雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

うつせみ   第八回

2010-08-04 07:58:53 | うつせみ
          ( 八 )

まず、美沙子の仕事を変えさせることにした。
「あわじ」のママの智子とは円満に話をつけることが出来た。ホステスの仕事から足を洗うというのが条件だったが、飯島と美沙子との関係がただならぬ様子なのを承知しており、難しい問題にはならなかった。

美沙子は、飯島への返済が出来なくなると言ってホステスを辞めることを渋ったが、強引に承知させた。
次は住居を移させることにした。今少し広い住まいを美沙子も望んでいたので、転居することに不満はなかった。折り良く、取引先がらみで商談崩れの中古の物件があり入手することにした。
飯島がそれほど大きな資産をもっているわけではないし、妻から相続した資産に手をつけるつもりはなかった。それでも、子供がいないこともあり中古のマンションを買う程度のものは持っていた。

次々と話を決めていく飯島に対して、美沙子はただ戸惑うばかりだった。男と女のことならば、どんな大金を使おうが世間にはよくある話である。しかし、二人には男と女の関係はなかった。美沙子がそれを望んでみても、飯島は頑ななまでに美沙子を女としてみようとしなかった。もしかすると、こういう男と女の関係というものもあるかもしれない、と思ったこともあるが納得できるものではなかった。

飯島が一方的といえるほど強引に美沙子の生活環境を変えていくのに戸惑いながらも、もしかすると、この人が自分の苦境を救ってくれるかもしれないという気持ちも芽生え始めていた。現に、久しく苦しみ続けてきた借金は少しも減っていないが、全てを飯島が肩代わりしてくれたことで精神的にはずいぶん楽になっていた。
これから先の生活をこの人と共に過ごせたらという気持ちが育ちかけていたが、飯島は美沙子に対して、白馬に乗った王子様役を務めるつもりはないらしく、どうやら、あしながおじさん役に徹しようとしているようである。
美沙子には、そのことが理解できず、少し寂しかった。

   **

美沙子の新しい生活が始まった。
飯島が購入したマンションはそれほど広いものではなかったが、大手業者による大規模なものだったので、戸数が多く入居者どうしの付き合いにそれほど気を使わなくて済みそうなのがありがたかった。環境もこれまでの所よりよほど良いし、歩くと大分距離があるのだが、ベランダからは大阪城の杜が間近に見えた。
両隣りの人には、しばらくは一人暮らしになるが父が時々訪れると挨拶したが、まんざら嘘ではなく、飯島は日ごとに父親役が板についてきていた。

間取りも、それほど広くないといっても家族用のマンションなので、美沙子一人には広すぎるものだった。
会社の休日でもなかなかプライベートの時間を取れない飯島だが、かなりの時間を捻出して美沙子と連れだって家具などの調度品を買い揃えていった。部屋割は、美沙子の個室と飯島の書斎を兼ねた個室を決めたが、あとリビングと和室があり美沙子が使いこなすようになるには時間がかかりそうな気がした。それぞれの部屋を考えながら調度品を次々に揃えようとする飯島に、どう対応すればよいのか分からず、
「夢を見ているみたい・・・」と、頬を染めた。

飯島にとっても楽しい時間だった。
調度品などは、特別高級なものは一つもなく、若い女性が使って嫌みのないものを選ぶようアドバイスはしたが、美沙子の好みもごく常識的なもののようで飯島は嬉しかった。
買い物なので一緒に外出することが続いたが、常に飯島は父親としてのスタンスに変わりなく、店員たちもそのように応対することが殆どだった。

「お嬢さんなんて言われたの、何年ぶりかしら…」
買い物の後、レストランで向かい合って座った時、美沙子は目を輝かせて微笑んだ。そして、その笑顔の頬を涙がすっと走った。
「本当に・・・、本当に甘えていていいんですね・・・」

その言葉に、飯島もまた胸に込み上げてくるものがあり、何度も何度も頷いた。
まだまだこれからが大切なのだ、と飯島は自分自身に言い聞かせていた。限りなく与える愛を美沙子に捧げたいと思って決断したことだが、美沙子がどのように受け取るのか不安もあった。しかし、目の前の美沙子の様子からは、自分の必死の思いを素直に受け取ってくれているように見え、飯島は安堵感のような気持を味わっていた。
美沙子と過ごすこの半月余りの充実感は、飯島にとっても久しぶりのことだった。一方的に与える愛情のつもりだったが、これほど大きな充足感を与えられるとは思っていなかった。一方的に与える愛などというものは、そうそう簡単なものではないのかもしれない。

美沙子を幸せにしてやりたい。美沙子の幸せを阻むあらゆるものから護ってやりたい。そのために自分の出来る限りのことをしてやりたい。この飯島の決意に偽りはない。それは、決意というより、願いであり、祈りでもあった。
しかし、飯島が美沙子に尽くしていると思っていたものは、借金を肩代わり、住居を準備し、仕事を変えさせることだった。これからの生活費もみていくつもりだが、それらは全て物質的なものでしかなく、こういう形でしか愛情を伝える方法を知らない自分に少しずつ気付き始めていた。
与える愛などといっても、結局は物質的なものでしか力になることが出来ず、本当の愛情を得ているのは自分の方ではないのかと、飯島は考え始めていた。しかし、この充実した日々を失いたくなかった。

自分また、美沙子から愛情を奪い取っているのではないのかと飯島は悩んだ。真沙子の時と形が違うだけで、再び同じ過ちを犯そうとしているのではないのだろうか。
美沙子と別れた後などに、これまでの一人暮らしの時には感じなかった寂しさの中で、飯島はそのような思いに襲われることが増えていった。


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