなかったのは、オレが咄嗟に「おめでとう」と口にしてしまったことだ。本当はこれっぽちも祝っていないのに、それどころか憎しみに似た感情すら抱いているのに、心にもないことを平気で言えてしまう、そんな自分がたまらないくらいに許せなかった。

 オレは他人にどう見られるかには興味がない代わりに、自分の心と行動の整合性だけは保っていたいと思う。だから、せめて心の中で沸き上がる思いを素直に言葉にすべきだった。
 対外的にはそれは間違っているわけだけども、醜い本心を曝して、自分の心の中の秩序だけは守っておくべきだったと思う。

 ブログなんかでは、散々、偽善的なものへの嫌悪感を示してきたはずなのに、実はオレ自身がその資質を一番持っている。あの頃も、そして今も、そんなあさましい自分に嫌気がさすことが、しばしばある。その度に自分を少しずつ嫌いになってゆく。