Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

自殺のパラドックス

2009-12-08 01:10:04 | Weblog
 何とか年内に色々どうにかしたかったけど、もう12月だよ。どうしてくれるんだって。

 まずニートを始めるにあたって、オレ、半分死ぬつもりでいたからね。でも、自殺できないってことになって、嫌々ながらどう生きるかを模索するんだけど、オレのアンテナはもう錆び付いちまっていて。気付けば、何も感じない体になっていた。地図がないんだ、地図が。

 でもさ、こんな考え方自体が甘ったれなんじゃないかって思うわけ。世間を見てみろよ。オレよりしんどい境遇の奴だって五万といるじゃないか。そいつら、健気に生きてるじゃないかって。ちっぽけなプライドにすがってバカなことほざいてたらさ、アフリカとかの変な国に住んでる奴はどうなるんだって。奴らは生も死も考える余地はないよ。自殺なんてバカヤロー、オレらはナチュラルに死ぬかの否かの瀬戸際なんだって。

 オレが今24でさ、よく思うんだよ。もう人生の1/3は終わったのかって。まだ半分以上あると言えばそうなんだけど、案外先は長くない。野球で言えば、ちょうど3回くらい。試合によっては、もう結果が見えてるわけよ。ましてやニートなんて先発投手の大炎上みたいなもんだからね。負け試合と分かっている人生でいかにモチベーションを保つかって、これはなかなか容易じゃないよ。

 本当にさ、今もそうだけど、毎晩ひとりでお酒飲みながら、色々考えるわけ。酒の勢いを借りて首を括っちゃえば、呆気なくていいなとか。ぼんやりした頭で想像したりするわけよ。何の取り柄もない、コンプレックスの塊みたいな自分が人生に型を付けるのって、方法はひとつしかない気がして。毎日毎夜、本当にネガティブな思考だけに苛まれてる。この半年ちょっと、どんなエキサイティングな出来事があろうと、心の底から楽しいと思ったことはない。常に脳の片隅には、不安が点滅している。

 一般的にはさ、自殺する人は死を何ともないと考えてるって認識だろ。でも、これ、逆なんだ。死ぬのが辛いっていうのは嘘で、本当に辛いのは死を待つこと。想像してもみろよ。自分が死刑囚でいつ執行されるかを待ってる身だったらって。気が狂うんじゃない? それに比べりゃ死ぬのなんて一瞬なんだから。何てこたぁねぇって。

 要するに、オレは死を人一倍恐れていて、だからこそいつか自殺してしまいそうな気がするんだ。一方で、自殺できないのもやっぱり死が怖いからで、そのパラドックスに挟まれてるような状態。いつか決めてやろうとは思うけど、それが現実的な未来っていう感じじゃない。じゃあジジイになるまで生きるのかって、それもまっぴらよ。オリンピックとか観ながらさ、わしは4年後まで生きてるんだろうかって。そんなことを意識する歳まで生きていたら、オレ、発狂するよ。間違いない。

 もうさ、何書いてるかよく分からないけどさ、出鱈目な文章だけどさ、いつになくオレの心中を的確に表現した記事ではあると思う。こういうことっていうのはね、答えがないわけ。だから、堂々巡りで色々考えるんだけど、どんどん迷路に嵌まってゆくようで。オレ、意外に宗教とかに騙されちゃうタイプかもな。

 まぁでもこんな悩み自体が真っ当に働く人々からしてみりゃ滑稽なのかも分からんよね。日々のきつい仕事に追われてたら、余計なことなんて考えちゃらんねぇんだから。そういう意味ではオレって幸せなんかなぁ。幸せなんだろうなぁ。認めたくないけどさぁ。

 でも、やっぱりダメだぁ……。


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