ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

気温に左右されて、久々にやる気。

2017-03-30 16:45:38 | 片付けられない@猫以外
快晴。
ぽかぽか陽気。




シロハラさんが、庭に来たが撮れない。
まだ、渡らないのか。

天気が良いので元ベランダ、現サンルームの掃除。
素人がタイル貼りをしたが、きーじがしっこして、たまらん、特に目地。
気温が高いと、寒さで縮こまっている身体が楽だ、掃除の神も降臨した。
なんせ、昨日の花瓶改め、猫の骨壺予定が掃除をせい!と、私に訴える。








猫達@花瓶に入れる予備軍wも日向ぼっこ。





庭に動いている生き物発見。



これ、一昨日の猫だろうか???
よく見ようとしたが、警戒心強く電光石火で消える。
今は身心、金銭ともに余裕がないので、パッと見、怪我していないのが良かった。
庭で弱っていたら、今まで通りに捕まえざるを得ない。
猫が用心して消えてくれる事で、助けてもらっているようなもん。
餌をやるとしたら、=それは責任をもって飼うである。
そして、完全室内飼育以外は自分の性格上出来ぬ。

TNRまでいかないで、やっている人たちに済まないと思う。
スマン、本当に疲れ切っているのだ。

父の容態、変わらず安定している。
こちらも予定よりぐずぐず長引きそうだ。
個室代が怖い。

脳死状態の叔母も、家族は人工呼吸器が外せず、病院からは転院を促され、
親戚はヘタを言えない、
怖いものを触るような、何も言えない状態で、我が家に間接で様子を聞きに来てで、
向こうも、とんでもない介護の始まりである。

そういう中、
生き物を可愛がったり、物を作ったり、育てたりして、
手を動かし、エネルギーをプラス方向へ創作されている方々のブログは、
私の安らぎである。







◆昨日といい、
 沖縄のお年寄り、素晴らしい。

「学校素晴らしい」 83歳前原さん、中学卒業


 【読谷】読谷村大湾に住む前原苗子さん(83)が16日、古堅中学校の卒業証書を手にした。前原さんは「中学の卒業証書だけは何とか欲しかった。楽しい時間を過ごせた。やっぱり学校は素晴らしい」と話し、笑顔を見せた。

 前原さんは1933年に北谷村(現北谷町)下勢頭に生まれた。北谷国民学校初等科6年だった1945年、沖縄戦が始まり艦砲に追われて沖縄市山内の壕に避難し、そのまま米軍に保護された。戦後、両親と姉、妹の5人で沖縄市越来に移り住み越来中に進学した。しかし、戦後の仕事不足に加え、高齢のため働き口が見つからない両親に代わり家計を支えようと、14歳で働くことを決めた。



 「先生や同級生が、学校に来るよう説得に来た。越来中を造るとき、私も地ならしを手伝ったから思い入れがあったが、働くしかなかった」と振り返る。



 米軍施設の清掃作業員から始まりウエートレス、レジ係など30年近く米軍基地で働き生計を立てた。やがて、読谷村大湾に家を買って民間会社に移ったが、5人の子どもを育てるため働き続けた。退職後も民泊を営むなど、ずっと働き詰めだったという。



 中学卒業の夢をかなえることができたのは80歳が目前に迫った2012年、めいの仲栄真恵美子さんの勧めがきっかけだった。仲栄真さんは新聞記事で、県が戦中・戦後の混乱で義務教育が終えられなかった人を対象に実施している「義務教育未修了者支援事業」を知り、県教委に相談。前原さんは79歳で、沖縄市美里の意伸学院美里本校に通うことが決まった。



 仕事の関係で休学した時期もあったが、5年をかけて念願の卒業証書を手にした。



 前原さんは今後、漢検4級と英検4級取得を目指し勉強を続けるという。「学院では学生に戻った気分で、同級生同士ライバル心もあった。卒業証書を受け取ったとき、もっと授業があればいいのにと思った」。瞳をキラキラと輝かせながら、向学心は尽きない。
コメント
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