文殊菩薩の誕生・ 今昔物語 ( 3 - 2 )
今は昔、
文殊(モンジュ)は中天竺(チュウテンジク・古代インドの中枢部にあたる)の舎衛国の多羅聚落(タラジュラク・多羅村落といった意味。)の梵徳婆羅門(ボンドクバラモン)という人の子である。その母の右脇からお生れになった。
お生れになった時には、その家ならびに門は、すべて蓮華に満ち溢れた。お体の色は金色にして、天上の童子のようであった。七宝の天蓋で覆われていた。
庭の中には十種の吉祥(キチジョウ・めでたい現象)が現れた。その第一は、天降りて覆へり(意味不詳)。第二は、地中より財宝が湧き出た。第三は、金(コガネ)変じて粟と成る(なぜ吉祥か不詳)。第四は、庭に蓮華が現れた。第五は、光が家の中に満ち溢れた。第六は、鶏が鳳凰を生んだ。第七は、馬が麒麟を生んだ。(鳳凰も麒麟も霊獣として尊ばれた。)第八は、牛が「白ダ」を生んだ(「ダ」は火災の前兆となる凶獣なので、意味不詳)。第九は、猪が豚を生んだ(これもよく分からない)。第十は、牙のある象が現れた(これも意味するところが分からない)。このような瑞相によって、名を文殊と申された。(この部分も、吉祥あるいは瑞相が「文殊」という名前にどう繋がったのかよく分からない。)
やがて、釈迦仏の御弟子となって、全世界の諸仏の力、あらゆる如来の知恵ならびに神通力を修得された。
文殊は釈迦仏にとって九代の師であられる。(過去世において、釈迦の師であったという仏典があるらしいが、筆者未熟でうまく説明できない。)そうとはいえ、釈迦仏が世に出現され、世に二仏が並び立つことはないので、菩薩となって出現なされて、釈迦仏を補佐なさって、無数の衆生を仏道に導かれたのである。
釈迦仏は、末世の衆生の為に宿曜経(スクヨウキョウ)をお説きになって、文殊に後事を託された。文殊はそれをお聞きになって、釈迦入滅された百五十年後に、高山の頂において、その所の仙人のために釈迦仏の教えをお説きになった。
多くの内外典(仏教からの見方で、仏典を内典、それ以外を外典という。)を世に広め、末世の衆生に善悪の因果応報を教えたのは、この文殊菩薩のお力である、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
* 本話には、難解というより、意味不明な部分が多く見られる。おそらく、混入・誤伝・思い違いなどから来ていると推定されるが、それは、今昔物語に収録される時点ですでにその状態にあったらしい。
* 「九代の師」云々という部分であるが、過去世において、文殊が釈迦を導いたという経典があるようで、そのことから、「文殊を諸仏の師」とする経説がある。
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今は昔、
文殊(モンジュ)は中天竺(チュウテンジク・古代インドの中枢部にあたる)の舎衛国の多羅聚落(タラジュラク・多羅村落といった意味。)の梵徳婆羅門(ボンドクバラモン)という人の子である。その母の右脇からお生れになった。
お生れになった時には、その家ならびに門は、すべて蓮華に満ち溢れた。お体の色は金色にして、天上の童子のようであった。七宝の天蓋で覆われていた。
庭の中には十種の吉祥(キチジョウ・めでたい現象)が現れた。その第一は、天降りて覆へり(意味不詳)。第二は、地中より財宝が湧き出た。第三は、金(コガネ)変じて粟と成る(なぜ吉祥か不詳)。第四は、庭に蓮華が現れた。第五は、光が家の中に満ち溢れた。第六は、鶏が鳳凰を生んだ。第七は、馬が麒麟を生んだ。(鳳凰も麒麟も霊獣として尊ばれた。)第八は、牛が「白ダ」を生んだ(「ダ」は火災の前兆となる凶獣なので、意味不詳)。第九は、猪が豚を生んだ(これもよく分からない)。第十は、牙のある象が現れた(これも意味するところが分からない)。このような瑞相によって、名を文殊と申された。(この部分も、吉祥あるいは瑞相が「文殊」という名前にどう繋がったのかよく分からない。)
やがて、釈迦仏の御弟子となって、全世界の諸仏の力、あらゆる如来の知恵ならびに神通力を修得された。
文殊は釈迦仏にとって九代の師であられる。(過去世において、釈迦の師であったという仏典があるらしいが、筆者未熟でうまく説明できない。)そうとはいえ、釈迦仏が世に出現され、世に二仏が並び立つことはないので、菩薩となって出現なされて、釈迦仏を補佐なさって、無数の衆生を仏道に導かれたのである。
釈迦仏は、末世の衆生の為に宿曜経(スクヨウキョウ)をお説きになって、文殊に後事を託された。文殊はそれをお聞きになって、釈迦入滅された百五十年後に、高山の頂において、その所の仙人のために釈迦仏の教えをお説きになった。
多くの内外典(仏教からの見方で、仏典を内典、それ以外を外典という。)を世に広め、末世の衆生に善悪の因果応報を教えたのは、この文殊菩薩のお力である、
となむ語り伝へたるとや。
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* 本話には、難解というより、意味不明な部分が多く見られる。おそらく、混入・誤伝・思い違いなどから来ていると推定されるが、それは、今昔物語に収録される時点ですでにその状態にあったらしい。
* 「九代の師」云々という部分であるが、過去世において、文殊が釈迦を導いたという経典があるようで、そのことから、「文殊を諸仏の師」とする経説がある。
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