雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

心もとなきもの

2014-09-12 11:00:41 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百五十三段  心もとなきもの

心もとなきもの。
人のもとに、頓(トミ)のもの縫ひにやりて、「いま」「いま」と、苦しう居入りて、あなたを目守(マモ)らへたる心ち。
子生むべき人の、そのほど過ぐるまで、さる気色もなき。
遠きところより、想ふ人の文を得て、固く封じたる続飯(ソクヒ・飯粒を練った糊)など開くるほど、いと心もとなし。

物見に遅く出でて、事なりにけり。白き楚(シモト・長く伸びた若枝。ここでは白い杖のこと)など見つけたるに、近く遣り寄するほど、わびしう、降りても去ぬべき心地こそすれ。
「知られじ」と思ふ人のあるに、前なる人に教へて、ものいはせたる。
     (以下割愛)


気がかりでじれったいもの。
人の所に、急ぎのものを縫いに出して、「今か」「今か」と、苦しみながら座りこんで、そちらの方を見守っている時の気持ち。
子供を生むはずの人が、出産予定の日がすぎても、そのような気配がないの。
遠い所から、愛する人の手紙をもらって、固く封をしている糊付けなどを開ける時は、とてもじれったいものです。

行列などの見物に遅く出かけてしまい、もう始まってしまっていた時。前触れの検非違使の官人の白い杖などを見つけた時には、牛車を進めて近づけようとする間は、じれったくて、いっそ車から降りて、歩いていきたい気持ちがします。
「気付かれたくない」と思っている人が目についたので、前に座っている女房にわけをいって、応対させているの。

「早く早く」と、待ちかねて生まれてきた乳児の、五十日・百日などのお祝いの頃になってからの行く末は、なかなかに先の長いことです。
急ぎの仕立て物を縫うのに、薄暗い中で、針に糸を通すのは、じれったいものです。しかしそれは、役に立ちそうな人を捕まえて、その人に通させるのですが、その人も、気が急くからでしょうか、急には通すことが出来ないので、
「さあ、もう、通さなくていいわ」と言うと、それでも、「なぜですか、通せないはずがない」と思っている顔つきで、立ち去ろうとしないのは、憎らしくさえなってきます。

何事であっても、急いでどこかへ行かなくてはならない時に、「先に自分の用がある所へ行く」と家族の誰かが、「すぐに車を戻らせますから」ということで、出掛けて行った車を待つ間は、実にじれったいものです。大通りを通るらしいのを、「帰ってきたらしい」と喜んでいると、別の方へ行ってしまうのは、たいへん口惜しい。
とりわけ、「行列見物に出掛けよう」と思って待っているうちに、「行列は始まったらしい」と、誰かが言っているのを聞くのは、情けなくてたまりません。

子供を生んで、後産がなかなかない時。

行列見物、お寺参りなどに、一緒に行く予定になっている人を乗せに行った時、車をその人の家につけているのに、すぐには乗らないで待たせるのも、とてもじれったく、このまま見捨てて行ってしまおうという気持ちにさえなります。

また、急いで炒炭(イリズミ・上等の炭で、その分固くて火付が悪い)をおこす時も、とても待ち遠しい。

歌の返しを、早くしなければならないのを、なかなか詠めない時も、とてもじれったい。
先方が思いをかけている人であれば、それほど急ぐ必要もないでしょうが、当然に、急がなければならない時もあります。まして、女同志でも、直接やり取りする歌は、「早いのが良い」と思うのですが、生憎と、急ぐあまり失敗もあるのですよ。

気分の優れない時とか、心配事のある時は、夜明けを待つ間が、とても心細く時間が長く感じられます。



「心もとない」という言葉は現在でも使われますが、少しばかりニュアンスが違うようです。ほとんど同じような使われ方もあるようですが、少納言さまが行列見物などの事例を挙げているように、じれったい、といったような意味合いに使われることも多かったようです。
なお、真ん中あたりの、針に糸を通すというくだりは、かなり違う意味合いに取っているものもあります。ただ、学問的にはともかく、話の流れとしてはあまり影響ないように思われます。

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