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二人の別れの発端は、飯島が偶然耳にした風評からだった。
それは、真沙子が食品問屋の社長とただならぬ仲であるという噂だった。
江戸川物産の営業社員から聞かされた話だったが、飯島とて最初は苦笑するだけで聞き流していた。しかし、それが単なる無責任な噂だとしても一度聞いてしまった以上、苦笑いだけで消し去ることが出来るものでもなかった。
飯島は、自分では意識しないように努めていたつもりだが、噂の真偽を確かめようと注意するようになっていった。そのような心境の者には、風評というものは誇大に伝わるものである。
真沙子と社長の噂については、その問屋の社員たちの間では相当以前からあるものらしく、ある若い社員などは、公然の秘密ですよ、と飯島に語った。
そう言われてみると、真沙子の社内での立場は、社長秘書のような職務を担っているとしても、強い権限を与えられ過ぎているように見えた。一緒に働いているわけではないから、飯島が知っている真沙子の仕事ぶりは断片的なものだが、上席の社員さえ真沙子に気を使っているように感じられた。
さらに、その社長はまだ四十歳代の好男子で、若い飯島では太刀打ちできないような風格があり、真沙子と並ぶように立った時などは、はっとさせるほど釣り合っていて飯島の心を苦しめた。
飯島は苦しい胸のうちを押さえきれず、真沙子に噂のことを話し、追及した。
本当は、追及するつもりなどなかったし、真沙子の口から明快に否定の言葉さえ聞くことが出来ればもやもやした気持ちを振り払えるとの思いだった。しかし、冷静な態度はすぐに崩れ、厳しい口調で追及することになってしまい、取り返しのつかない重大事にしてしまったのである。
真沙子にすれば、飯島がそのような噂を真に受けるなどということは想像することさえ出来ないことだった。
「とんでもないことです・・・」
真沙子が弁解した言葉は、この一言だけだった。激しく怒ることもなく、泣くこともなく、静かに否定して少しも取り乱すところがなかった。
飯島は、自分が悶々として苦しんできたことに比べ、あまりにも冷静な真沙子の態度に戸惑いを感じ、その戸惑いが怒りとなって言葉が過ぎた。
正確な事実関係を確認し合うこともなく、二人の間には深い溝が生じた。その溝は確実に広がってゆき、溝の広がりを防ぐには飯島はまだ若かった。
互いが、二人の仲が壊れようとしていることを認識していた。互いに、相手を大切に思い失ってはならない伴侶だと認識していた。しかし二人は、掛け替えのない大切なものを守り通す術を知らなかった。
そして、突然に真沙子が姿を消し、二人の仲は終わった。
後から知ったことであるが、その時真沙子は妊娠していた。
その子の父親は社長だとの噂が表面化し、社長夫人との間でひと悶着あったようだ。もっとも、これも当事者に確認した者はおらず噂の域を出ない話だったが、真沙子は退職していったということである。
その時には、飯島と真沙子の間はすでに修復困難な状態になっていた。飯島には、やはりという気持ちがどこかにあり、この後どうしていくのだろうと案ずる気持もあったが、特別に行動することもなく、青春の日の、苦い苦い思い出となっていった。
**
飯島は、その一年余り後に、彼が属している部署の担当取締役である水沢の一人娘と結婚した。
南東商事における飯島の仕事ぶりは際立っていた。真沙子と別れた後の飯島は、その思い出を振り払うように仕事に没頭した。水沢取締役は、そんな飯島に惚れ込んで、一人娘を嫁に出してまで結婚させたのである。
結婚後の飯島の活躍ぶりはさらにその勢いを増し、若手のホープと噂されるほどになっていった。岳父となった飯島取締役は、オーナー的存在である大沢社長の外戚にあたり、社内では社長一族の一人と目されていた。その岳父の力によるところもあったが、飯島は抜擢されるたびに期待に応えるだけの実績を上げていった。
飯島は短い海外勤務の他は、国内の営業の一線を担当していったが、率先遂行型のファイト剥き出しにした力戦型の社員が多い中で、むしろ静かなタイプといえる社員だったが、気がついてみると常にトップクラスの実績を上げていた。そして、その存在感は上席になるほど輝きを増していった。
中でも、伝説的とまでいわれる中部支社躍進の中心社員としての経歴は輝いており、取締役へは同期のトップを切って昇進し、このほど常務へと進んだのである。
しかし、水沢取締役の一人娘を妻に迎えた家庭は、必ずしも充足されたものではなかった。
妻に何の不満もなく、飯島が会社で存分に働けるようにサポートをしてくれたし、温かい家庭を作り上げてくれた。岳父は本当は飯島を婿に迎えたかったのだが、飯島や娘の希望を受け入れて一人娘を嫁に出したが、結婚後の生活は、新郎が新婦の家に入る形となっていた。
妻を亡くし、娘と二人暮らしの中に飯島が入り込む形となったが、それはそれで落ち着いた生活を築くのに何の支障もなかった。ただ一つ、二人は子宝に恵まれなかった。
そして、飯島が名古屋に単身赴任している時に、岳父が急死した。日頃あまり病気をすることもなかったが、急な病死だった。さらに、妻も、飯島が取締役に就任して間もない時に亡くなった。
若い頃から体が弱かったが、父を亡くしてから体調を崩すことが多くなっていた。お手伝いとして住み込んでいる未亡人とその娘が主に世話をしていたが、その甲斐もなく若すぎる旅立ちだった。
飯島は、社内での華やかな活躍の裏で、一人っきりの生活をこの数年送ってきていた。
次々と本来の主であるべき人物を亡くしていった家には、管理とお手伝いを兼ねて未亡人とその娘に引き続き残ってもらい、まるで飯島が間借り人のような生活を送っていた。身の回りのことなど不便さはあったが、雑念を振り払うように仕事に打ち込み続けていた。
物静かな男ではあったが、自分は仕事に生きるタイプの男だと飯島は思っていた。
二人の別れの発端は、飯島が偶然耳にした風評からだった。
それは、真沙子が食品問屋の社長とただならぬ仲であるという噂だった。
江戸川物産の営業社員から聞かされた話だったが、飯島とて最初は苦笑するだけで聞き流していた。しかし、それが単なる無責任な噂だとしても一度聞いてしまった以上、苦笑いだけで消し去ることが出来るものでもなかった。
飯島は、自分では意識しないように努めていたつもりだが、噂の真偽を確かめようと注意するようになっていった。そのような心境の者には、風評というものは誇大に伝わるものである。
真沙子と社長の噂については、その問屋の社員たちの間では相当以前からあるものらしく、ある若い社員などは、公然の秘密ですよ、と飯島に語った。
そう言われてみると、真沙子の社内での立場は、社長秘書のような職務を担っているとしても、強い権限を与えられ過ぎているように見えた。一緒に働いているわけではないから、飯島が知っている真沙子の仕事ぶりは断片的なものだが、上席の社員さえ真沙子に気を使っているように感じられた。
さらに、その社長はまだ四十歳代の好男子で、若い飯島では太刀打ちできないような風格があり、真沙子と並ぶように立った時などは、はっとさせるほど釣り合っていて飯島の心を苦しめた。
飯島は苦しい胸のうちを押さえきれず、真沙子に噂のことを話し、追及した。
本当は、追及するつもりなどなかったし、真沙子の口から明快に否定の言葉さえ聞くことが出来ればもやもやした気持ちを振り払えるとの思いだった。しかし、冷静な態度はすぐに崩れ、厳しい口調で追及することになってしまい、取り返しのつかない重大事にしてしまったのである。
真沙子にすれば、飯島がそのような噂を真に受けるなどということは想像することさえ出来ないことだった。
「とんでもないことです・・・」
真沙子が弁解した言葉は、この一言だけだった。激しく怒ることもなく、泣くこともなく、静かに否定して少しも取り乱すところがなかった。
飯島は、自分が悶々として苦しんできたことに比べ、あまりにも冷静な真沙子の態度に戸惑いを感じ、その戸惑いが怒りとなって言葉が過ぎた。
正確な事実関係を確認し合うこともなく、二人の間には深い溝が生じた。その溝は確実に広がってゆき、溝の広がりを防ぐには飯島はまだ若かった。
互いが、二人の仲が壊れようとしていることを認識していた。互いに、相手を大切に思い失ってはならない伴侶だと認識していた。しかし二人は、掛け替えのない大切なものを守り通す術を知らなかった。
そして、突然に真沙子が姿を消し、二人の仲は終わった。
後から知ったことであるが、その時真沙子は妊娠していた。
その子の父親は社長だとの噂が表面化し、社長夫人との間でひと悶着あったようだ。もっとも、これも当事者に確認した者はおらず噂の域を出ない話だったが、真沙子は退職していったということである。
その時には、飯島と真沙子の間はすでに修復困難な状態になっていた。飯島には、やはりという気持ちがどこかにあり、この後どうしていくのだろうと案ずる気持もあったが、特別に行動することもなく、青春の日の、苦い苦い思い出となっていった。
**
飯島は、その一年余り後に、彼が属している部署の担当取締役である水沢の一人娘と結婚した。
南東商事における飯島の仕事ぶりは際立っていた。真沙子と別れた後の飯島は、その思い出を振り払うように仕事に没頭した。水沢取締役は、そんな飯島に惚れ込んで、一人娘を嫁に出してまで結婚させたのである。
結婚後の飯島の活躍ぶりはさらにその勢いを増し、若手のホープと噂されるほどになっていった。岳父となった飯島取締役は、オーナー的存在である大沢社長の外戚にあたり、社内では社長一族の一人と目されていた。その岳父の力によるところもあったが、飯島は抜擢されるたびに期待に応えるだけの実績を上げていった。
飯島は短い海外勤務の他は、国内の営業の一線を担当していったが、率先遂行型のファイト剥き出しにした力戦型の社員が多い中で、むしろ静かなタイプといえる社員だったが、気がついてみると常にトップクラスの実績を上げていた。そして、その存在感は上席になるほど輝きを増していった。
中でも、伝説的とまでいわれる中部支社躍進の中心社員としての経歴は輝いており、取締役へは同期のトップを切って昇進し、このほど常務へと進んだのである。
しかし、水沢取締役の一人娘を妻に迎えた家庭は、必ずしも充足されたものではなかった。
妻に何の不満もなく、飯島が会社で存分に働けるようにサポートをしてくれたし、温かい家庭を作り上げてくれた。岳父は本当は飯島を婿に迎えたかったのだが、飯島や娘の希望を受け入れて一人娘を嫁に出したが、結婚後の生活は、新郎が新婦の家に入る形となっていた。
妻を亡くし、娘と二人暮らしの中に飯島が入り込む形となったが、それはそれで落ち着いた生活を築くのに何の支障もなかった。ただ一つ、二人は子宝に恵まれなかった。
そして、飯島が名古屋に単身赴任している時に、岳父が急死した。日頃あまり病気をすることもなかったが、急な病死だった。さらに、妻も、飯島が取締役に就任して間もない時に亡くなった。
若い頃から体が弱かったが、父を亡くしてから体調を崩すことが多くなっていた。お手伝いとして住み込んでいる未亡人とその娘が主に世話をしていたが、その甲斐もなく若すぎる旅立ちだった。
飯島は、社内での華やかな活躍の裏で、一人っきりの生活をこの数年送ってきていた。
次々と本来の主であるべき人物を亡くしていった家には、管理とお手伝いを兼ねて未亡人とその娘に引き続き残ってもらい、まるで飯島が間借り人のような生活を送っていた。身の回りのことなど不便さはあったが、雑念を振り払うように仕事に打ち込み続けていた。
物静かな男ではあったが、自分は仕事に生きるタイプの男だと飯島は思っていた。
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