Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

お見舞い

2012-03-12 17:56:25 | Weblog
・日曜は祖母のお見舞いに行ってきた。母が申し訳なさそうに頼んでくるから、本当は色んな感情があるけど、これも親孝行だと割り切って。

・病室はナースステーションの隣、要はいつでも看護婦さんが来られるような場所だから、重篤な病状の患者で占められており、「あぁ~」とか「うぅ~」といううめき声がこだまする異様な空間だった。

・その中でも祖母は凄まじい部類でさ。会うのは5年ぶりくらいだから単純に老けちゃったのもあるけど、もう喋れないし、終始唸るばかりだし、本音を言えば目を背けたかった。

・ただ、オレが「お久しぶりです。○○(自分の名前)です」と挨拶すると、閉じた目を懸命に開こうとしているようだった。多分気のせいではないと思う。すごく複雑な感情に襲われた。

・少し具体的に言うならば、母の実家の人間を一緒くたに括り、そして全員を嫌ってしまったことへの罪の意識というか……。

・衰弱した祖母を見て、消えゆく命の儚さを実感するとともに、すごく逆説的ではあるけれど、人間てのはなかなか死ねないんだなぁとも思った。あんな姿でも本能で生きようとしてしまうんだものね。

・他ですごく印象に残ったのは、母の兄の夫婦とうちの親父とが交わす会話の中で、あの夫婦が「遺体を寝かすために既に家には布団を敷いてある」というのを嬉々として語っていたこと。「準備はバッチリ」とはっきり言っていて、オレはその言葉に強い嫌悪感を覚えた。

・確かにあんな状態だったら、どんな奇跡が起ころうがそう長く持たないはずだし、感傷にばかり浸ってはいられないのも重々承知している。でもさ、まだ辛うじて生きている以上、周到な準備には二の足を踏むのが人間としての真っ当な感情なんじゃないのか。様々な用意をするのは仕方ないとしても、それを自慢げに話す根性だけは分からないし、分かりたくもない。あいつらとは一生相容れないと思った。

・とにかく人の命というものを改めて考えさせられた気分だ。家族が病気を患ったとき、ベストな判断をできる自信は全くないけれど、せめて人間の血が通った対応をしたいと強く思う。そういう意味では連中はいい反面教師だったのかもね。


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