例えば、これからの十年間に限って、わが国が直接的に他国と「軍事衝突」という事態に陥る可能性はあるのでしょうか。
このような問題について、当ブログは極力テーマに挙げるのを避けてきたように思います。とても、意見を述べるような知識や客観的な情報を得る手段を持っていないことがその理由ですが、考えてみれば、それも言い訳に過ぎず、この種の問題を見つめるのを避けてきたというのが真実なのかもしれません。
新聞やテレビなどのアンケートや、さまざまな人の意見などを聞いていても、いたずらに危機をあおる人から驚くほどの性善説を唱える人まで様々ですが、その大半の人は、そう簡単にわが国が「軍事衝突」に至る可能性など極めて低いと思っているみたいです。
専門家といわれるような人であれ、単に常識人程度の知識の持ち主である人であれ、その多くは、わが国を取り巻く環境が厳しくなってきていることを認め、そう遠くない時期に「軍事衝突」に至る可能性は否定していないにかかわらず、どこかで、絶対にそのようなことにはならないと思っているように感じられるのです。実は、私もその一人です。
こういった考え方の背景にある要因はたくさんあるのかもしれませんが、その最大のものは、あの壊滅的な惨敗を喫した敗戦以来、七十年間という長期にわたってそのような危機を経験していないことではないでしょうか。
しかし、世界に目を転じてみれば、それほど専門的な知識や情報を求めなくとも、一般紙の記事を少し克明に読めば、現時点で国家や地域勢力間で「軍事衝突」状態にある所は、決して少なくありません。そのいずれの場所も、わが国とは直接的な関係がないように思われますが、戦闘状態にあるそれぞれの勢力とわが国との関係を繋いでみると、遥か遠い国での出来事などと言っておれないような気もします。
そして、南シナ海では、大国どうしが何とも不穏な状態を感じさせます。
大国間あるいは世界を二分するような「軍事衝突」は現実問題としてはあり得ない、という意見があります。外交努力によって未然に防ぐだけの知恵があるというのです。本当に、人間にそれほどの知恵があるのでしょうか。本当に、この数十年の間に人類の知恵は向上したのでしょうか。
「軍事衝突」にまで至らないまでも、わが国の領土・領海・領空を廻る問題は、決して波静かという状態ではありません。
国内問題としても、この一年に限っても、安全保障に関する問題での国民間の対立は目立ってきています。
わが国、つまり国土・国民をどのように守って行くかということは、私などが考えてみても何の役にも立ちませんが、そう考える人が国民の過半を越えていけば、わが国の存立は揺らぎ始めるのではないでしょうか。
「軍事衝突」は嫌です。いわんや自分が武器を持って戦うことなど考えたくもありません。しかし、同時に、わが国があの敗戦後の七十年が国家として概ね平和で安泰であったことは、決して自然の流れなどではなく、多くの人の努力や望外の好運のもとで成されたものであることも認識する必要があるように思うのです。
さて、それでどうすれば良いかといえば、いろんな人の意見を聞くたびに覚悟が揺らいでしまうのですよ、情けないことですが。
( 2015.10.30 )
このような問題について、当ブログは極力テーマに挙げるのを避けてきたように思います。とても、意見を述べるような知識や客観的な情報を得る手段を持っていないことがその理由ですが、考えてみれば、それも言い訳に過ぎず、この種の問題を見つめるのを避けてきたというのが真実なのかもしれません。
新聞やテレビなどのアンケートや、さまざまな人の意見などを聞いていても、いたずらに危機をあおる人から驚くほどの性善説を唱える人まで様々ですが、その大半の人は、そう簡単にわが国が「軍事衝突」に至る可能性など極めて低いと思っているみたいです。
専門家といわれるような人であれ、単に常識人程度の知識の持ち主である人であれ、その多くは、わが国を取り巻く環境が厳しくなってきていることを認め、そう遠くない時期に「軍事衝突」に至る可能性は否定していないにかかわらず、どこかで、絶対にそのようなことにはならないと思っているように感じられるのです。実は、私もその一人です。
こういった考え方の背景にある要因はたくさんあるのかもしれませんが、その最大のものは、あの壊滅的な惨敗を喫した敗戦以来、七十年間という長期にわたってそのような危機を経験していないことではないでしょうか。
しかし、世界に目を転じてみれば、それほど専門的な知識や情報を求めなくとも、一般紙の記事を少し克明に読めば、現時点で国家や地域勢力間で「軍事衝突」状態にある所は、決して少なくありません。そのいずれの場所も、わが国とは直接的な関係がないように思われますが、戦闘状態にあるそれぞれの勢力とわが国との関係を繋いでみると、遥か遠い国での出来事などと言っておれないような気もします。
そして、南シナ海では、大国どうしが何とも不穏な状態を感じさせます。
大国間あるいは世界を二分するような「軍事衝突」は現実問題としてはあり得ない、という意見があります。外交努力によって未然に防ぐだけの知恵があるというのです。本当に、人間にそれほどの知恵があるのでしょうか。本当に、この数十年の間に人類の知恵は向上したのでしょうか。
「軍事衝突」にまで至らないまでも、わが国の領土・領海・領空を廻る問題は、決して波静かという状態ではありません。
国内問題としても、この一年に限っても、安全保障に関する問題での国民間の対立は目立ってきています。
わが国、つまり国土・国民をどのように守って行くかということは、私などが考えてみても何の役にも立ちませんが、そう考える人が国民の過半を越えていけば、わが国の存立は揺らぎ始めるのではないでしょうか。
「軍事衝突」は嫌です。いわんや自分が武器を持って戦うことなど考えたくもありません。しかし、同時に、わが国があの敗戦後の七十年が国家として概ね平和で安泰であったことは、決して自然の流れなどではなく、多くの人の努力や望外の好運のもとで成されたものであることも認識する必要があるように思うのです。
さて、それでどうすれば良いかといえば、いろんな人の意見を聞くたびに覚悟が揺らいでしまうのですよ、情けないことですが。
( 2015.10.30 )
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