ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

気が付けば、猫に飼われる

2018-10-08 00:12:03 | 猫病気
曇り。24-23℃
過ごしやすい一日。

体育の日なのですが、全く体育に関係ない一日でした。
(ま、国民の祝日は、ほぼそんなものですw)

私のアキレス腱は、動物と植物でありますが、
特に、動物への愛情が無ければ、
人生確実に違う方向(👈多分はるかに楽しい)へ向いたと思うのですが、、、
まぁ、今は猫がじわじわと最後に向かう方向を、看ている毎日です。
(猫エイズウィルスが脾臓を侵している。)

強制給餌の時もありましたが、今はこれを好みます。





具材を残すのが、何とも不経済でして。(それを片付けるのがきーじ君w)




日々、すごい勢いで痩せていく猫を見るのは、胃をえぐられるような辛いことです。

皆シニアなので、いずれは残りも近いうちに、
置いてはいけない、置いていってしまったら逆はもっと苦しい、
夏に引き取るのを断ったガン末期のMさんの猫2匹の事を考えると、今でも断った自分を不甲斐ないと思う。



この、救いようのないもやもや感を胸に秘めたまま30年近く、同じことを繰り返す。


モンゴメリーの小説の会話。

「猫を飼ってらっしゃるんですね」
「いや、違います」カッシディ神父は頭を振って、ゆうつそうにうめいた。
「猫がわたしを飼っているんです」

             『可愛いエミリー』モンゴメリー村岡花子訳



この小説を読んだのは中学一年の時、
私は自分が将来、カッシディ神父になるなんて、考えても見なかった!
エミリーやアンにはなりたくてもね!あの希望に満ちた13歳の頃よ…。




ここ7年、裁判所と施設との打ち合わせで、父を重荷に思う事も多く、

すぐに施設に入れたわけではない、進行しても、かなり入れる時期をためらっていた
痴呆が始まったときは、何とか食い止めようとあらゆる努力をしたこと、(母の癌もしかり、)
「こういう物でも、まだ効き目があるのか?」と、相変わらず新聞に目を通す。
(むしろ、私がやった方が良いかもしれないのですがw)
父は数学にこだわるわけではないが「博士の愛した数式」的な呆け方なのだ。

そういう思いから卒業できる日は、もう人生の最後だと覚悟して過ごす日々だった…。

唯一の希望が、音楽を習う事。



大好きな自転車も(結局は車道の自転車用部分が狭くて)、父が亡くなる前に事故ったらとか、この閉塞感で参っていた時に、

これが本当に楽しくて、楽しくて、私は救われたと言っても良い。



以前は庭も喜びだったのだが、常に熱がある身だし、



猫同様、もう増やす傾向は体力的に不可能であるから…。
極端な事を言えば、シンボルツリー一本で良いのだと思う。
皆様のお花を拝見すれば良いのですから。
(あくまでも私の場合です。)
だが、緑も、可愛そうでばっさばっさ伐れないものです。





小さな命への愛情や好奇心は変わらない、
でも、
好奇心のベクトルを再び、
音楽や本の様な、直接命にかかわらないもの、
芸術や学問に向ける時期が来たんだろう、と思った秋の夕暮れ。

(あ、運動も口腔ケアも大事です、体育の日限定でなく一生ね。)




【おまけ  何回観てもメデタシ】
【HD】スーザン・ボイル 〜夢をつかんだ奇跡の歌声〜
コメント (2)
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