快晴10-4℃
さて、窓磨きはコンサバトリー2つが残ることになり、
まずはインコのいない2階から始める。

今は建築基準法で2重ガラスが普通になりつつあるけれど、
私がこれを作った時は、2重ガラスは大変な贅沢品であったし、
そもそも、窓ガラスというものは、金食い虫なのである。
よって、木枠に普通のガラスをはめ込んでいるが、
ポイントとしては、ハーフテンバーのように、
窓ガラスを三分割にし、梁、筋交いを入れて、強度を出すことにした。

そして、真ん中部分は初めは引き戸ではなかった、
綺麗な一枚をヨットの帆のように開閉させていたが、
あおり止めが強風で破壊されたので、今の形にお金を貯めてようやく直した。
カーテンを外し洗濯機に入れ、窓ガラスを拭くが、
野鳥たちの訪れが良く見えた。




木枠なので、アルミサッシと違い、
渋、灰汁が出てカーテンがすぐに茶色になってしまう。
また、強度を保つために入れた梁に埃もたまるし、
木が色褪せれば着色せねばいけないなど、手間暇がかかる。

それでも心を込めて、初心に戻って、磨き続けた…。
床もネットでアウトレットタイルをぎりぎりの数を買ったのだった。
タイルカッターもなく、目地の調節も机上で計算して割り出して、この数と決めたのだった。
そして1枚しか余分がないのに、砕けてしまって、補修してごまかしながら、
なんとか目地を割り出していった。
そして届いた大量のタイルを運ぶのも苦労したが、貼るときのあの苦労、
一度もタイルを張ったことのない人間が、もう引き返せないと貼ったのだ。
カーテンレールも全部自分で割り出して工事した。
こういう猫ブログだから信じてもらえないと思う、
猫を保護するのは反対されている、だから全部ひとりでやり遂げた、
これからもそうだ、
多分私の本当の(ブログ以外の)事情を知っている猫友達と歩んでいく、
「頑張ったな自分」と、あの頃の自分を褒めるしかあるまい。
そしてこれからも、自力本願だ。
一日かけて掃除していたら、猫達が集まってきた。





ああ、この光景のために、頑張ったんだ自分。
階段の下で、きーじが私をよんでいる。


迎えに行った。




この平和な光景、平凡だけど、なんて幸せ。
そして、窓ガラスを磨きながら、キジバトの訪問に気が付く。


前半はともあれ、
後半は、人はそんなに物はいらないのではないだろうか、
ひたすら清潔で、その人にふさわしいセンスがあれば、それが一番なのだと思う。



物はいらないといっても、
それでも、私は知的好奇心を満たすものについては、
貪欲でありたいと、再び思いだしている。
結局は、心、
心に飢餓感がない事が、
私にとって幸いだと気がついたからである…。
父が痴呆になったころに、「これなら覚えているはず」と、
慌てて図書館から父にコピーしてあげていたCDが全部ダメになっていた。

考えてみれば、
実家はグランピアノ、フルート、ピッコロ、マンドリン、バイオリンがあって、
クリスマスにはモミを山から切り出したのだった。
そして4羽の白鳥のパロディを父が踊ってしたり、
ターシャの本のように、面白いことも一杯あったのだった。
ひたすら手を黙々と動かした、
部屋の中だけで一万歩だ!
そして、夕暮れになった…


部屋は清潔になった、
小学生の時に一度見て、思い描いていた、
逗子のパブロバのバレーの稽古場のように。

洗ったカーテンに、
さわやかな風が吹き渡っていった…。
私の人生は、過ぎてしまったことは、もうやり直せない、
だけど、今より良いほうに進んでいくことはできるだろう。


ね。
さて、窓磨きはコンサバトリー2つが残ることになり、
まずはインコのいない2階から始める。

今は建築基準法で2重ガラスが普通になりつつあるけれど、
私がこれを作った時は、2重ガラスは大変な贅沢品であったし、
そもそも、窓ガラスというものは、金食い虫なのである。
よって、木枠に普通のガラスをはめ込んでいるが、
ポイントとしては、ハーフテンバーのように、
窓ガラスを三分割にし、梁、筋交いを入れて、強度を出すことにした。

そして、真ん中部分は初めは引き戸ではなかった、
綺麗な一枚をヨットの帆のように開閉させていたが、
あおり止めが強風で破壊されたので、今の形にお金を貯めてようやく直した。
カーテンを外し洗濯機に入れ、窓ガラスを拭くが、
野鳥たちの訪れが良く見えた。




木枠なので、アルミサッシと違い、
渋、灰汁が出てカーテンがすぐに茶色になってしまう。
また、強度を保つために入れた梁に埃もたまるし、
木が色褪せれば着色せねばいけないなど、手間暇がかかる。

それでも心を込めて、初心に戻って、磨き続けた…。
床もネットでアウトレットタイルをぎりぎりの数を買ったのだった。
タイルカッターもなく、目地の調節も机上で計算して割り出して、この数と決めたのだった。
そして1枚しか余分がないのに、砕けてしまって、補修してごまかしながら、
なんとか目地を割り出していった。
そして届いた大量のタイルを運ぶのも苦労したが、貼るときのあの苦労、
一度もタイルを張ったことのない人間が、もう引き返せないと貼ったのだ。
カーテンレールも全部自分で割り出して工事した。
こういう猫ブログだから信じてもらえないと思う、
猫を保護するのは反対されている、だから全部ひとりでやり遂げた、
これからもそうだ、
多分私の本当の(ブログ以外の)事情を知っている猫友達と歩んでいく、
「頑張ったな自分」と、あの頃の自分を褒めるしかあるまい。
そしてこれからも、自力本願だ。
一日かけて掃除していたら、猫達が集まってきた。





ああ、この光景のために、頑張ったんだ自分。
階段の下で、きーじが私をよんでいる。


迎えに行った。




この平和な光景、平凡だけど、なんて幸せ。
そして、窓ガラスを磨きながら、キジバトの訪問に気が付く。


前半はともあれ、
後半は、人はそんなに物はいらないのではないだろうか、
ひたすら清潔で、その人にふさわしいセンスがあれば、それが一番なのだと思う。



物はいらないといっても、
それでも、私は知的好奇心を満たすものについては、
貪欲でありたいと、再び思いだしている。
結局は、心、
心に飢餓感がない事が、
私にとって幸いだと気がついたからである…。
父が痴呆になったころに、「これなら覚えているはず」と、
慌てて図書館から父にコピーしてあげていたCDが全部ダメになっていた。

考えてみれば、
実家はグランピアノ、フルート、ピッコロ、マンドリン、バイオリンがあって、
クリスマスにはモミを山から切り出したのだった。
そして4羽の白鳥のパロディを父が踊ってしたり、
ターシャの本のように、面白いことも一杯あったのだった。
ひたすら手を黙々と動かした、
部屋の中だけで一万歩だ!
そして、夕暮れになった…


部屋は清潔になった、
小学生の時に一度見て、思い描いていた、
逗子のパブロバのバレーの稽古場のように。

洗ったカーテンに、
さわやかな風が吹き渡っていった…。
私の人生は、過ぎてしまったことは、もうやり直せない、
だけど、今より良いほうに進んでいくことはできるだろう。


ね。