雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

神通第一の目連 ・ 今昔物語 ( 3 - 3 )

2019-02-10 15:07:14 | 今昔物語拾い読み ・ その1
          神通第一の目連 ・ 今昔物語 ( 3 - 3 )

今は昔、
仏(釈迦)の御弟子目連尊者(モクレンソンジャ・尊者は仏弟子に対する尊称。)は、神通第一(神通力に最も長じていたという意味。)の御弟子である。
仏の大勢の弟子の比丘に、目連は、「我らの師である仏の御声は、どこでお聞きしても常に同じように、すぐお近くでお聞きしているように聞こえる。そこで私は、神通の力を用いて遥か遠くに行き、仏の時には高く時には低い御声を聞いてみようと思う」と言って、三千大千世界(後述)を飛び過ぎて、さらに西方の、無量無辺不可思議那由他恒河沙(後述)の国土を過ぎてお聞きしたところ、仏の御声は、まったく同じように、すぐお側でお聞きするようであった。

その時、目連は飛び疲れて落ちてしまった。そこは、仏の世界(光明王仏の国土)であった。その仏の弟子の比丘たちが、座って食事の接待を受けていたが、目連はその鉢のふちに飛んできて、しばらく休んでいたが、食事をしていた弟子たちは目連を見て、「この鉢のふちに沙門に似た虫がいますぞ。どういう虫が僧衣を着けて落ちてきたのだろう」と言って、集まっている比丘たちは嘲り笑った。

すると、その国の能化(ノウゲ・師として人を教化する者)の仏は、その様子を見て御弟子の比丘たちに申された。
「お前たちは、愚痴(グチ・仏教語で、愚かで正しい道理を理解できないこと。)なるが故に知らないのだ。この鉢のふちにいるのは虫ではない。ここから東方に向かって、無量無辺の仏の国を過ぎた先に一つの国がある。娑婆世界という。その国に、仏が出現なさった。釈迦牟尼仏(シャカムニブツ・釈迦の尊称)と申される。そこに居るのは、その仏の神通第一の弟子である。名前を目連という。師である釈迦如来の声を聞くに、遠くても近くても同じように聞こえるので、それを疑って、遥かに無量無辺の世界を過ぎてこの国にやって来たのである」とお説きになった。
御弟子たちはこれを聞いて皆歓喜した。目連も、これを聞いて歓喜して本土(娑婆世界を指す)に帰った。
そして、仏の御声の不思議なることを、ますます信仰申し上げ、頂礼(チョウライ・古代インドの最高の敬礼法。尊貴な相手の足もとにひれ伏して、額を地面に付けて礼拝すること。)し奉った、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


* 「三千大千世界(サンゼンダイセンセカイ)」について。ここでは、単に「とてつもなく遠い距離」として受け取れば十分ですが、本来の意味が興味深いので述べておきます。
「古代インドの宇宙観に基づくもので、須弥山を中心に日・月・四大海・四大州・欲界の六天・色界の梵天を含めた広大な範囲を一単位世界とし、それを千集めたものを一小千世界、小千世界を千集めたものを一中千世界、一中千世界を千集めたものを一大千世界とし、それらを総称して、『三千大千世界』という」そうです。要は、想像も及ばない話といえます。

* 「無量無辺不可思議那由他恒河沙」について。これも上記と同様で、とてつもなく長い距離を示しています。
つまり、「無量」も「無辺」も「不可思議那由他」も「恒河沙」のいずれも無限大に近いものとされていて、それらを重ねて強調していることになります。
なお、「不可思議那由他」は、古代インドで無限大を表す那由他(ナユタ)に不可思議を加えて強調しているもので、「恒河沙(ゴウガシャ)」はガンジス川の砂のことで、やはり果てしない数を表しています。

* また、目連が虫のように見られた部分については、目連の身長は一丈三尺(4m程か?)とされているが、この国の仏(光明王仏)の身長は40里、弟子たちの身長は20里あったそうであるから、当時の一里がどの程度であったかはよく分からないが、目連が虫に見えたのも当然といえます。

     ☆   ☆   ☆


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