雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

ランプの出湯   第一回

2010-05-18 18:24:18 | ランプの出湯
ずいぶんと遠い日のことである。
今思い返してみると、あれは本当にあったことなのかどうか、若干心もとない部分がある。
記憶に齟齬があるとは思わないが、何分若い頃の体験であり、伝えられたことが本当に事実であったのか、あるいは、自分の精神状態が高揚しすぎた状態での経験を記憶として抱き続けてきてしまったのではないか、少々自信がない部分もある。

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さて、「ランプの出湯」などという言葉は、現在でも通じる言葉なのだろうか。
私自身、久しく実生活でこの言葉を使ったことがない。新聞やテレビなどの観光案内でも、ランプしかないのを売り物としている温泉など見たことがない。

この言葉は、現在の日本からはすでに消え去ってしまった景色の一つなのかもしれないが、他のものでは表現しがたいような優しさや懐かしさなどが入り交じったような光景が浮かんでくるように思うのだが、そう感じるのもごく限られた世代だけになっているのかもしれない。

   **

東京でオリンピックが開催された頃、私は東京で生活していた。
初めての転勤で池袋にある支店に配属され、会社の独身寮での生活を送っていた。まだ給料は少なく、独身者が生活していくための衣服や靴などは、現在に比べてはるかに高かったが、食費などは安く、独身寮は充実していたので生活していくのに困ることはなかった。

仕事や生活に慣れてくると、近郊の山にも出掛けるようになった。
私は関西にいる時から山歩きが好きだっが、東京に来てからの半年ほどは山へ行くことがなかった。もっとも、私のいう山は、山岳という類のものではなく、海に対する山という程度のもので、整備された道がない所へは行くだけの勇気も技術もなかった。

東京近郊のハイキングコースには、月に一度くらいは出掛けるようになっていった。グループでのこともあるし、二、三人の仲間と一緒のことも、一人で行くことも増えて行った。
関西に比べて、歩き始める場所まで行くのに時間がかかるのが負担だったが、それでも日帰りのコースを見つけるのには困らなかった。

丹沢とか大菩薩峠などは一日では難しいが、休みを利用して何度か出掛けたし、信州へ行くこともあった。
軽井沢などへは関西にいるときにも旅行した経験があるが、東京から信州へは関西に比べはるかに近く、私程度の山歩きをする者にとって手頃なコースを見つけやすかった。

   **

その旅行は、私が東京で生活するようになって三年ばかり経った夏のことである。
新宿から当時の国鉄で三時間程の列車の旅であった。土曜日の午後だったが、一時間余り並んだおかげで私たちは席を取ることができた。
私たちというのは、同じ会社の友人と一緒だったからである。

その友人とは、配属先は別だが同じ独身寮であることから仲良くなった。年齢は私より一つ下だったが、その独身寮には七十人ほどいたのに特別に親しくなっていた。
朝の食事の時間が大体同じで、途中まで一緒に出勤することが多かったこともあるが、なぜか気が合うという関係は理屈ではなく有るものである。
そして、その年の二月に、三日間彼の実家にお世話になりスキーを楽しんでからは特に仲良くなっていた。

今回の旅行も、彼の実家に一泊させてもらうことになっていた。ただ、今回の旅行は別行動になる旅であった。
彼は翌日に法事があるための帰郷であり、私は休暇を取っての山歩きを楽しむ旅で、最初の夜を彼の実家で泊めてもらうことになっていた。

何とも厚かましい話だが、小遣いが常に足らない頃のことで、彼の好意に二つ返事で乗ったのである。
それと、私には友人の家に泊めてもらうという経験は殆どなかったが、この前のスキーの時に泊めてもらっている気安さと、憧れている信州の家庭でのその時のことが、私にとって大変思い出に残るものだったことも、再び世話になろうと決めた理由の一つであった。

彼の実家は、長野県の主要都市の一つで、その中心街に近かった。
その夜、彼の両親に歓待を受け旧交を温めた。翌日に法事を控え慌ただしいときだと思うが、スキーの時と同じように温かくもてなしてくれた。

実は、今回も泊めてもらうことにした一番の目的は、彼の母親に会うことであった。
別に宿泊費を節約しようという魂胆を隠すつもりはないが、冬に泊めていただいたとき聞いた話の続きが聞けるかもしれないという期待の方が大きかった。

私は転勤で東京に出てくるまで、スキーの経験が全くなかった。スキーの経験どころか、本当の意味での雪というものを知らなかったという方が正しいかもしれない。
私が育ったのは関西の中でも温暖な地域だが、それでも雪は降るし子供の頃には小さな雪だるまを作ったり雪合戦をした記憶もある。

最近でも、何年かに一度は雪景色らしい姿になる程度の雪は降る。十センチ以上積もったことも子供の頃から数えれば何度かあった。
しかし、私の知っている雪は、土の上にある雪であった。たとえ十センチの雪が積もったとしても、雪の上を歩くという感覚ではなく、土の上にある雪の上を歩くという感覚なのである。

私が初めてスキーを経験したのは、東京に来て間もない頃に職場の仲間たちと行った奥日光のスキー場であるが、スキーそのものの楽しさより、雪の存在に感動したのを覚えている。
そこには土の感覚はなく、足の下は雪だけであった。

この前スキーで世話になったときに、雪についての感想を私が話すと、友人や友人の弟たちはいかにも面白そうに笑った。そして、口々に本当の雪とはそんなものではないよと、雪のもつ厳しさについて話した。
ただ、彼の母親だけは息子たちと違い私の話に興味があるようで、私の雪に対する感想などを何度も確認し、大きく頷いたりするのである。
私は、この話を特別な意味をもって話したのではなく、単なる笑い話程度のつもりで話したことなので、彼の母親があまりに真剣に応じてくれるのに戸惑っていた。

「あら、何か尋問でもしているみたいですね。いえ、ね、雪の話になると懐かしいような、それでいて思いだしたくないような気持ちになりましてね。それに、雪のことが分かっていないということでは、息子たちも同じですよ」
と、彼の母親は少し恥ずかしげに微笑むと、遠い昔を思いだすかのように話し始めた。

 

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