『 裏を見せ おもてを見せて 散るもみぢ 』
この句は、良寛の辞世とされているものの一つです。
貞心尼による「はちすの露」の最後の部分に、辞世として和歌一首、俳句二句が示されていますが、その中の一つです。
また、同書の中に、「こは、御みずからのにはあらねど」とありますから、自作でないか、あるいは類似の句があったのかもしれません。
ただ、晩年の良寛を最も知る一人である貞心尼が記していることからすれば、折につけ良寛はこの句を口ずさんでいたのかもしれません。
本著、第十一話で良寛について書かせていただきましたが、円通寺から故郷に辿りつくまでの流浪の旅の後に、私たちに馴染み深い良寛らしい日々があったと思われます。
その中でも、貞心尼との出会いは、良寛の生涯を一回り大きく彩るものであったことは想像に難くありません。
しかし、同時に、故郷の土を踏んでからの三十五年に及ぶ生活も、子供たちと手まりをついて過ごすばかりの日々であるはずもありません。
第十一話のテーマである「虎を描いて猫にも成らず」と絶唱したのが、故郷での暮らしに入って二十年ほど経った頃のこと、そして、辞世としてこの句を残すことを合わせてみますと、何とも切ない気がしてきます。
「裏を見せ おもてを見せて 散るもみぢ」・・・、この、まるで、何もかも分かったよ、と言わんばかりの句を見るたびに、良寛の苦しみの影のようなものを感じてしまうのです。そして、それだからこそ私は良寛が好きなのです。
私などが良寛和尚の心境を推し量ったとて何の意味もないのでしょうが、人がその生涯を生き抜くことは、それが真剣であればあるほど簡単なことでは無いように思われるのです。
それは、歴史上に名を残すほどの人物に限られたことではありますまい。名もなく生まれ、後世に記憶されることなく消えていった人々であっても、それは同じだと思うのです。
それは、現在に生きる私たちとて違うはずがありません。
真剣に生きれば生きるほど難しく、どうと言うこともないといえばその通りなのですが・・・、はてさて、難しいものです。
そのような迷いの中の指針の一つとして、先人が残してくれた文化があります。絵画や彫刻もしかり、華道や茶道もしかり、音楽や舞踊なども同様でしょう。宗教を文化とひとくくりにすることには無理があるかもしれませんが、一つの柱であることは確かでしょう。
そして、言葉もまた私たちに少なからぬ呼びかけをしてくれることでしょう。私たちはそれぞれに違う背景のもとで様々な言葉に出合います。私の感動があなたの感動に単純につながるとは思っていませんが、この拙い「言葉のティールーム」が、あなたにとって大切な言葉に出合う切っ掛けに、少しでもなることができればと思い発表させていただきました。
ご愛読ありがとうございました。
( 完 )
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