Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

お金≠物差し

2013-05-25 15:05:55 | Weblog
 博打打ちにあるまじき発言だけれど、俺はお金への執着があまりない。大学を卒業するまでは貧乏を味わったことがなくて、悪く言えば、ハングリー精神がないのかも知れない。

 もちろんお金が必要ないなんて言うつもりはない。お金がないことは、率直に言って、人間にとって最もみじめで情けないことだと思う。現在の俺は収入源の全てを博打に依存している状況で、自販機でジュースを買うことさえも躊躇するほどだから(もっとも昔から貧乏性ではあるのだけど)、「お金なんかなくたっていい」とは口が裂けても言えっこない。

 ただ、一方で、お金が全てだとは断じて思わない。例えば、中学時代、想いを寄せていた後輩の女の子からもらったカップケーキは他のどんな高価なスイーツよりおいしかったと思っているし、世界的に有名なパティシエであろうとあのケーキに勝るものは作れないだろう。あの日の胸の高鳴りは決してお金では買えないはずだ。

 要するに、お金は所詮、価値を測る物差しにはなりえないってことだ。満腹で食べる松坂牛より空腹時の卵かけごはんをおいしく感じるのは当然だし、高級ディナーをひとりで食べるより仲間とファストフードへ行った方が楽しいに決まってる。何枚もシングルを買ってまでAKBと握手したいと思う人もいれば、それよりも大事な友達とタダで交わした握手の方を尊ぶ奴だって中にはいる。

 加えて価値は常に変化していく。俺は10万円出してノートPCを買い、それを使ってブログを書いている。自分にとってブログは高い位置づけにある趣味だから、文章を書けば書くだけこのPCの価値は増していく。もっと言えば、自分の文章が誰かひとりの心でも動かしたとき、この赤いPCはもっと高い価値を持つのだろう。もちろん文章の内容によっては逆に価値を落としてしまうことだってある。

 もし宝くじで3億円当たったら何を買うだろう?てなことを考える。でも結局何も買わない気がする。煙草の本数は確実に増えるけれど、他に欲しいものも特には浮かばない。俺はどこまでも物欲に乏しい人間で、それがニートから抜け出せない一番の原因になっているのかも知れない。


最新の画像もっと見る