雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

釈迦誕生 (2) ・ 今昔物語 ( 巻1-2 )

2017-03-22 11:52:34 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          釈迦誕生 (2) ・今昔物語 ( 巻1-2 )

     ( (1)より続く )

さて、太子ご誕生のその時、四天王(シテンノウ・帝釈天の麾下の神将で仏法を護るため四方に配される。東方は持国天・南方は増長天・西方は広目天・北方は多聞天の総称)は、天上の薄い絹布で太子を包まれて宝物の机の上に置き奉った。帝釈天は美しい天蓋を取り、梵天は白い払子(ホッス)を取って左右に控えていた。
難陀・跋難陀(ナンダ バツナンダ・共に仏法を守護する八大竜王の一人)の竜王は、大空にあって清浄の水を吐いて太子の御身に浴びせ奉った。一度は暖かく、今一度は涼やかに。

御身は金色にして、三十二の相(仏の肉身が具えているとされる三十二種の身体的吉相)を具えられていた。大いなる光明を放って、あまねく三千大千世界(サンゼンダイセンセカイ・全宇宙)をお照らしになった。天竜八部(仏法守護の八部衆)は大空にいて、天上の音楽を奏でていた。天上からは、天人の衣服や装身具などが雨のように降り注がれた。

時の大臣は、摩訶那摩(マカナマ)という。大王のもとに参って、太子誕生をお伝え申し上げ、また様々な不思議な出来事を報告した。
大王は驚き、直ちにその園に行幸された。
すると、一人の女人がいて、大王が到着したことを見て、園の内に入って太子を懐き奉って大王のもとにお連れして申し上げた。
「太子、さあ、父の大王を敬礼なさいませ」と。
すると、大王は、「まずは我が師である婆羅門に拝礼し、その後で私が会おう」と申された。
そこで女人は、太子を懐いて婆羅門のもとにお連れした。婆羅門は太子を見奉ると大王に申し上げた。
「この太子はきっと転輪聖王(テンリンジョウオウ・正義をもって天下を統治する王)と成るでしょう」と。

大王は、太子をお連れして迦毘羅城(カビラジョウ)にお入りになった。そして、その城を出て間もなく、一人の天神(天界の神)が現れた。名を増長(四天王の一人)という。その社には諸々の釈種(釈迦の同族)が常に詣で礼拝して、思うようにならないことを乞い願う社である。
天神は、大王と太子をその社にご案内し、諸々の大臣に「我は今、太子にこの天神を拝礼していただく」と伝えた。乳母は太子を懐き奉って、天神の前に詣でた時、もう一人の女天神が現れた。名を無畏(ムイ・何物をも怖れず、衆生の恐怖を取り除く力がある女神らしい)という。
女天神は、その堂より下りて、太子を迎え奉り、手を合わせて恭敬(クギョウ・つつしみ敬うこと)して太子の御足を頂礼(チョウライ・頭を下げて足に礼拝すること。古代インドの最高の敬礼)して乳母に語った。「この太子は、人に優れておいでです。努々(ユメユメ・決して)軽んじられることのないように。また、太子に我を礼(オガ)ませてはならない。我が太子を礼(ライ)し奉ります」と。

その後、大王並びに太子・夫人は城に帰られた。
麻耶夫人は、太子が誕生なされて七日後にお亡くなりになった。大王始め国中が嘆き悲しむこと限りなかった。太子はまだ幼稚であられ、誰がお育てすればよいのかと大王は思い歎かれた。
夫人の父である善覚長者には八人の娘がいた。その第八の娘は摩迦波闍(マカハジャ)といった。その人が太子の養育に当たった。太子の養育者は、実の御母にあらず、御叔母に当たる人であった。
太子の御名は悉駄(シツダ・悉達とも。シッタ゜ールタ。釈迦の出家以前の名前。実名ではなく後世に付せられた尊称とされる)と申される。
麻耶夫人は、亡くなられて後、忉利天(トウリテン・帝釈天。もとはバラモン教の最高神インドラで、仏教に組み込まれた)としてお生まれになった、
となむ語り伝へたるとや。

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