『 霧立ちのぼる 』
むらさめの つゆもまだひぬ 槇の葉に
霧立ちのぼる 秋の夕暮
今回のテーマ「霧立ちのぼる」は、この和歌から引用したものです。
第一話に続き小倉百人一首からの引用ですが、新古今集に登場しているなじみ深い作品です。
作者の寂蓮法師は、鎌倉初期に活躍した歌人です。
生年は未詳ですが西暦千百三十九年という説があります。没年は千二百二年ということですから、平安末期から鎌倉初期の人ということになります。
父は醍醐寺の僧阿闍梨俊海、母は未詳、俗名は藤原定長といいました。
叔父にあたる藤原俊成の養子となり、その後出家しました。
新古今集の撰者にも選ばれていましたが、編纂が進む前に死去しました。このことからも、当時すでに一流の歌人として認められていたことが分かります。
また、義父となった藤原俊成の実子には定家がおります。新古今集の撰者であり小倉百人一首の選者とされている、あの藤原定家です。
従って、寂蓮と定家は血筋としては従兄にあたり、社会的には義理の兄弟ということになります。
今回のテーマ「霧立ちのぼる」という言葉は、情景を素朴に表現しているといえますが、この和歌全体をゆったりとした大きなものにしているのは、この言葉の力だと思われます。
私は短歌を勉強しておりませんし、古典といわれる和歌集を見るのも気まぐれに眺める程度です。
それでも、若い頃の影響や先入観というものは恐いもので、私の場合も高校時代に学んだある先生の影響を受けていて、「和歌の本当のすばらしさを勉強するのなら絶対に万葉集だ」という一言がずっと残っているのです。
その先生とは、ごく短い期間国語の授業を受けただけの関係で、それ以上に親しくしていただいたわけでもないですし特別に尊敬するものを感じたわけでもありません。
それでいて、その先生が言われた「万葉集が一番で、古今集はずっと見劣りする。新古今集などさらに駄目だ」という話が頭のどこかに残っていて、古典の勉強のまねごとをするようになっても、万葉集が一番良いという先入観をずっと引きずっているようでした。
このような潜在意識を持ち続けていた私は、ある資料を調べる過程で新古今集を少々詳しく見る機会がありました。
そして、その時、目的の資料は見つけることができなかったのですが、言葉の持つ美しさとか強さといったものに興味を感じ、いつの間にかそのような言葉を探すのに熱中してしまいました。
言葉や文章は、その組み合わせや使われる場所などによって、ある一つの光景や感動となって私たちの心に伝わってきます。
しかし、そのような意味や理屈ではなく、言葉そのものが持つ表情のようなものが、伝達手段としての文字の持つ意味とは違う形で私たちに語りかけてくることがある、と気付きました。
例えば、枕詞などはその最たるものだと思うのです。
「あおによし」というのは、奈良にかかる枕詞ですが、辞書を引いてみますと、「奈良で顔料などに用いる青丹(あおに)が産出されたことから生まれた枕詞」と説明されています。しかし、私たちがこの言葉を見たり聞いたりする時、そのような説明は全く必要ないように思われるのです。
本来の意味など知らなくても、「あおによし」という言葉の響きそのものが一つの表情を持って伝わってくるのではないでしょうか。
もちろん、長い年月と多くの人々によって磨きあげられてきたからだと思うのですが、言葉そのものにオーラのようなものが備わっているように感じられるのです。
枕詞とされている言葉はたくさんありますが、もともとは枕詞として登場したということではなく、次の言葉を強調する役目として使われたのだと思うのです。その時には、言葉の本来の意味も重視されていたと思うのです。
そして、説明役あるいは引立て役として登場した言葉のうち、自らオーラのようなものを持つ力強いものだけが、枕詞として定着したのではないでしょうか。
そして、そういう感覚で新古今集を読んでいきますと、輝いているような言葉を持っている和歌がたくさんあるのです。
それらは、本来の意味を伝えるだけにとどまらず、ある種の光を放っているようにも感じるのです。
今回のテーマ「霧立ちのぼる」も、まさにそのような力を持った言葉だと思うのです。
和歌の意味は、あまり余分な推察をしないで、雨上がりの秋の夕暮のやわらかな自然を詠んだもの、ということでいいと思います。
「霧立ちのぼる」という言葉も、その言葉通り墨絵を連想させるような状況を表す重要な役目を担っています。
しかし、どうでしょうか。この和歌の内容がそれほど多くの人を感動させるものなのでしょうか。ゆったりとした光景が見事に描写されていることは認めるとしましても、それ以上の何物でもないような気がするのです。
しかし、古来、この和歌に対する評価は極めて高いようなのです。
その秘密は「霧立ちのぼる」という言葉の力にあると思えてならないのです。
もし、この部分に別の言葉が用いられていたら、おそらく平凡な和歌として消えていっていたのではないでしょうか。
私は「霧立ちのぼる」という言葉が、他の和歌ではどのように使われているのか調べてみたくなりました。
言葉は使われる場所や方法によってさまざまな姿を見せますが、すばらしい使われ方をされることで輝きを増し、輝きを増すことでその言葉に魅せられる人の数が増え、多くの人々がさらにすばらしい使い方を模索するのではないでしょうか。
言葉というものは、このような過程を経て成長して行くのだと思うのですが、反対に、使われない言葉は輝きを失い、やがて消えてしまうか、消えないまでも単なる伝達手段以上には登場する機会はなくなってしまいます。
私は「霧立ちのぼる」という言葉が、自然の表現を超えるような場所で使えるものなのか、あるいは、この和歌を超えるような自然描写の使い方などあるのだろうか、などと思いながら何冊かの和歌集や解説書などを読みました。
そして、その結果分かったことは、この言葉が制詞とされていて他には利用されていないらしいということでした。
制詞(せいし・せいのことば)というものをこの時まで私は知らなかったのですが、使ってはならない言葉が定められていたようなのです。
もともとは、表現が見苦しいとか意味を間違えて使われている、といったようなものを禁制の詞としたようです。
その後、大変すぐれた表現として使われた言葉を、言葉の創設者を尊重して模倣を禁じたものが加えられました。
そのような秀逸の言葉は、主ある詞(ぬしあることば)ともいわれて、使用しないというルールが定められました。
制詞は、俊成・定家・為家ら代々の和歌の宗匠たちが個別に定めていましたが、明確に規制した最初のものは藤原為家の歌論書「詠歌一体」で、かなりの制詞が示されているそうです。
私はその内容を知らないのですが、都を中心とした歌人たちの間では概ね厳守されたようなのです。
「霧立ちのぼる」も前例のないすばらしい表現として、主ある詞とされました。従って、制詞というものが守られていたとすれば、少なくとも中世後半の名のある歌人には、この言葉を使った作品はないということになります。
言ってみれば、プロ野球などにおける背番号の永久欠番みたいなものです。
私は少々向きになって「霧立ちのぼる」という言葉を使った和歌を探してみました。
もっとも私が調査すると言いましても、図書館にある有名な和歌集をざっと調べる程度ですので、その点は承知していただきたいのですが・・・。
その頼りない調査の過程で、何んとも虚しい気がしました。
やはり、この言葉が使われている和歌は見当たらず、制詞というものが当時かなり厳格に守られていたようなのです。
そのため、折角のこのすばらしい言葉は使用制限をかけられてしまったのです。
それでも、万葉集の中に次のような歌がありました。
あまのかわ 霧立ちのぼる 織女(たなばた)の
雲衣(くものころも)の 飄(かへ)る袖かも
巻十・作者不明の七夕歌の一つです。
歌の意味は、「天の川に霧が立ちのぼっている。あれは織姫が着ている雲の衣の袖が、ひるがえっているのだろうか」といった感じです。
この歌の中の「霧立ちのぼる」も、力強い使われ方をしています。
寂蓮法師とは違う、スケールの大きな場面での登場です。私の期待以上のすばらしい使われ方です。
紛れもなく「霧立ちのぼる」と雄大に詠んでいるこの歌は、寂蓮法師より遥かに古い時代に作られているのです。
この言葉そのものは、何も寂蓮法師の発明品ではなかったのです。
彼が他の追随を許さないほどすばらしい場面で使ったことは確かでしょうが、その遥か古い時代に、生き生きとした姿を見せていたのです。
この言葉を束縛してはいけなかったのです。
そして、さらに続きがあるのです。
第十番目の勅撰集である「続後撰和歌集」の巻第五・秋歌上に人麿の歌として、次の和歌が入っているのです。
天の河 霧たちわたる たなばたの
くもの衣の かへるそでかも
これは、明らかに改作されたものです。
作者名を人麿としたことは置くとしまして、「霧立ちのぼる」を「霧たちわたる」としたのは、悪意の改作としか考えられません。
万葉集で使われている万葉仮名で比べてみますと、
「霧立ちのぼる」は「霧立上」であり、
「霧たちわたる」は「霧立度」なのです。
そして、「霧立度」は、複数使われているありふれた表現なのです。
天皇とか上皇とかの命令で成される勅撰集の中で、これほど単純で、しかも重大な間違いを犯すなど考えられません。明らかに撰者が「制詞」に縛られて、意識的に改作したのです。
改作により、スケールの大きな七夕歌を台無しにしてしまったのです。
しかも、この勅撰集の下命者は後嵯峨院ですが、撰者は藤原為家なのです。
現在でも、著作権とか特許権とか商標権など、発案者の権利を守る制度がたくさんあります。最近でいえば、メールアドレスなどでも登録者をめぐる問題が話題になりました。
それぞれに大きな利得が結びつくのでしょうし、長年の努力や研究の結果に対する保護が大切なことは当然のことでしょう。
しかし、立派な発案や研究の成果であればあるほど、一般に公開され多くの人に磨かれることで一層の輝きを増すということも、あるのではないでしょうか。
私は「霧立ちのぼる」という言葉の魅力に強く惹かれるとともに、この言葉の不運を感じてならないのです。
理不尽な束縛を受けたことに、寂蓮法師に責任があるわけではありませんし、いわんや「霧立ちのぼる」という言葉に罪があるわけがありません。
ただ、さらに大きく飛躍し輝きを増したかもしれないチャンスを制限されたことが、残念でならないのです。
*****��������� *****��������� *****
�
�
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます