雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

言葉のティールーム   第二話

2009-12-26 11:54:03 | 言葉のティールーム

『天上天下唯我独尊』



「てんじょうてんげ ゆいがどくそん」と読みます。
この言葉は、お釈迦さまがお生まれになった時、片方の手で天を指し、もう一方の手は地を指して、七歩進んでから四方を顧みて発したという言葉です。
事実か創作されたものかはともかくとしまして、お釈迦さまがこの世に生を受けて最初に発したとされる言葉ですから、私たちへの何か大切なメッセージが含まれているように思うのです。


日常の会話の中で、この言葉をそのまま使うことはあまりないと思いますが、「唯我独尊」という言葉は時々耳にすることがあります。
しかし、その場合、お釈迦さまの言葉に源を発しているなどという認識はなく、むしろ憎々しげに使うことが多いのではないでしょうか。

因みに「唯我独尊」という言葉を広辞苑で調べてみますと、天上天下唯我独尊の略ということの他に、「世の中で自分一人だけがすぐれているとすること」と「ひとりよがり」が記載されています。
私たちが日常生活で使う場合は「ひとりよがり」といった意味で使うのが殆んどではないでしょうか。
当然、ほめたり尊敬したりする場合に使われることは、まずありません。けなしたり、皮肉をこめて言う場合に使われるのが、殆んどだと思われます。


それにしても、赤ちゃんの第一声と言えば「オギャア」が通り相場だと思うのですが、いきなり「天上天下唯我独尊」などと言われたお釈迦さまの真意は何だったのでしょうか。


言葉そのものの意味は、全宇宙の中で自分だけが尊いのだ、ということでいいと思うのですが、宗教的な立場は別にして、現在の私たちからすれば、「お釈迦さまがおっしゃる分には文句をつけるわけにもいかないなあ」という感じですが、本人の口からは聞きたくない内容だと思われませんか。


しかも、若造という言葉さえ当てはまらない、生まれたばかりの赤ちゃんに「天上天下唯我独尊」などと言われたのでは、居合わせた人たちは、驚きはしたでしょうが、感心するより小癪な奴めという気持ちの方が強かったのではないか、と思ってしまうのです。


それでは、お釈迦さまは何故この言葉を誕生第一声とされたのでしょうか。

もちろん言葉の意味するところは凡人の及ばぬ次元のものなのでしょうが、解説書などによれば、この世の中に存在するものは全てが尊いものだ、といった意味のようです。そして、お釈迦さまは、尊い存在であるすべてのものを我が手で救おうと決意表明されたのだそうです。


つまり、お釈迦さまは、私たち一人一人も、その尊い存在の中に入っているのだと認めてくださったということであり、だから、それぞれが自分自身を大切にしなければならない、と教えられたということだと思うのです。


「自分自身を大切にしなさい」という教えは、私たちにとって何の拒絶反応も起きないものです。分かりやすく、よく耳にする教えです。
同時に、おそらく古くから伝えられている教えだからでしょうか、「よく聞く話の類」という感じがする教えでもあるようにも思うのです。


「親からもらった五体を大切にしなさい」とか、「もっと自分を大切にしなさい」などは、たいていの人が一度や二度は言ったり言われたりした言葉ではないでしょうか。
手紙の末尾に書く「時節柄ご自愛ください」などは定番みたいなものですし、何かのキャンぺーンで「あなたを護るのは、あなた自身です」と呼びかけるものがあったようにも記憶しています。この他にも、同意語と言いますか同じように自分自身を大切にするようにという言葉や教訓は少なくありまん。


しかし、どうでしょうか。この類の教えは、一流の部類に入っているのでしょうか。
教えに一流とか二流とかいうのも変ですが、例えば色紙などに書く時や、挨拶や訓話などに取り入れる場合のことを考えてみますと、どうもトップクラスに入るとは思えないのです。

これらの言葉を見たり聞いたりした時、私たちはどれほどの説得力や感動を受けるでしょうか。私には、むしろ陳腐な言葉の部類のような気さえするのです。
もっとも、この意見は何かのデーターに基づいているわけではなく、単なる個人的な感覚だけで言っているに過ぎません。それに、教訓などというものは極めて限定的な間でこそ輝きを増すものともいえますから、無責任に一流とか二流とか決めるのはとんでもないことだということも承知しています。


しかし、それでもなお私は「自分自身を大切にしなさい」という教えに、重みのようなものが感じられないのです。
例えば、先に書きました「時節柄ご自愛ください」などは、単なる挨拶としての慣用語のようなもので、手紙の締めくくりとしてはまことに重宝するフレーズですが、真剣に相手の自愛を願って書くのはごく限られた条件の時だけだと思うのです。
どうも、くどくどと文句をつけてしまいましたが、決してこれらの言葉に恨みがあるわけではありませので、念のために。



お釈迦さまは、今からおよそ二千五百年前に誕生しました。
ソクラテスやプラトン、孔子や老子などと大体同じ時代の人です。わが国でいえば、聖徳太子より千年余り古い時代の人ということになります。

インドのヒマラヤ南麓にあるカピラ城で、釈迦族の王子として誕生しました。
本名は、姓がゴータマ、名がシッダールタといいます。
誕生一週間で母を亡くすという不幸にあいますが、裕福な王子として何不自由なく育ち、やがて妃を迎え子供にも恵まれました。
王様の後継者として一見幸福な日を過ごしていましたが、二十九歳の時に突然家を出ます。

その原因やその後の修業の様子などは私などの受け売りの知識を披露しても仕方がありませんので割愛させていただきますが、三十五歳の時に悟りを開いたとされています。
そして、八十歳で亡くなられるまで多くの人々に教えを伝えていきます。


現在まで伝えられている聖者の数だけでも少なくありませんが、お釈迦さまの説教には毎回千人を超える人々が集まったそうですから、四十五年の間に直接教えを受けた人の数は膨大なものと推定できます。
そして、お釈迦さまが亡くなられたあと、高弟たちが集まって各人が師匠から直伝されたものや大衆に対して説法された教えなどを持ち寄ったものを、整理し編集していったものが今日に伝えられる「お経」です。


現在、日本に伝えられているお経の数は、千四百余部という膨大なものだそうです。さらに、お釈迦さまの教えということになりますと、文字や言葉では表現できないものもありますでしょうし、それらも延々と伝えられているわけですから、すべて合わせると気が遠くなるような量になります。


その中には誤って伝えられているものも少なくないと思われます。単純なミスからくる間違いもあれば、故意に作られた偽物もあるでしょう。言語の壁や風土や文化や民族性などによる微妙なずれも考えられます。


また、お釈迦さまの教えを正しく伝えられる人物となれば、いくら高弟だといっても全員がそれだけの能力を有していたかどうか疑問です。
善意、悪意が入り混じって、お釈迦さまの教えが歪んで伝えられている部分がある可能性は十分にあります。
その一方で、お釈迦さまほどの方ですから、間違った教えや偽物が二千五百年後の私たちに伝えられることぐらいは承知されていて、それらに何らかの対策を忍ばせてくれているようにも思うのです。


ともあれ、お釈迦さまが私たちに残された教えは限りなく膨大で、私たちは単に宗教的な立場に限ることなく恩恵を受けているはずです。
そして、その限りない教えの中で、私たちに最初に示されたメッセージが「天上天下唯我独尊」だということなのです。


この教えは、誕生の時に単に産声のように発せられたわけではなく、その後の多くの説法の中でも説かれているのです。
お釈迦さまは機会あるごと、
「あなたがこの世で最も尊い存在であるのと同じように、すべての存在があなたと同じように、かけがえのない大切な存在なのですよ」
と続けられているのです。


私たちは、自分自身が尊い存在だとはなかなか実感できないのですが、せっかく巡り合ったお釈迦さまの最初の教えをよく噛みしめて、自分自身や周りの人たちをもう少し大切にする必要があるように思うのです。


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