『 神に招かれた僧 ・ 今昔物語 ( 19 - 33 ) 』
今は昔、
いつ頃の事かは分からないが、二条よりは北、西の洞院よりは西の、西洞院大路に面した所に住んでいる僧がいた。それほど高貴な僧ではないが、常に法華経・仁王経などを読み奉っていた。
その住まいからは、東三条院の戌亥(イヌイ・西北)の角に鎮座しておられる神が、森の筋向かいによく見えていたので、経を読み奉っては、常にこの神に法楽(ホウラク・神仏に読経や神楽などを手向けて楽しませること。)し奉って過ごしていたが、ある日の夕暮れ時、この僧が半蔀(ハジトミ・上下一対になっていて、上の部分だけが釣り上げることができる。)の所に立ち、夕日に照らして経を読んでいると、何処から来たのか分からないが、たいへん美しい二十歳余りの男がやって来た。
僧は、誰だか分からないので、「何処からおいでのお方ですか」と訊ねると、男は、「『長年、たいそう嬉しく思っていた事がございますが、未だそのご恩に報いておりませんので、それを申し上げよう』と思って参ったのです」と言うので、僧は、「自分は人に恩を施したような事などあるはずがない。この男は何を言っているのだろう」と不審に思っていると、男は、「さあ、おいで下さい。私が住んでいる所へ。決して、悪いことなどありません」と言うので、僧が「どこに住んでいるのですか」と言うと、男は、「あの向こうの、すぐ近い所に住んでいます」と言って、熱心に誘うので、僧は気が進まなかったが男について行った。
すると、東三条院の戌亥の角に鎮座している神のそばの高い木の下に連れて行った。
そして、男はその木に登ろうとして、僧にも「あなたもお登り下さい」と言うので、僧は、「本気でおっしゃっているのですか。法師が何のために木に登るのですか。もしかすると、足を踏み外して落ちるかもしれませんよ」と言った。
男は、「ぜひお登り下さい。お見せしたいものがあるのです。決して悪いことは申しません」と言うので、僧は男が登る後ろについて登ったが、何のこともなく高々と登ることが出来た。
登りきって見てみると、「自分は木に登った」と思っていたのに、そこには立派な宮殿があった。
その宮殿に連れて入り、座らせた。[ 欠字。食べ物の名前と思われる。] を持ってきて食べさせたので、僧がそれを食べていると、男は僧に、「しばらくここに居て下さい。私がいない間、決してのぞき見などしないで下さい」と言い置いて、奥の方へ入っていった。
僧は男が戻ってくるのを待っている間、食べている物をよく見ると、蓮の実であった。
しばらく待っていたが、「のぞき見してはならない」と言われてはいたが、そっとのぞいてみると、東の方は正月の一日頃の様子で、梅の花がたいへん美しく咲き、鶯がたいへん華やかに鳴き、辺りは今風に浮き立っていて、所々に節句のご馳走が用意されていて、何もかもすばらしい事が満ちあふれている。
辰巳(東南)の方を見ると、様々の狩装束をした者が大勢いて、船岡山で子の日(正月行事の野遊び。)の遊びをしており、男女はそれに因む歌を詠み交わし、直衣姿の者たちが紫の指貫をはき、上着を脱いで紅梅の濃淡様々の袿(ウチギ・男子の下着)姿になって、花見をしたり、鞠や小弓で遊び興じている。
南の方を見ると、賀茂の祭の物見車が、帰途に紫野を行く優美な様や、神館(カンダチ・神官が潔斎のため籠もる館。)の所ではほととぎすが眠たげに鳴き、花橘に心を寄せている風情もあった。五月五日に、菖蒲を家々の軒に葺き並べ、薬玉も並の美しさではない。
未申(ヒツジサル・西南)の方を見ると、六月の祓え(ミナヅキノハラエ・夏越しの祓え)をする車を懸命に水に引き入れようとしており、西の方を見ると、七月七日 [ この後、すべて欠文。]
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* 欠文の部分は、破損によるもののようです。
同型の昔話があるようで、それによりますと、
「 この後、西から北へと景色が移り、時も十二月まで進むが、見終わったところで、『禁じられていた物を見てしまった』ので、異変が起り、僧は、神の感謝の恩恵を掴み損なった。」というもののようです。
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